北の旅2007その2

小樽から旭川モケラモケラに到着すると、「女達の一弦(男も少しいます)」のメンバーが心づくしの料理を持ち寄り待っていてくれた。ブログから私が食事に気をつけていることを知っていて、健康的な、そしておいしいものばかり。ありがたく、うれしい。第一、肉というものが見あたらないのである。

彼らの期待にこたえられるか?まずそれが試されていることをず~~んと感じる。小樽に忘れ物をしたことが発覚したが、天使が舞い降りて来て、気がつかないうちに取りに行ってくれている。ここは、あり得ないことばかりが起こるネヴァーランドだ。

食後、自慢の自作楽器を見せてくれた。ただただ美しい。川や海や山で素材を調達。自転車に乗せ、持ち帰り、アパートの隣人へ気を遣いながら作業を続けたのだ。図書館司書・美術館学芸員、保育、漆作家、養護学校教師、家具作家、自作食物販売などの昼間の「世を忍ぶ仮の姿」を脱ぎ捨てて、楽器制作家・演奏家に成るのだ。

私の使い古しのガット弦、弓の毛(鶴屋弓弦堂からの提供もあった)、ギターやヴァイオリンの弦を使って楽器・弓を作る。東京でこういう企画をしても、このような美しい素材は見つからないだろう。素材そのものが、もう楽器なのだ。楽器になろうとしていた素材を見つけてくるという感じか。「一弦楽器を作ってみては」と7月に提案してからCCメールやCD,DVDなどでの通信で、「単純であればあるほど、可能性は広がる。小さい音でも、上手く鳴らなくても可愛がってやろう。」ということを伝えておいた。充分に伝わっていた!

共鳴体の位置や、弓奏の基礎、ハーモニックスの原理、棹をベントして(曲げて)音程を変える方法などを伝えると、楽器がドンドン変化して音を出す。みんな興奮。自分で苦労して時間を見つけ、素材を探し、楽器を作るという慣れない試行錯誤を続けてきたことがしっかり活きてくる。真剣に取り組んできた証拠だ。

あとは私の作業だ。すべての楽器を理解し、分類し、出る音を区分けし、パート分けし、構成して(「作曲」の英語は、コンポジション=構成だ、日本語の「作曲」は、曲がったものを作る=メロディを作ると言うことか)最終日のコンサートを最高のものにする。「今・ここ・私」の度合いが最高値にならなければならない。私の頭のコンピューターはブーンと音を立てたまま加熱を続ける。詰まると散歩に出る。オサラッペ川、嵐山、石狩川が見守ってくれる。函館で盛りだった紅葉は旭川ではもう最終段階。

「私が30年かけてやっとたどり着いた音をみんなが出している!」というのが第一印象。弦をスティックで叩く、揺らす、堅いものでこする、楽器を横にして弾く、楽器に何かを挟む、振る、ハーモニックスで遊ぶ、超高音・超低音・かすかな音などをまるで当たり前のように、楽しそうにやっているのだ。

私が探していた音は、実にこれらの音だった。それを実感した。弦を中心に、自然素材の中にある音達を共鳴体や空気振動を使って出す。そうか、そうだったのか・・・・・・・・

フランスの大事な仲間、ミッシェル・ドネダやニン・ル・カン、ファブリス・シャルルは「FANFARE DE LA TOUFFE」という企画をやっている。中古の管楽器をたくさん集め、いろいろな地方へ行き、楽器をやったことのない子供達にその楽器を吹かせる。ある時はマクドナルドへ行き営業妨害をしたり、有名ミュージシャンのコンサートになだれ込んだり・・・・・各地で評判を取っているそうだ。「女達の一弦」企画(札幌でやっているコントラバスアンサンブル「漢達の低弦」から発想した名前)もそういう要素があるよな~と思っていたが、私にとってはそれ以上のものだった。

これからソロ演奏やワークショップをやりながら、深夜までのリハーサルが一週間続くことになる。やりがいがあるな~ありすぎる?な~。

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