「李朝のウサギ」と「「逆さづりの黒ヤギ(ただし角は赤)」

なんば高島屋に行ってきました。買い物?の訳ないです、ハイ。すぐには出なかった時差ぼけがでて(歳のせいだ)二時間の睡眠で新幹線に乗る。家から東京駅までがつらい。なにせ楽器を持っている。乗り過ごさないようにして新大阪下車、御堂筋線に乗り換え難波へ。高島屋に入り6階美術画廊へ。2日続けて、小林裕児展でのライブペインティングでの演奏だ。押し寄せる睡魔と戦い1日目本番をすぐに迎える。

ジャン・サスポータスの時にも使用した強度のある和紙をパネルに二枚貼り合わせる。戦時中にパラシュートにも使用された!という和紙だ。一ヶ月のインプロ生活の影響か、音はインプロ度が高い。分厚い絨毯で音の響きは悪い。しかし、どういう状況であろうと「今・ここ・私」度の高い状態を目指し試行錯誤を続ける。小林さんは李朝のウサギを描く。

紫の斑点が飛ぶ。後で聞くとウサギが描けるようになるまで20年かかったという。李朝のウサギが一番よい見本だったそうだ。ウサギと共に、三つのオレンジの枠を超える人が描かれていく。最後に今日のセーターの青の向こうに明るい青が全体をまとめていく。あっと言う間に終わった。やはり彼とのセッションはいつも楽しい。

残ったお客様との話をし、スタッフとコーヒー。夕方から、4月のフレデリック・ブロンディのソロ公演を引き受けてくれた堺の磯部さん、芦屋画廊の北川さん達と楽しく会食・痛飲。牡蠣の串揚げとトスカナワインがとても印象的だった。フレデリックの音楽・人となりを伝え、当日の彼の移動などを確認しあった。この人達は何も言わなくても分かってくれる。ホンマありがたいドス。人とのつきあいもやはり時間のかかるモノなのです。

酔いも手伝って一気に4時間眠れた。その後も短時間ずつながら初めてましな睡眠ができた。翌朝、小林さんご夫妻とモーニング。美術界の状況と音楽界の状況を比べながら、「同じだね~」とか「そうか、そうか、よく分かる」など連発だった。すばらしい先達だ。画廊へ戻るとみんなワサワサしている。

聞くと、絵がドンドン売れてしまい、これから二カ所の巡回をどうするか?で嬉しい悲鳴。「ほんの10年前にしても、デパートで自分の個展をするとは夢にも思わなかった」そうだ。それが商売の本場大阪でドンドン売れている。思えば、デパートでのライブペインティングは、東京ではやったことが無く大阪で3回目。彼は「微電流を流すため」毎日かなりの量のドローイングをしている。そのスケッチブックが、かなり高価なのだが、3冊ともあっと言う間に売れてしまった。何かが変わり始めているのだろうか。絵を描くことの好きな人が、絵を好きな人に会う。その回路を発見したのだろうか。

今日の本番は、ともかく飛ばして行った。昨日、音を無くして周りの空気を入れる時にいろいろなものまで聞こえてしまっていた。それを避けるために飛ばしたわけだ。無料で、出入り自由のデパート空間。集中した時間を作ることは当然ムズカシイ。ともかく勢いで引っ張っていった。集中するための方法の一つだ。一週間前のバール・フィリップスとのデュオのことを少し思い出した。今日は、逆さづりの黒ヤギが出てきた。最後に角は赤く塗られる。人が持っている器からは青い水か砂が漏れている。この美術画廊の隣で、たまたま私の知り合いの陶芸作家・村岡さんご夫婦が展示しており、お二人もいらっしゃった。小淵沢に呼ばれて演奏したこともある。そんなことも影響したのだろうか。

始まりのころ↓

終わり間近↓

演奏後すぐ帰り支度。心地よい疲労感とともに新幹線で帰京。行きも帰りも「のぞみ」荷物室が空いていて楽器が安全に運べた。これだけでもとてもうれしい。コントラバス奏者の仕事の3割は運ぶこと、なんて結構ホントだ。
帰宅すると、4/13セッションハウスでのブロンディ初日演奏のフライヤーが届いている。これも小林裕児さんが描いてくれたものだ。ありがたい。

馴染みの居酒屋「塩」でモツ鍋と甘鯛を堪能。バタンと寝た。

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