ロマとベースとモツ鍋

トニー・ガトリフ監督ラッチョ・ドロームとイ・ムブリニのDVDの表紙。
ジプシーの流れ(インド・エジプト・トルコ・ルーマニア・ハンガリー・スロバキア・フランス・スペイン)をたどって撮影したラッチョ・ドロームはすばらしい映画。自身がスペイン系ジプシーの血を引く監督の愛情が満ちている。イ・ムブリニはコルシカ島のポリフォニーを政治を絡めながら白黒で美しく描いている。

ワルシャワでジャケ買いした映画音楽集CDの表紙。

アメリカ進駐軍での日雇いジャズ演奏では「立ちん坊」という言葉があったそうだ。ベースを持って立っていれば格好がつくというわけで、演奏するふりでもよかったそうだ。
ベースの大きさ・カタチは人に好かれるのだろうか?何となく微笑ましく単に嬉しい。

ジプシー(ロマ)とベースというと、思い出すことがいくつかある。ピエール・バルー監督の映像「真珠貝の夜・チュール」は、フランスでのアコーディオンフェスティバルを扱っている。そこに招待されたのではなくジプシーがやってくる。「昼間、ベースの弦を外して、つりをしてたよ」なんてとぼける。フェスティバルでは若き日のCobaが難しそうな曲を懸命に演奏している。対照的だった。

何回かジプシーバンドを見た。一番嬉しかったのは、打楽器として「叩き用」に特化したベースを見たときだ。私もよく弦を叩くが、それをより特化してやっている先輩がいた。嬉しかった。また、全部の弦が生ガットのベースを見たのはジプシー楽団が初めてだった。
インドからのジプシーの流れという視点は「ラッチョ・ドローム」で初めて知った。行き着く先ざきで歌に昇華していく。子へ孫へ引き継がれていく。とても自然な流れに見えた。

最近読んだ新書「被差別の食卓」では、部落出身の著者が世界各国の被差別集団を訪ね、食べ物を比較する。アフガニスタンの食べ物との比較もあった。

被差別の音楽と食事が西へ東へ流れていく。モツ鍋が流行ったり、ロマの音楽が流行ったりして私達の身近にドンドンやってきている。「ワールド・ミュージック」のはやりすたりには関係なく、利用できるものは利用してしまう。人を惹きつける「強さ」、忘れていたものを思い出させてくれる何かがある。

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