ピアソラとフォルクローレ

以前言ったようにピアソラのリズムはミロンガと関係があると思っている。フォルクローレとの繋がりは充分あり得る。というか至極当たり前のことだったのではないだろうか。録音で残っているのは少ない。特に自分が録音しなければならないというものではなかったのだろう。ピアニスト/エドゥアルド・ラゴスのセッションでピアソラが弾いている日本盤が最近でていた。その時一緒だったのがハーモニカのウーゴ・ディアスに、ベースのオスカル・アレム。この3人はかなり良いミュージシャンだ。

ラゴスさんはお医者さんとか言う話。いろいろと余裕があったのだろうか、ピアソラの練習風景のCDはラゴス宅で私的に録られたと聞く。ともかく楽しいCD だ。ラゴスさんとアレムさんはピアノデュオも録音している。また最近ラゴスさんのピアノソロを中心にしたシリーズCD「folkloreishons」が二枚でている。結構気に入っている。

オスカル・アレムさんはすばらしいコントラバス奏者。グッと来る本物のコントラバスの音を出していた。エレキベースもピアノも上手。メルセデス・ソーサのバックではコントラバスもエレキベースもすばらしかった。コントラバスを運ぶのが面倒になったのか?このところあまり弾いていないようなのが残念。グラシエラ・スサーナ、スサーナ・ブラスコと二人の女性歌手の伴奏をピアノだけでやっているCDがある。(グラシエラさんとのデュオでは八戸小唄などやっていてビックリした。)女性歌手の伴奏というのは音楽的にも人間的にもかなりオトナでなければつとまらない。

オスカル・アレムさんの後輩に、ホセ・ルイス・カスチネイラ・デ・ディオスさんというベーシストが現れた。やはりメルセデス・ソーサの伴奏や音楽監督をし、ピアソラと二人で「タンゴ・ガルデルの亡命」の音楽を担当してセザール賞などを得た。彼の相方スサーナ・ラゴさんの歌はすばらしい(その映画で一曲歌っていた)が、あまり聴けないのが残念だ。フランス亡命組なのかもしれない。オリヴィエに聞いてみよう。

ウーゴ・ディアスさんは日本でも人気がある。盲目のハーモニカ奏者。あまりの切羽詰まった息づかいに驚いたものだ。高場さんはブエノスで会ったことがあり、いつも酒臭かったけど耳は強力にすごかったと思い出を教えてくれた。髙柳さんも大ファンでアルバート・アイラーのようだな、とおっしゃっていた。フォルクローレの演奏家として知られているがタンゴも見事で、しかもクンパルシータのエンディングにプグリエーセのラ・ジュンバを忍ばせたりして通も喜ばせた。彼の妹さんヴィクトリア・ディアスさんも良い歌手。フォルクローレパーカッションの第一人者ドミンゴ・クーラの家族だとも聞く。

ピアソラはチャマメのラウル・バルボーザさんのことも大好きだったそうだ。彼にとってフォルクローレは当たり前の自分自身だったのかもしれない。

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masami
上のお話にあります、わたしが初めてウーゴ・ディアスさんを見たのは、ブエノスアイレスのイオン・スタジオでした。詳しい事情は(30年以上前ですからもう時効でしょうが)さしさわりがあって申せませんが、ある無名の女性歌手が急きょ日本に来ることになり、それにはレコードくらい出さないといけないので、その録音をわたしが監督していたのです(大笑い)。貧乏なわたしが、その歌手を売り出すために身銭を切っていると誤解されたので――わたしは日本の某社長に頼まれて仕事してたんですが――アルゼンチンの最高級のミュージシャンが一般料金(音楽家協会で決めている、2時間拘束・2曲録音でいくらという公定価格)でやってくれたので、格安もいいところ。社長はたいへん感謝していました。わたしに特別手当まで出すといいましたよ(断りました、いまとなっては残念です)。
予算がないので、少人数でなければならず、ギターは歌手の当時の恋人とその弟(プロでないので、公定よりずっと安いです)、あとは、ひとりでいろんな音を出してくれるドミンゴ・クーラにお願いしました。ポップ系の曲でしたので、クーラはボンボは持参せず、ドラム・スティック4本くらいもってきて、スタジオにあるテープの紙箱を叩きました。彼も低予算ですねぇ! そして「もう少し音が豊かなほうがいいだろう」と、公定価格でオスカル・アレムを連れてきてくれたんです。そのうち、クーラに話を聞いたウーゴ・ディアスが見学に来たのです。わたしは天国に行っても、あんなにしあわせにはならなかったでしょう。神様たちに囲まれて、ほんとに夢見心地でした。
アレムがすごかったのは、全然知らない曲(「リリー・マルレーン」とかでした)を、まったくリハーサルなしで、前奏の最初の音からちゃんと弾くのでした。最初の音はギタリストの指を見ていて判断したのでしょう。あとは知らないメロディでも、ぜんぶわかってしまうらしいんです。いちおう簡単な譜面をわたしは用意していたんですが、「かえって面倒くさい」と、見ません。キー(調性)も聞きません。あんまり完璧なので、あとで「ごぞんじでしたか?」とたずねたら、いま初めて聞いて弾いたとのことでした。
いまわたしたちとの練習のとき、徹さんが譜面を見たか見ないうちに、曲の全体を完璧につかんでいると、峰 万里恵さんが感嘆しています。わたしには徹さんも神様なので、「そんなの当然」と自分のことのように、いばっていますが……。
2008年2月23日土曜日 – 01:55 AM
tetsu saitoh
いや〜本当に貴重なお話ありがとうございました。確かに夢のようですね〜。きっとこういうお話をたくさんお持ちだと思いますので、いつかまとめてくださるとうれしいです。世の中、スター主義が蔓延していますが、クーラ、ディアス、アレム、ラゴスのようなミュージシャンこそ大事。(もちろん彼らは本当の意味で大スターですが・・・)我々ベーシストはスター達の背中を見て過ごすことが多いですから、いろいろ違う視点で見えてくるものがあります。

お話に出てくる「音楽家協会」というは、私がエッセイでとりあげたレケーナさんが言っていたものですね。そういう誇りの中でこそ音楽家が育つのでしょう。ヨーロッパではアンテルミタンという表現者に対する生活保証制度があります。「売る自由主義」ではオリジナルなものは育たない。日本が世界に誇る音楽をポピュラー音楽の中で生み出すのは遠いでしょう。

一方、音楽ファン、リスナーとしては日本は良い条件のもとにある。あらゆる情報が行き交って、お金があれば買えるし、すぐにでも海外に出かけることができる。今、日本が出来る数少ない善行は、善いものを見分け、聴きわけ、それらを橋渡しすることかもしれません。高場さんの長年の活動はその先駆けだったと思います。私もあやかりたくて、私の個人レーベルをtravessia と名付けました。(ミルトン・ナシメントさんの曲からの拝借です。)千恵の輪プロジェクトもその流れの中にあります。30年も音楽の中にいますから、自分が天才でないことはイヤというほどわかります。(ましてや神様のはずはありましぇん。)しかし今・ここで私にできることもあるはずで・・・・・
2008年2月23日土曜日 – 10:58 AM

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