人間と音楽の関係でもっとも極端な例の一つは、アウシュビッツと音楽でしょう。
私は美術家マグダレーナ・アバカノヴィッチさんとのコラボレーションでポーランドを訪れたとき、クラカウで尊敬する演出家タデウシュ・カントールのスタジオ・クリコット2に行った後、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡に行きました。車でしか移動できません。(当時移送に使われてた鉄道はもちろんない。)
到着するや、「労働はあなたを自由にする」と書かれた門、強制労働に行く時に通る門。そしてそのすぐ横の建物にオーケストラの写真(まさにその建物の前で演奏中の写真)がある。これは写真に撮らねばと思い、一枚撮った↓。
それ以上写真など撮る精神状態ではなくなってしまう。「死の国の音楽隊」(音楽之友社)や前回書いた「音楽への憎しみ」などは読んでいたが、目の当たりにすると身体が震える。
囚人の中から選ばれたオーケストラが四つあったという。団員になると強制労働は免除、食料など多少の優遇があるので、多くの人が応募。いったん選ばれても、より上手な人がくると退団。強制労働の行進がスムーズに行くための明るい行進曲。
ガス室への列(自分の家族さえ列ぶ)の前でも。列車で連れてこられる多数の囚人を歓迎するかのごとくに。「音楽」はそういう状況でも成り立つのだ。生き残った団員のドキュメンタリーを見たことがある。その時に演奏した曲を聴くと意識を失ってしまう、軍服を見ただけで叫んでしまう、なぜ自らオーケストラを辞めなかったのかと自分を責め続ける。一方、オリヴィエ・メシアンは他の収容所で「時の終わりの四重奏曲」(「世の終わりのカルテット」とは、思い入れの誤訳だそうだ)を書き、ゲンダイオンガクの名曲としてしばしば取り上げられている。
生と死の究極的な状況でなくても、「だってしようがないじゃない」「しかたないよ」「そうなったらそれなりに」「だって食わなきゃならないでしょ」というようなことが現在身の回りに多くあります。特に日本はそういう傾向になりやすいように思います。戦後ほんの5~6年で、その「しようがない」が再び戦争にむかうのではないか、と石垣りんさんは警告の詩を作りました。
ニュルンベルグ裁判・東京裁判とも、「上官の命令に従っただけ」ということで免罪されることはありませんでした。しかし、軍隊の現場ではそういう教育はありえないでしょう。今現在も多くの戦争が行われています。
アウシュビッツ・ビルケナウ訪問後、フランスで体調を崩し、帰国。そして次の仕事が沖縄での演劇公演。「ちびちりがま」では同じ匂いがしました。
とっちらかったBlogになってしまいました。