手仕事

「手仕事」っていうとアナログ的な良いニュアンスが自然に付いているようだ。しかし、そこには誤解があるかもしれない。七つのピアソラプロジェクトでチラシの制作過程でもそんな発見があった。

最近、チラシはほとんどコンピューター上のイラストレーター、フォトショップというソフトで作るようだ。今回の微調整をしてくれた技術者は0.1ミリ単位で微妙な調整を行ってくれた。それはそれは舌を巻くようなまさにプロの仕業だ。例えば私でもこのソフトを使って入稿までデザインできる状況なのだが、まるで次元が違うのだ。

コンピューター上のデジタル世界でもこの0.1ミリの微調整はまさに職人の手仕事と見えた。やる方も、そこに自信と誇りとやりがいを持ってやっているのだ。デジタルだから機械的で冷たいということはない。きっとまわりまわってチラシの効果に影響が出るのだろう。

今回、何回も校正したはずなのに、昨日、試し刷りの段階でいくつかの訂正が見つかった。訂正しなくても良いと言えばいいのだが、それもひとつひとつ丁寧に直していく。やっぱりアナログだ。

思い起こせば、ミッシェル・ドネダとの2回目のデュオツアーのチラシ、簡単な間違いが刷り終わってから見つかった。致命的と判断し、刷り直しをした。経済的にいたかったが、転んでもただでは起きない。博多でのライブ+ワークショップで、失敗したチラシを持ち込んで参加者に思いっきり好きなだけ破いてもらい、その音を感じてもらった。(「Spring Road 2003」付属のCDにその模様が収録されています。)

音楽に置き換えるとどうなるか?電気楽器を使っているからアナログでない、冷たい、機械的と考えるのは早急すぎるだろう。トランジスターといっても自然素材の代表・石で作るわけで、この世の中にあるもので作るしかない。最先端では微生物を使うICチップもあるそうだ。

結局は、「使い手」次第なのだろう。デジタル機器は進歩が早く、膨大な情報をもの凄い早さの演算で扱っているので、対面し追いかけているだけで終わりかねない。使っているつもりが使われている状態になりやすい。

自分が自分の主人公になることの出来る方法を選び、守る、それを忘れてはいけない、という教訓。

追伸:乾一家は今日は南の「氷河」を見に行くそうだ。(「南は可能だろうか?」というメルセデス・ソーサの歌を思い出します。)元気で旅行を続けている様子。七つのピアソラプロジェクトの出発を心から喜んでくれているそうだ。よかったよかった。

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