ヒトとオンガク

ヒトと音楽の話の続き

このBlog、ヒトとオンガクの話で始まってしまいました。オンガクの役割って何?
大きく出ました。大きすぎてまともに話されたことがない?話。
まず思い出したのは、「巡り逢う朝」パスカル・キニャール原作。話の筋はおそらく今昔物語の「蝉丸」をそのまま使っているようです。アラン・コルノー監督の同名の映画も大ヒットしました。(ちなみにキニャールの「音楽への憎しみ」青土社もおそろしい本です。西欧文化・歴史をもっと知っていれば深く深く読めると思いますが私にはムリでした。)マラン・マレとサン・コロンブの最後の会話でこうありました。

言葉で語ることのできないものを語るのが音楽です。だから俗世のものではない。王のものではない。
では、神のものですか?
違うなぜなら神は語られるからだ。
耳に?
誠の音楽は耳には語らぬ。
では金に?栄光に?沈黙に?
沈黙は言葉の裏側でしかない。
他の楽師達に?
違う。
愛に?
違う。
愛の悔恨に?
違う
自棄に?
あの供え物に?
それも違う だが供え物とは?
わかった 例の菓子か あれは何でもない。
わかりません。
わからぬ。
死者への贈り物と?
そのとおりだ。
言葉なき者達へのささやかな慰めと?
子供らの影に
靴屋の槌の音を和らげるものに
世に出ることの亡かった胎児たちに捧げるものと。
先ほどあなたは私の嘆きを聞いたはずだ。
遠からず私は死に曲も消滅する
それを悲しむものもおらぬ。
死者を呼び起こすその曲をあなたに託したい。

ニューヨーク州ロチェスター在住の箏奏者・水谷隆子さんに聞いた話。
ある縁で、アメリカでのお葬式で箏の演奏を頼まれました。列席していたご婦人が「私のお葬式でも弾いてください」と演奏依頼?があった。

私もお葬式や偲ぶ会で演奏することがなぜか多いです。一番直接的だったのは、元藤?子さんとのこと。土方巽さんの奥様だった元藤さんとは長い付き合いでした。何かと機会があるとよんでいただき共演しました。1ヶ月間毎週1回、銀座資生堂ロビーでデュオをすることになりました。一緒に訪れたアウシュビッツ・ビルケナウの経験から何十もの主のない靴を紐で引っ張る演出で、ご本人もかなり乗り気でした。

3回終わり、あと2回を残した3日後になんと突然亡くなってしまいました。知らせを大阪で受けてもなかなか信じられません。お葬式が一週間後。今回のプロジェクトのスタッフと相談した結果、残す2回も続行しようということになり、4回目はちょうどお葬式の日。お葬式に参列しそのまま銀座へ。急遽編集した1回目の映像を流しながらのソロ演奏になりました。途中で何故かやりたくなって、声を出して上に向かって「おーい、おーい」と長く呼びかけました。その声が届いた気がしました。多くの聴衆も同様に感じ空間が異次元になったような気がしました。5回目最終回にも元藤さんは「現れ」いたづらをしました。

私の楽器の頭の部分はライオンになっています。ちゃんとセッティングをしていざ始めようとすると、ライオンの口に松の木の枝がきつく入っていて楽器台に立ててあった楽器が取り出せません。やられました。

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