ビバ! コントラバホ(3)

「野村克也さんの野球解説は非常に専門的だからおもしろい。全く関係のない自分の専門にどこかで通じる。」と作曲家の八村義夫さんがどこかで言っていました。このところこのブログが専門的過ぎる傾向がありますが、まあいいでしょう。すこしこらえてください。

アンプで低音を強調した(ブーストした)ベースの音は、時に気持ち良く響く。高級楽器にしか許されなかった音量を電気の技術で(安く・手軽に)大きくすることは、ある意味で「民主化」だ。コントラバスに装着したピックアップから拾ったそのままの音は情けないくらい酷い。その音を調整して増幅している。生音が良く鳴っている状態の楽器はアンプを通して使いにくく、アンプも楽器の一部として考えた調整にしている楽器の方が現場で強い。そもそもベースアンプはエレキベース(生音はほとんど無い)を想定して考えられている。エレキベースはベースギターとも言うように、形状からしても機能からしてもギターの低い音を担当し、その両者には境界はない。コントラバスとヴァイオリンは違う家族だ。

グランドピアノとコントラバスが一緒に演奏するときは、位置が大事。よくピアノの凹んだ部分にコントラバスが演奏するが、私は苦手だ。グランドピアノの低音弦はコントラバスより太く、長い。すなわち、同じ種類の倍音構成なのだろう。音量的にピアノが強いので、コントラバスの倍音は、すわれてしまい、とても情けない音しか聞こえない。ピアニストには申し訳ないが、ピアノニストの背中で演奏すると良いのだ。亡くなった打楽器奏者・富樫雅彦さんはピアノのようなチューニングをした太鼓をたくさん使いマレットで演奏していた。ベースの生音はどんどんすわれてしまい、本当に困った。彼はアンプでブーストした音を求めてきた。

ジャズやタンゴ楽団でPA やアンプを使うことになれてしまうと、そのあたりの微妙なベースの音色がないがしろにされる。大音量の楽団で良く通る(良く聞こえる)ベースの音とは、倍音がよく延びた音でなく、歪んだ音なのだ。そして何回も言うがコントラバスの良いところは倍音を多く含んだ音質だ。ウイーン楽友協会でのウイーンフィルの配置は、コントラバスが最上段で全体をぐるっと囲む。倍音を多く含んだ低音が楽団の後ろからドーッと押し寄せる。あたかも倍音の大きな海の中で他の楽器がダンスをするといった印象。コントラバスのことを同じように考えているな〜と嬉しい。

ある劇団の音楽をやったとき、木下さんというスピーカー制作者のスピーカーを使える機会があった。その時、どんなに音量を上げても決してうるさくないのだ。うるさいと感じるのは、歪んだ成分であることを実感した。電気的に歪ませるノイズと本来コントラバスの持っている不規則な倍音から来るノイズは全く別物だ。

音色の犠牲を払って増幅する価値があるのか、多くのベーシストが悩むところだろう。聞こえることだけが求められるとエレキベースの方が良くなっていく。あるいは、ベース無しの楽団になる。すこしでもコントラバスの音色をもとめると、いろいろな妥協でやっていくわけだ。本来の音を自然に増幅するにはもの凄く高価で大型の装置が必要になる。

ハワイのコントラバスフェスティバルで会ったジャズ・ベースで有名なジョン・クレイトンさんは決してピックアップは着けず、必要があるときは普通のマイクを使う。一方、ホノルルフィルの首席の楽器にはピックアップが着けてあった。ひとそれぞれ。バール・フィリップスさんによるとジャズで伝説のスコット・ラファロさんの音量はとても小さかったというし、パリのコンセルバトワールで教えていたジャン・フランソラ・ジェニー・クラークさんのベースソロでは、小さな小屋だったのにアンプを使っていた。本当にひとそれぞれなのだ。

タンゴ・コントラバホの第一人者エンリケ・キチョ・ディアスさん、ガット弦のすばらしい音で録音が残っている。現場でどんな環境だったか知らないが、共演者は彼の音に聴き耳を立てていたことは感じられる。決して彼をないがしろにする共演者は居なかったろうし、「音が聞こえないぞ、アンプでも使え!」というリーダーは居なかったはずだ。ピアソラの「革命家」という曲は、政治的な意味は全くなく、キチョさんのことなのだ、と高場さんが教えてくれた。コントラバス奏者こそ音楽の革命家。ピアソラさんも良いことを言ってくれたものだ。

他の楽器ではありえないいろいろな苦労がベーシストにはある。ベーシストの地位を上げて、もっともっとコントラバスの良いところが活きる音楽環境になれば、音楽全体が良くなる(はずだ)。コントラバス地位向上委員会旗揚げ!!用意は良いか?PREPARANCE

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