昨日はplanBで今井和雄さんとのデュオ、2回目のハイビジョンヴィデオ撮影。2回目という意識もどこかにあるかもしれないが、「そんなの関係ない」とばかりに飛ばした。
今日は、茅場町タグチファインアートへ出かけた。アバカノビッチの新作が展示してある。12月22日までやっています。
ワルシャワへ行ったのは随分昔の話。大回顧展でのコラボレーションでアスベスト館と共に行った。その時の話はいろいろな所でしたので今回は省略。今回の作品は「共存」と題されている。やはりすさまじい存在感だ。細部まで丁寧に作られている。 首のない造形が多かったのだが、今回はそこに動物か怪獣のような首がついている。うむ~。
作品の表面を見ていてそのノイズに打たれる。そう、人はノイズに溢れている。動物を喰らい、植物を喰らい、性交をして、殺し合いを重ねて暮らしている実にまがまがしい存在だ。ワルシャワでお会いしたとき「私はシャーマニックな、昔のタイプのアーティストよ。」と言っていたのを思い出す。
最近流行りのある種の美術は、ノイズを排除している傾向があるのではないか、と小林さんと話した。ありえないピュアなヒト、動物、モノ、の中に「癒される」「共感」。生命力とは反対の方向。(本来の「癒し」とは生と死に直接繋がっているはずだが・・・・)逆に言えばそういうあり得ないモノに憧れるのだろうか?あまりに規則的な心拍を持つ胎児は健康でないそうだ。美は乱調にあり。
赤ん坊は一時期、畳をなめ回す。その大事な時期を清潔志向で禁止。その後も手洗い、うがいの徹底。世に溢れる抗菌グッズ。それが脆弱な身体を生み、アトピーを生むという話を聞いた。三木成夫さんも、寄生虫博士の藤田紘一郎さんも力説している。O-157という菌は雑菌慣れしている身体にとってはとても弱い菌だそうだ。藤田さんはわざとサナダムシを自分の中に飼ったりしていた。マリア・カラスはサナダムシダイエットの成功者だそうだ。抗生物質で汚染された身体は、鳥葬をしたくても鳥が喰ってくれない!
果たして、音の世界でも同じことが言えそうだ。サインカーブなどノイズを含まない音たち、たまにしか発されないかよわい音達、言わば身体性を伴わない音達に若者が惹きつけられているようだ。耳をつんざくような大音量、ディストーションを効かせたエレキノイズは、胎内感覚を喚起させ成功を収めた。それに対する反動という側面もあるだろう。増幅器のつまみを廻したりイフェクターを踏むだけで安易に創り出されたそのノイズはいつまでも自然に成れなかったし(人間の身体は一番身近な自然の一部だと考えたい。)かよわき音達もコンセプトを作り続けなくてはならない。人の手仕事として長続きしないだろう。
そう考えてみると、昨日のデュオの音は自然素材のなかにあるノイズを、ノイズ溢れる二人のオヤジが世の中に出した音だった。次回は12/26です。