旅館の朝温泉を浴びてチェックアウト。ゴイッチが昼まで案内してくれる。気を遣わないふりをしての細心の気遣いなのだった。まず港のイカ釣り船を見てから宗谷岬に向かう。だんだん風が強くなる。木々も斜めに生えていてとても短い。暴風だ。あまりの状態がごく普通の日常であることに「笑うしかない」状態。自分の尺度を遙かに超えている。ベースをしっかり持ってさえいればこの強風で弾かずとも音がでるだろう。どんな音がするか?興味はあるがここでベースを構えることはムリだ。一緒にとばされてしまう。ここが最北端、間宮海峡だ。ゴイッチはご自分の車に私の娘を乗せてくれ様々なことを教えてくれながら先導している。モケラ峰子さんの初赴任地、沼川をかすめるルートを取ってくれている。
農道を走っていくと橋のたもとで停まる。鮭の遡上だ。北海道在住の知り合いでさえあまり見たことのないという光景。ほんの30センチの段差を必死に登っていく。しかし登り切れない鮭が疲労を重ねながらうろうろと弱っていくのが目立つ。これくらいの段差ならスコップで10分あればなくすことが出来るだろうが、この段差が大事なのだろう。いろいろな例え話が浮かんでくる。
音威子府(おといねっぷ)到着。駅のみで食べられる黒い音威子府そば。おじいさんが一人で黙々と作っている。かつては二本の鉄道が交差する駅だったが今は一本のみ。おいしく二杯いただいた。そのまま今日のライブ会場へ。
砂澤ビッキのアトリエだ。恥ずかしいことに名前しか知らなかった。小学校の校舎跡を利用したアトリエに数々の作品が展示してある。一つ一つがチカラがある。本当にスゴイ人だった。ビッキとは蛙の頭というアイヌ語らしい。水を利用したインスタレーションの部屋は真っ暗で懐中電灯が入り口にある。かつて駅にあったトーテムポール作品が倒れた。それをそのまま持ってきて、土と共に朽ちていくさまをそのまま展示している。数日後に札幌芸術の森の野外で「四つの風」という作品を観た。ここにも鳥が巣を作ったそうだ。木は当然経年変化する。全部承知の上の作品だ。ご子息のOKI(トンコリ奏者)とは二回共演したことがあったが頭の中でなかなか繋がらない。峰子・イタヤンは生前にここを訪ね親しく語り合ったという。
だんだん寒くなってくる。木彫なのでストーブを焚いて乾燥させたくないため、作品のあるところはシンシンと冷えてくる。入り口が昔札幌にあった「いないいないばー」というバーを再現してある。そのにはビッキさんの作品がちりばめられていて、そこだけは暖かい。が、そことアトリエをつなぐ展示室のほうが良い感じだったので、ムリにそこにストーブを入れてもらう。強力なストーブを焚いてもドンドン冷えてくる。「午前三時」にひらめいて作品を作ったというが、どれほど寒かったろう。近くの高校生が手伝ってくれている。木彫がとても盛んな土地だという。
いっぱいのお客様。四人ずつ横並びで毛布を一枚ずつ足にかけ共有してもらう。こちらも普段愛用している松脂が弦に引っかからない。たまたま持っていた柔らかめの松脂を急遽使う。「風」をテーマにしたビッキの詩、ピューピュー鳴る外の風の音。1曲目は「風」の即興演奏をする。そうしたかった。激しい演奏だったが、ビッキさんと何か通じた気がした。そのまま一時間あまり演奏。お子さん・お年寄りもとても集注して聴いてくれている。半端でない自然を想えば、音もキビシク捉えるのだろうか。中途半端は何にもならない。厳しい自然には謙虚にならざるをえない。「待つこと」そして「聴くこと」しかないのか。とても特殊な感じ?いや、どこでも「特殊」であり「例外」なのだろう。フツーなどあり得ないただの幻想。一時間以上は私も聴衆も寒くてムリだったので、その代わりに?「白ワサビ」を配り、散会。このアトリエの一般公開も今日で終わり冬期休暇にはいる。冬に帰って行く人々、という感じにとらわれた。館長の話だとかつてここで演奏したのはストラディバリウスを買ったばかりの辻久子さんだけだそうだ。
再現された「いないいないばー」↓
天塩川温泉につかりいろいろ想った夜だった。