北の旅2007その4 平和と命

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午前中、当麻町にある社会福祉法人「かたるべ」でテッチ師匠(鉄地河原勝彦さん・てっちがわらかつひこさん)とのライブペインティング。音楽棟にここに通うメンバー、職員がたくさん集まる。昨年この同じ敷地にある通所授産施設「かたるべプラス」で遊んで以来の懐かしい顔・顔・顔。ハンディをもつ人の工芸・芸術活動の場と交流の場として6万坪の森に建っている。みんなの注目の中(テレビの取材もある)数十分絵を描かねばならないのは大変なことだろうに、いつもの調子でテッチ師匠到着。さすが。

軽く打ち合わせをするや、開始。かなり集中しているので筆の運びは早い。「向こうの山から、描けよと風が来るんだ」という昨年の名言が思い出される。見ていた仲間が峰子さんのところに「ぼくも一枚描いていい?」と聞きに来たそうだ。確かにみんなが参加するような工夫もこれからは必要なことかもしれない。そんなことはお構いなく師匠はドンドン描く、描く、描く。描く紙が無くなると、白い服を着ている職員や自分にまで描いていく。私が促すと職員も踊り始める。ここで場があっと言う間に和む。

昨日の子供のおどけた踊り、今日のこの踊り。どこかで繋がっている。和んだ空気の中、ある人の声がその場を統べるように響き始める。私も楽器と声でその声にハーモニーをつける。純粋で聖なる祈りのような響き。ここで場が一つのピークに達した。この後どんな展開になったか正直、覚えていない。この場にいた、それに従ったということは確か。音楽や美術の本来の役目は良い演奏をすることや上手な絵を描くことではなく「場を作る」ことなのだ。金石出さんたち韓国東海岸のシャーマンとすごした一週間のクッ(お祭り)を思い出した。

感覚を開くこと、ココロを開くこと、何事にもとらわれず、アンテナを張り巡らすこと、をまたまた楽しく学んだ。ハンディがある人もない人も全く同格。そんなことをじわっと感じていたら、テッチ師匠に爆弾を投げつけられた。師匠がインタビューで「今日は、平和と命のために描きました。他に何が必要でしょうか?」と答えているのが漏れ聞こえたのだ。人間のこと、音楽のことをひょいっと軽く超えた意識のあり方に、満足感でにやけていた自分が恥ずかしい。本当に師匠だ。

音楽がハンディのある人に役に立つか、いや、ハンディあるなしにかかわらず必要なのだ、というようなレベルの議論ではなく、「平和と命」。肝に銘じます。再会を約束して師匠としばしの別れ。

みんなと昼食、その後、私だけ昼寝、昨年同様これから東川の叢(くさむら)屋(北海道入植100年を記念して改築した納屋)でのソロコンサート。ここでの演奏はとても気持ちが良い。すばらしい聴衆・自然・歴史・風土に恵まれているのだ。この場にちゃんと居ればいいだけ。今日のヴィオレッタ・パラはご主人の澤田和彦さんに朗読していただいた。昨年うちあげで岩手弁の憲法9条を読んでくれた声を覚えていた。いろいろな人生を経てきた人だけができる朗読だった。ありがとう命。

そして最後はこうなる。


北の旅2007その5 コーヒー牛乳
女達の一弦

まず気をつけたこと。それは、「仲良しごっこ」にならないこと。これがやはりムズカシイ。そういわれても仕方のない部分も否定できないし。笑ってごまかせない状態、ひとりひとりが問われる状態、逃げ帰れない状態、前からよく言っている「今・ここ・私」の度合いが最高度に成るためにはどうしたらいいか?

楽器に関しては、よりシンプルなものへの改造を勧めた。使用するリズムを選択する。大きく2種類。奄美の里国隆さんからアルゼンチンのメルセデス・ソーサまでつかっているリズム。1拍目が前拍から強く押し出されてくる部分を棹を使って音程を変えて出す。各人、ズンタタだのデンデケだのコトバをあてはめている。これもおもしろいな~。もう一つはテン・テン・テン・テン・テン・テン・テンと直線的に遠くへ行くようなリズム。これはハーモニックスを使ってより空間的にする。

つかみはどうする?はじめが肝心。最初の案は、今が盛りの枯れ葉の中にひそんでいてやおら登場というもの。山の民、サンカのイメージ。8人だと空間的にムリということで却下。しかし枯れ葉を敷き詰めるアイデアは採用。枯れ葉に埋もれたり、土の中に入り込むと、人間の身体の毒を吸収してくれ、その後しばらくはその土は使えない、という話を聞いたのは、ワークショップの時だった。

たまたま8種類もっていたさまざまな笛を使って風のように登場、これにした。イヌ笛3種類(人間の可聴範囲を超える高周波をだす。)呼び子笛、あんま笛(今回使ったのは女のあんま笛、音で男のあんまか女のあんまか分かるようにしていた。昔の日本は音に敏感だったのだな~)アフリカ系の笛など。風は四方の神の意志を伝える、風かんむりの中は鳳なのだ、というのは白川静さんの説。階上から登場し、所定の位置に着くや、春日大社、若宮宮の祭時につかう「警しつ」という声を使う。ひとりずつビッキさんの樹華から柳を一枝抜き取り弦を打ち付けリズムを出す。

ずいぶん演劇的なものになった。儀式・儀礼的なことをすると「その気になる」ものだ。形式とはそういうもの。自分の役を自分の身体と心に覚えさせる。

「子供の時にじいさま・ばあさまに聞いたおまじないや伝説」を言ってから各人ソロ1分間、というアイディアは最後までみんなを苦しめたようだ。ほとんど人に話すことのない非常にパーソナルなコトバを言うことでその人の「今・ここ・私」を揺さぶろうという戦略だ。

「柳の下を通る時は息をとめないと親の死に目に会えない。」
「丑年の人はウナギを食べてはいけない、守り神だから」(その人は実際、大学生まで食べなかった!)
「漆にかぶれないおまじない・親に負けてもハゼに負けるなを三回唱えてから山に入る」
「お正月の飾りは一夜飾りはいけません。」
「沖にウサギが走ると海はしける」(積丹半島泊村で育った人)
「おそれ入谷の鬼子母神」
「いろ・なん・しゃ、いろいろあるよね、なんとかなるさ、しゃーないこともあるよね」
「好きな人に愛されるためには足の指の間をきれいにしなければならないよ」
「下の歯が抜けたら屋根に投げ、上の歯が抜けたら縁の下に放り込め」
「男の52歳は危ないよ、若い女に狂う」(私はちょうど52歳になった!)
「男の乳首からはコーヒー牛乳が出るのだ」
「お米を残すと七人の神様にしかられる」
などなどちょっと思い出すだけでこれくらい。まだまだあった。
徳島出身のメンバーは、身体に染みついている阿波踊りを一節。
どうしても言えない、というメンバーが開場5分前に決意して「じゃべることは・・・・・ない」と言うことにした。
その人のことを知っている聴衆には大受けだったようだ。

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これらのコトバの後に、もの凄いノイズや微妙なグラデーションのソロをする。これは見物だった。覚悟が出来てます。甘ったるいプロなど吹っ飛びます。装飾をつけた楽器が恥ずかしい?くらい。

(つづく)

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