ミッシェル来日公演無事終了

23日フィンランド航空でミッシェル無事離日しました。ヘルシンキ乗り換えパリ着その後モンパルナスからTGVでボルドー、そしてポアチエ(来日記念盤を録音したCarre Bleu)その後やっと家に帰るということ。少し庭や畑の世話をして、メチャクチャなブラスバンド(中古のブラス楽器を経験のない子供達に吹かせる活動をずっとやっています)のリハーサルでブザンソンへ、ゆっくりするヒマのないようです。

なぜだか素直に相談をしたくなる、ミッシェルはそういう面を持っています。日本でも、ヨーロッパでも多くの人が彼の意見を求め、それに勇気づけられる、そんなシーンをいくつか見ました。それどころではなく、フランスツアー中には、たまたま駅で隣に座った人とか、ホテルのフロントの人とかが、彼に身の上話を始めてしまう事が続けてありました。そういう頼りがいのある「父性」とでも言うべきものが備わっているのでしょう。

ミッシェルにとって日本での初ソロが広島でありました。この日は板橋文夫トリオなど、広島でたくさんのイヴェントがバッティングしていたのですが、多くの聴衆が集まり、大盛況だったようです。興奮を抑えられない聴衆が何人も話しかけてきたと喜んでいました。広島から名古屋乗り換えで豊橋へ。こういう一人旅も安心できるようになりました。

春の旅2003でも訪れた石巻山「ほっとい亭」でのデュオ。私と娘は朝一で東名高速。少し早めに着くと、ほっとい亭ご主人井上さんが石巻山へ案内してくれました。ちょうど2003年のデュオの後くらいから山頂の湧き水が復活、天然の水琴窟になっているとのこと。石巻山は聖なる山なので、いろいろなことが起こるそうです。湧き水のところで引き返すつもりでしたが、ここまで来たんだからと山頂まで行ってしまい、ミッシェルとお客様を15分待たせることに。大変失礼しました。山道はかなりでこぼこで高低差があるので疲れるかと思っていたら、何だか足下からポカポカして来て、なるほどここはいろいろなことがあるはずだな~と実感しました。
湧き水↓

午後3時半からの演奏、石巻山麓のほっとい亭は、窓もすべて開け放たれ、足の下は地べたむき出し、快晴の日の光がちらちら入っています。なんだかとてもワイルドな演奏になっていました。

インプロ界では有名なmonk寛さんと真妃監督↓

演奏後、自然薯をいただき、聴衆の方たち、堺のお坊さん磯部宗寛さん、今回も主催してくれた石川さんご夫妻らと楽しい会話をしたり、白檀製の笛をいただいてみんなで吹いたり楽しく過ごし、豊橋で一泊。翌朝、早く出発し、湯河原へ。「Spring Road 2003」のジャケットアートを提供してくれた大成瓢吉さん宅へDVDを持って、お線香をあげに向かいました。ここ「空中散歩館」では1999年の11月21日、ミッシェルの初来日ツアーの最終日に演奏しました。ちなみにその日はミッシェル45歳の誕生日。アンコール途中で私が「ハッピーバースデイ」のメロディを弾き出すと聴衆が唱和してくれた美しい思い出があります。瓢吉さんは昨年に他界されましたが、ご家族が美術館も持続。節子さんも元気なご様子、とても安心しました。

「45歳とは若い頃だよね~」というと「イヤ、今の方がずっと若い」と断言するミッシェル。確かに、あの頃悩んでいた膝痛や精神的トラウマからは解放されている様に見えます。いろいろなものに打ち勝ってきた自信なのでしょう。立派立派。ひとしきり、思い出話のあと美術館に行き、またまた思いだすことが多い、瓢吉さんのサウンドオブジェには’99年にミッシェルが贈呈した小さなベルがついているのを発見するし・・・・。次女、恵さんのガラスアートを求めたりしてしているうちにもう出発の時間。丹精した庭のジャスミン、レモン、ミカンなどをいただく。その香りで車中がリフレッシュ。神奈川県・東京都を突き抜けて上尾のバーバー富士へ。ここでミッシェルのソロ。熱心なファンが待ちかまえる空間でとてもよいソロ演奏を繰り広げました。
満員のお客様をかきわけて演奏スペースへ向かう↓

息音を多量に含んだ音を出す方法↓

翌最終日、お気に入りの「ユニクロ」「東急ハンズ」で買い物をしたあと入谷「なってるハウス」へ。デュオ演奏と、DVD「Spring Road 2003」の上映。多くの人に作品を観てもらうのは初めての真妃監督は前の日からかなり緊張気味。お祝いの手作りケーキが旭川から届き、感涙の朝食。

現場では、編集全般で特別お世話になっていた楠本亜紀さん、南谷洋策さん、ファイナルカットの先生、たきしまひろしさん、フィリップ・シャトランさん、ジャケットデザインの今井和雄さん、英語字幕担当してくれたカーティス・パターソンさん、皆来てくれました。ゴールデン街の飲み友達、バイト先での知り合い、高校時代の友達も花やワインなどをお祝いに持ってきてくれて、うれしさでパニックの真妃監督。私の初演奏のことは忘れてしまいましたが、こんなに華やかであったはずは絶対ありえません。よかったね。

デュオ演奏は空調ノイズとの戦いでした。超満員の店内でこの時期に空調を切ることはできないと覚悟してランニングノイズと共演すべく努力をしましたが、私の右耳の耳鳴りの音と重なりなかなか手強い。やはり私の演奏は無音が有る方が良いのだなと再確認。なるべくそのノイズが現れてこないような演奏を、ということで音数の多いモードの演奏になりました。日頃から言っている「今・ここ・私」にしかできない演奏をしよう。「随分、叫んだかな~」という印象が残りました。

「北とぴあ」で共演した旗野舞踊研究所が、レッスンをキャンセル!して大挙ご来店。ライブ会場での若者の存在は嬉しいものです。評論家の岡島さんご夫妻、セッションハウスの伊藤さん、ののさん、やぶいぬさん、ガラスアートの市川さん、書ききれないほどの友人達。ミッシェルの交友関係もどんどん広がります。これも全て含めての「Spring Road」・旅なのでしょう。人生は旅にたとえられる、という昔からの考え方に新たに納得の夜でした。

思えば、フランスツアー中ミッシェルの家にいた時、これからの予定の話になり、5月の中旬が急にまるまる空いたんだ、と聞きました。私はちょうど5月のモダンダンス公演のことを考えていました。帰国した次の日にダンス研究所にいって内容を聞き、稽古を観るとだんだんとミッシェルが適任かと思うようになりました。他の仕事もしてよいと言うことで、何カ所かに打診するとすぐにOKが連発。これはやれる、と直感して招聘作業にはいりました。あの会話がなかったら何も起こらなかったのだなと思うと、活動や人の繋がりのことを考えざるを得ません。いろいろな偶然を必然にして、その過程で様々な人と出会い、橋(トラヴェシア)を架け、先に繋げて生きていくのですね。皆様ありがとうございました。

翌朝7時前、成田へむかう。

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