アルゼンチンとブラジル

日常で一番聴いている音楽はブラジル音楽です。なんとも豊かで、しかも底なし。22 年前ブエノス・アイレスを訪れた時、リオ・デジャネイロで乗り換え。たしか3時間くらいでブエノスに到着。(機内でナベサダが流れていたのを妙に覚えています。)音楽があんなに違うのにこんなに近いと驚きました。根本的にはポルトガル語とスペイン語の違いや気候風土の違いがあると思いますがタンゴとサンバは違いますよね。プグリエーセがデ・カロの「コパカバーナ」のイントロピアノソロでブルーノートを差し挟んでおどけているのを見たことがありますし、オラシオ・サルガンはショーロに詳しかったと聞いたことがあります。

シコ・ブアルキがピアソラの未発表曲の権利をもっているとか、ピアソラの「ミルトンの肖像」はミルトン・ナシメントのためとか聞いたことがありますが、へえ〜と思うくらいで私の中でなかなか繋がりません。ブラジルの伝説のテレビ番組「カエターノとシコ」のある回は、ゲストがジョビンとピアソラ!(これはCDになっています。)やはりどこか近いディスタンス。他の回でゲストがメルセデス・ソーサとミルトン・ナシメント、エリゼッチ・カルドーゾとバーデン・パウエルの回もある、何という番組でしょう。

この写真はヴィニシウス・ジ・モラエス、トッキーニョ、マリア・ベターニャ、マリア・クレウザのライブ盤のジャケットにありました。(アルゼンチンのラ・フーサでのライブと言うことになっているが、スタジオのよう。)ブラジル音楽の大名盤。ここにピアソラの姿(右下、左上がフェレール)を発見しました。やはり近いのですね。ヴィニシウス・ジ・モラエスとトッキーニョのヨーロッパでのライブDVDで、ゲストのジョビンを紹介するとき「ジミー・ウェブ、ミッシェル・ルグラン、バート・バカラック、アストル・ピアソラと並ぶ現代ポピュラー音楽の巨匠」と言っていました。

フランシスコ・デ・カロの作品の和音進行にはショーロやジャズを感じることがあります。同時代の南北アメリカとして深く結びついていたのでしょう。タンゴの泣き、ショーロの泣き(ショーロというコトバはもともと涙)、ショーロが逆輸入的に本国ポルトガルに影響を与えたというファドの涙、どこかで繋がっているのでしょう。

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4 件のコメント このエントリのコメントを管理
y.m.
ポルトガルを旅したとき確かアルファマ地区というところでファドを聴きました。旅行に行く前に何かを読んだ解説で、ファドとは運命との意で、サウダーデという心の情感を歌うとありました。家にあったピアソラのラ・カモーラを今聴きながらブログを拝見しました。二拍子という拍はこうした人間の底流にある葛藤や悲哀を込めやすいのでしょうか。同時に、きっとどこか深いところで涙にも希望を見いだすエネルギーのようなものが感じられてとても魅力的です。ツアー楽しみにしています。
2008年2月18日月曜日 – 11:35 PM
tetsu saitoh
YMさま、コメントありがとうございます。
小学校の音楽の授業では、二拍子は強・弱の繰り返しと習いました。しかしそれが通用するのは軍隊の行進のようなものだけ。踊りが盛んな(すなわち音楽の盛んな)地域の1拍目は決して強くなく、しかし接点で発火するような、前からたまったエネルギーを破裂させるような拍でした。人間は二本の足で歩きます。軍隊の行進からダンスへ変身するためにはシンコペーションが必要になります。それは1拍目をわざと短い弱拍にして次に強くはじける(飛ぶ・舞う)ことなのでしょう。心臓の拍は二拍子でなく三拍子に近いと言ったのはミルフォード・グレーブスでした。卓見だと思います。二拍の足と三拍の心臓。生や美は乱調にあり、ということなのでしょう。
2008年2月19日火曜日 – 12:45 AM
masami
歌の場合、たとえばファドは、楽譜は便宜上、2拍子に書きますが、強・弱の繰り返しでは流れにならず、勝手な強さの1拍子がつづいてゆく感じです。歌詞のいちばん素朴で、もっとも多く使われる形は、8音節1単位の句が偶数回つながって1曲になります(俳句なら、5音節・7音節・5音節で1曲?ですね)。その8音節は、3・3・2と割って、それぞれを1拍に当てるのがふつうで、いちばん自然です。でも、ファドは、フラメンコほどではないけれど、歌い手の権力(笑)が絶大なジャンルで、3音節で1拍といっても、1音節は3分の1拍にはならず、勝手な長さです。というより、いい歌い手ほど、拍に縛られないで、歌詞にだけ導かれてうたいます。詩には服従しますので、自由に歌うというのともすこし違うんですが。――ファドだけでなく、スペイン語の歌詞も、いちばん民衆的で伝統的な歌詞は8音節1単位ですので、3・3・2(ピアソラの3・3・2とかいうのと別の考えかたです)と割ります。ポルトガル語とスペイン語は、理論上は(?)かなり近いところもある。でも、ぜんぜん違いますね。
2008年2月21日木曜日 – 02:41 AM
tetsu saitoh
masami さま。貴重なコメントありがとうございます。嬉しいです。オリヴィエは初日(なってるハウス)でスペイン語とタンゴの節回しについても話したいと言っています。対談が大いに楽しみです。私の個人的趣味で三木成夫さんの受け売りですが、心音の不規則な胎児は健康で、規則的すぎると問題があるとか、延髄を持つ動物は皆16秒というリズムを持っていて潮の満ち干のリズムと同じ、とか、25秒というリズムも持っていて、いまわの際のいびきの周期だとか、ゾクゾクします。たしかに月の満ち欠けと海のリズム、女性の生理周期、人間の体内時計などは繋がっていると感じます。俳句や短歌を声に出して詠むとき、無意識に5音節の時は3音節分、7音節の時は1音節分間を空けますね。合計8音節分に自然になっている。勉強したものでなく、身体にもともとあるものを上手に出せる人が何事に付け良い仕事をするのでしょう。
2008年2月21日木曜日 – 01:13 PM

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