シコ・ブアルキ

ブラジル音楽関係で今年日本では、CD界ではなく、出版界でにぎやかだ。

かれこれ25年ブラジル音楽を聴いてきている。底なし沼のように豊富な音楽。たとえば、同じように25年以上ブラジル音楽を聴いている友人ギタリストの廣木光一さんと話をしても、知らない話ばかり!なのだ。

1940~50年代のニューヨークで、数多くの独創的なジャズミュージシャンが集まったように、両世界大戦中にブエノスアイレスで優れたタンゴが栄えたように、60年代のビートルズをはじめとするロックのように、この30年間以上ブラジルには音楽の神が居座っているようだ。ブラジル事情通の人に言わせると、音楽がなければ生きていられないような過酷な現実があるそうだ。

ともかく豊か。その理由の一つは「言葉」が「歌詞」が生きているということがいえると感じる。古くは、ヴィニシウス・ジ・モラエス(詩人・歌手・外交官・呑み助)の言葉はアントニオ・カルロス・ジョビンやバーデン・パウエルらのメロディを引き出した。そして現在も生きている人では、シコ・ブアルキの言葉がいろいろなものを繋げている。私はシコから目が離せないでいる。歌手であり、ソングライターであり、古いサンバとも繋がり、ミルトン、カエターノとも繋がり、サッカーとも、社会・政治とも繋がる彼の日本語の本が白水社から出た。

40枚はあろう彼のCDのなかで日本盤はほとんどでていない(本格的なのはベスト盤だけ)のに、本がでた!というので驚いた。CD業界は売れるか売れないかとかのみが大事で、何か付加価値がないと日本盤をださないのだろうか?情けない話だ。出版界の事情はよく知らないが快挙だろう。帯には「世界が大絶賛するブラジル文学の最高峰」と書いてある。そんな評価だったことは知らなかった。

ブラジルではもっとも尊敬されている人の一人だ。彼の詞を知りたいのにポルトガル語が分からないともうダメ。DVDもほとんど観たが、英語字幕さえない。ブラジルに住んでいたミュージシャンに聞くと「シコはわざと英語字幕をつけないのではないか」ということだ。(カエターノなどは外国盤なのにおかしな日本語字幕がついている。)彼の歌を特集したほかの歌手のCD・DVDなどを手に入れてなんとか意味を知るという状態だ。

本格的な小説だった。ゴーストライターが主人公、場所はハンガリー、リオ、という設定からして見事。
ブラジルについてはまたまたどんどん書いてみたい。

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