SoNAISHの略歴?
私と井野さんの出会い等については、バール・フィリップスさんとのCD「OCTOBER BASS TRILOGUE」の解説に書いたのでここではその後のことを書きたいと思います。(それもいつかここに貼付したいと思います。) 都内のライブハウスで若いベーシストを集めてのライブを隔月で一年間行いました。ある会は私の作品集、ある会はミッシェル・ドネダを交えての即興演奏、ある会はジョビン、ピシンギーニャ、カエターノなどのブラジル特集など。時期尚早だったのでしょうか、期待しすぎたのか、東京の負の空気に負けたのか、尻つぼみに終わってしまいました。
交響楽団の首席に就職した山崎実さんが希望の一つとして残りました。またデュオに戻って方向を模索。井野さんの大きな歌心、ポジティブな明るさ、絶妙なバランス感覚を活かすには完全即興よりもイメージが拡がる楽曲を演奏する方が良い、ということになり私の作品をデュオ用に編曲することにしました。私は自分自身のやり方でずっとやってきているので、私自分はごく自然なことでも、他の人がやるのは相当の苦労が必要だったようです。井野さん、どうもご苦労様でした、そしてありがとうございました。
マレー人アーティスト/ザイ・クーニンの招きでのシンガポールツアーでは、お借りした楽器にほとほと苦労しましたが、オフで出かけたインドネシアの地図にない島、海賊の島(ホントです)などでは少年達の夏休みの冒険さながらの忘れられない想い出を持つことができました。 国内では、中部・関西のツアーをしました。2カ所のお寺、大正時代の長屋、京都の歴史的家屋、大阪枚方市民ギャラリーではポーランドの彫刻家アバカノヴィッチの作品と一緒に、名古屋・松本のライブハウス、瑞浪の民家での演奏等。予想を超えて喜んでいただけた初ツアーでした。大阪平野の全興寺では、ライブ後に住職の考えに基づいて録音をしました。
音楽というよりは音そのものという感じのCDは内外の音響派ファンに大好評。何かくすぐったい感じです。次の契機は北海道ツアーでした。札幌ではその後大いに盛り上がることになる瀬尾高志さん達のBASSアンサンブル「漢達の低弦」と出会い。それは東京での哀しい想い出を払拭してくれました。小樽ではかつての仲間、飯田雅春さんとの再会、旭川のモケラモケラ、北見や網走では小学校、養護学校、青少年更正施設なども訪ね演奏をしました。10年以上何に対してもいささかの反応を示さなかった網走養護学校の女の子が我々の音に反応したり、全校生徒10人ほどの小学校では校長先生共々サンバで踊ったりの想い出多い旅でした。
北海道から沖縄へ直接移動して那覇のカトリック教会でも演奏しました。そう言う活動をしていると、このデュオは社会的な広がりも充分視野に入れることが出来る事に気づきました。ただ音楽を演奏しながら各地を回っていくというのではない可能性があると思ったのです。いろいろなジャンルの表現者、普通にちゃんと生きている人々と音楽を通して出会うことによって社会との繋がりが自然に拡がっていくのです。一方、筋金入りのジャズ信奉者達にも受け入れられたことは、すこし意外でもありましたが、とても嬉しいことでもありました。今までの私と井野さんの生き方が良いように作用しているのだなと思います。
このCDが出来る2006年3月には釧路で第三回目の「漢達の低弦」とのセッション(8台のBASSアンサンブル)があります。その三日後にはマウイ島での演奏です。第三回ハワイコントラバスfestivalへ参加します。世界の若い世代のベーシストとのワークショップ、コンサート、などが予定されています。
普通のジャズに飽き足らないジャズベーシストに新たな世界を提供し、ジャズのような自由が欲しいけれど、何となくジャズの敷居が高いと感じているクラシック奏者にとって役に立つ素材を提供することも我々の目的です。ホームページができあがったら楽譜も公開するつもりです。
BASSという楽器は言うまでもなく低音楽器です。多くのスター達の後ろ姿を見てきました。この楽器を弾いていくことで、自然に視点が下がり、決して浮つかず、しっかりと世の中を見ていけるようなりたいと願っています。若きベーシスト達よ、便利な伴奏者として雇ってもらうことから一歩も二歩も三歩も四歩も進み、この楽器を弾いていることに大いなる誇りを持ち、音楽シーンの中心で世の中に貢献できる活躍をしましょう。