さて、入院中、どうしても休みたくない演奏があり、外出許可を取って演奏に行った。そういう義務感とか、ストレスが耳には一番よくないという話もあったが、仕方がない。サガ。
田園調布「いずるば」で初演した「満月に誘われて」(コントラバスとコ・ト・バ・)を、横浜馬車道エアジンでの再演。半年がかりで創った演劇仕立てのパフォーマンスで宗方駿(男優)笠松環(女優)矢萩竜太郎(ダンス)に私。宗方さんは岸田理生さんの所にいた役者で、私とも10年以上のつきあい。宮沢賢治/パウル・ツエラン/中原中也/白川静/大成節子/岸田理生(未発表のもの)らのコトバを演技を交えて朗読。それに、音楽・ダンス・書(乾千恵)が絡む趣向。初演はなんとかうまく終わった。竜太郎君とは兄弟の杯を交わすことになる。ダンスもとてもよかったし、出番を終えた後、感動して楽屋で泣いていた彼に、私は感動した。
演劇公演はどうしても大がかり。照明・大道具・小道具・音響などなど多くの人が関わる。それはそれでいいこともあるが、ライブハウス感覚でできないものか考えていた。ストラビンスキーの「兵士の物語」のようなものをやってみたかった。それで、横浜のライブハウスでの再演を提案したため、私が休むわけにはいかなかった訳だ。
いろいろな人たちのヘルプでなんとか現場に到着。久しぶりにさわる楽器でいきなりソロ。(ソロ演奏を第1部、音楽劇を第2部にした。)バール・フィリップスさんと楽器を交換した直後で、(自分の最後の楽器だと思っている)その最高の音を堪能したいのだが、いかんせん右耳はボーっと耳鳴り、400ヘルツ以下が難聴。気がつくと、「演奏している人間以外は、この楽器の音のすべてを堪能しているのに、、、、、、」。小説のエピソードになりそうな状況だった。何とかつとめを果たし、門限ギリギリに病院にたどり着く。
もう西洋医学ではこれ以上の処置はないということで退院。その直後の演奏は、大阪行きだった。必死の覚悟で準備をし、楽器をエイヤっとかついで東京駅へ。新幹線のトンネル、スピードに初めて恐怖を感じながら新大阪に着く。私鉄を乗り継いで、「千林」駅。大正時代の長屋で、鈴木明男さんとのデュオ。
「ヤドカリ御殿」と名付けられたこの長屋では、もう何回も演奏してきた。大阪船場で「ITAN-G」というギャラリーをやっていた「たんぽぽ」さんがここへ移ってきた。平日の昼間のライブでもお客様が一杯になる。「ITAN-G」も私は大阪のホームグラウンドのようにしてきた。ライブ会場には、主催者やオーナーに似ている人たちが集まる。とてもやりやすい環境なのだ。鈴木明男さんとは長年会いたかった。私の演奏はどうしても「表現」してしまうタイプ。表現が過剰になるといいことはない。
それをどうやって克服するか私の課題だ。決して「表現」しない鈴木さんと一緒に演奏したら自分はどうなるか、とても興味があった。世界中の美術館でのインスタレーション、公園の設計、丹後半島での「ひなたぼっこの壁」などなどの伝説の持ち主。
会ってみると、とても素直な人。やりたいことを率直にやるという方法を確立しているのだろうか。周りの人を楽にさせる。演奏が始まると、「表現云々」に囚われていた私をあざ笑うごとく鈴木さんはかなり演奏性の高い演奏をする!こだわらない心の大事さを教わった気がする。私は「表現しない」という「表現」をしようとしていたわけだ。まだまだです。また共演したい人です。
乾千恵さんも聴きに来てくれ、演奏後、整体治療をしてくれた。彼女は死の淵まで行き生還したとき、本人曰く「おみやげ」に人を治す力をもらってきたそうだ。膠原病だったお母様を治してしまったのだから凄い。一ヶ月前、野崎観音でバール・フィリップスさんと私と千恵ちゃんのライブをしたときも夜、バール、私を治療してくれた。ヒトのチカラ!!
その晩、めでたく風邪をひく。整体では風邪は歓迎すべきいいこと、なのだ。翌日、鼻をグシュグシュしながら電車移動。今日はびわ湖ホールでクラシックの演奏。一昨年から続いている黒沼ユリ子さんのアンサンブルで、シューベルトの「鱒」、クロード・ボーリングの「組曲」を演奏。メキシコ在住のポーランド人ピアニスト、ヨゼフ・オレホフスキさんの音が痛い。
シューベルトの演奏では、ベースはピアノのへこみのあたりにいることが多い。この場所はピアノのフタからの音が直接響く。アタックの強い彼の和音は弱った耳にはきつい。とくに高音域。そっと少しずつ場所を移動してピアノから離れる。黒沼さんの音はリハーサルからドンドン良くなっていって本番にピークが来る。巨匠の音だ。耳が喜ぶ。私は、この楽器を使って、響きのいいホールでの初めての演奏。ガット弦の音が大ホールの最後列まで届いている感触。ただただうれしい。耳鳴りも難聴も忘れている。その筋では強者ばかりの共演者。ヴァイオリンとチェロ、ヴィオラとコントラバスの相性がいいとアンサンブルはうまく行く気がした。みんなが蝶ネクタイ、タキシード、ドレス、エナメルの靴なのに、私は黒シャツに黒スニーカー!失礼しました。
その晩、京都の知人宅に泊まる。風邪が進展している。早めに床につき、寝汗を数回かいた。翌日は京都市内の歯科医院、待合室でソロ。戦争をくぐり抜けた古い建物は味がある。ここでは自分の曲を主に演奏していく。一般に関西はオトナが集まってよく遊ぶ。すばらしいことだ。そして、こういう体調の時だと、主催してくれる人たち、世話をしてくれる人たちの情けが身にしみる。感謝の気持ちが自然にわいてくる。
たどり着けるか、から始まって、演奏できるか、になり、いい演奏が出来るか、になり、三日間が終わった。演奏できる限り、演奏する、という立場と心持ちを手に出来た気がした。きついスケジュールだったが、その分やり終わった充足感と将来への希望をもらった。



