台風とタンゴとランデブー

暑くてグダグダしているとあっという間に過ぎる一日半。その正反対の時間を過ごしました。北九州で乾千恵「七つのピアソラ」出版記念タンゴコンサートがあり、トリオ・ロス・ファンダンゴスと演奏。まるで台風十号と小倉で待ち合わせをするかのような具合。出発の早朝に飛行機欠航の知らせ。美しい「新」北九州空港は台風に弱い。福岡空港は機能していたが、私はコントラバス輸送という事情があるため飛行機を換える訳にもいかない。日本各地で起こっている新空港建設問題の一端か。

敬愛する「妹」千恵ちゃんのためには行かねばならない。「のぞみ」に望みを託す。「のぞみ」10号車に荷物室がありコントラバスを置くことが出来る。しかし荷物室予約は出来ず運に任せるのみ。朝すでに炎天30度越えの東京のラッシュ時に楽器を電車移動。これがどんな状態かベーシストのみ知る。予定より一つ早い「のぞみ」に楽器と共に乗車を果たす。電話連絡。いざというときのために楽器レンタルまで奔走してくれた現地制作ピカラック谷瀬さんも一安心。

長旅の車中「ピアソラ自身を語る」ナタリオ・ゴリン著、斎藤充正訳を読みながら自分の中のタンゴに電流を通す。日常、タンゴの演奏は全くやっていない。ファンダンゴスと年に二回やるくらい。どんなジャンルの音楽をやるにしても「その音楽を生きる」生活をしてなければいけないことはよく分かっている。この仕事が決まってからもすこしずつだがタンゴ電流を通すようにしていたが、過去の貯金を引き出していく感覚は否めない。どこかで血肉化しているはずのマイタンゴに「頼んだぜ」と言うしかない。申し訳ない気持ちもつきまとう。

「オルケスタ・ティピカ・フェルナンド・フィエロ」、ブエノス帰りのファンダンゴスが現地で見つけた一押しのオルケスタ。DVDを観る。20~30歳台の若者が、やりすぎかもと思うくらいの格好(ジーンズにサングラス、さらには毒ガスマスク、プロレスマスク)でプグリエーセスタイルのタンゴをやり倒している。しかし内容は純正当派だ。楽譜は置いていない。コントラバスは裸のガット弦を使っている。それだけでもどれだけの準備と作戦会議・試行錯誤があったか想像できる。

「今・ここ・自分」で彼らが選択したのがプグリエーセだということは興味深い。世界中にウジャウジャいるピアソラコピーバンドは自らがピアソラの代役になるしかないことに気づかないふりをし、あるいは無邪気にそうなろうとしているだけだ。未来はない。特にブエノスアイレスでは成り立たない。当地から遠く離れた地でしか存在できないことは、想像に難くない。プロ野球やジャズがアメリカー日本ー台湾ー韓国ーその他のアジア諸国へと流れていくように。

プグリエーセが生み出した究極のタンゴビート「ジュンバ」。ここに身をゆだねる。ピアソラ自身も、最後に作ったセステートのレパートリーでは、どんどんジュンバ使用率が増していった。自然のなりゆきだったのだろう。ピアソラ作品のオリジナリティから純タンゴ的エッセンスと現代性を抜き出し、ジュンバでタンゴ史をくくってしまう。踊りのための音楽であることは一瞬も忘れない。フェルナンド・フィエロはその方法論だろう。そしてトリオ・ロス・ファンダンゴスも無意識のうちにその道を選択している様に見える。

てなことを想いながら小倉に着き、会場入り、休む間もなくリハ。やはり身体のタンゴ度が低くなっていることを自覚。長旅と台風の心配に気を遣いすぎた、などという弱気の言い訳が頭をかすめる。気持ちをほぐそうとして気を遣ってくれるファンダンゴスに感謝しながら本番に突入。皆さんのおかげですっかりギアが切り替わって「どタンゴり」倒した。

アコーディオンでタンゴのビートを出すことは至難。バンドネオンだと重力を使って縦にビートを刻めるが、アコーディオンは横にやるしかない。それをものの見事にこなしているのが「いわつなおこ」。これを成し遂げた奏者は世界でも稀だろう。唯一かもしれない。ピアノのない会場でも文句一つ言わず、電気ピアノを使ってジュンバをやり倒す「秋元多恵子」。たくましい。「グランドピアノしか弾きませんよ、入れておいてね、じゃよろしく」と突っぱね、主催者に搬入させてあまりあるピアニストなのに、自ら「よいしょよいしょ」と電気ピアノを運ぶ。そして彼らの精神的支柱となり、リーダーというよりは、三人が良い面をだす「場作り」をする「谷本仰」。彼らの唯一の弱点と言えば、すべて「すばらしく」「正しい」ことかもしれない?どうする?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です