日本即興音楽学会からのインタビュー

日本音楽即興学会(JASMIM)2010年度ニューズレター
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JASMIMレター0024(2011.1.5)
[齋藤徹さんにインタビュー#1/3]
インタビュアー・編集:若尾久美
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インタビュー日付:2010.12.25

新年あけましておめでとうございます。今年もJASMIMレターをどうぞよろしくお願いします。

コントラバス奏者で作曲家の齋藤徹(SAITOH Tetsu)さんに、音楽のこと、予定されているツアーのこと、学会のコンテストのことなどについてお伺いしました。齋藤さんはブログに『即興に関するよしなしごと』と題して音楽に関するさまざまな思いを演奏体験を通して書いておられます。併せてお読みください。

(注_「即興に関するよしなしごと」は、このサイトに転載してあります。)

また2011年10月にはミシェル・ドネダ(s.-sax.)、ル・カン・ニン(perc.)との日本ツアーを企画中です。こちらもご覧ください。
 (Click!)

———–(インタビュアー) こんにちは。ブログ(連載『即興に関するよしなしごと』)増えましたね。

(齋藤徹) あ、あれね。まとめてキチンと書こうと思ってなくて、その場の思いつきですから、けっこう重複とかミスとかありますね。スミマセン。今年10月のミッシェル・ドネダ、ル・カン・ニン招聘に合わせて、「即興」の話をなるべくやさしい言葉で少しまとめたいな、と思ってのことです。いろいろな人が、あーだ、こーだ言うきっかけになればと。

———-すごく大切なことを書いておられて・・・中でもダンスのことにたくさん触れていらっしゃる。

ダンスとの関わり、美術との関わりは多いんですよ。そして長続きしています。

———-いいですね。哲学的なことにも触れておられ、幅広いことを書かれています。

あまりにも即興に関して書かれたものが少ないですよね、日本では。

———-はい。みんな自分の即興ではこう、というようなことは書けても、即興というものは何か、ということはいままで論じられたことがない。音楽療法における即興とか、improvised musicみたいな括りにおける即興とか、区切れば多少あるかも知れないけど・・・。

区切りたくないですよね。

———-音楽における即興、という意味で。

いやもっと大きく捉えて、人間の生きてることにおいてのトピックとして考えたいです。

———-ブログの最初のほうに「即興やフリージャズが嫌いだった」て書かれていたんでびっくりしたんですけど。

えっとね、前提として、若いときに、こういう生き方してるとは全く思っていなかったことがあります。今でも、嫌いな即興やフリージャズあるし・・・。

———-それは学生時代のころですか?

そう。学校出る頃は、卒論、一生懸命書いたわけですよ。

———-へえ、卒論はなんだったんですか?

えっとね、日韓近現代の歴史を元にいろんなこと考えたんですよ。歌も入ったりして。

鶴見和子さんのところのゼミ生だったんですよ。「絶対これは形にして大学院に来なさい」と言われてもね・・・とってもそんな・・・。当時、自分が書いてるものが、だんだん、なんていうのかな、嘘・・・筆が走っているような気がしてね。上手に書けば書くほど、すっごく嫌になってきたんです。だから院に行くのはやめて、嘘がつけないもの探して。「ベース弾くもんね」ってなっちゃった。今思うと勇気がありましたね。今ならとても決断できないし、まし て人に勧められない。

子供の時ちょっと音楽やっていたもんだから、ああ、そういえば音楽って絶対嘘つけなかったな、っていうのが身体のどこかにあって、それが一つのきっかけだったと思います。この道にはいっちゃったのはね。文字から逃げて音へという感じです。

———-即興演奏をされるようになったのは?

時代的に「自由」に憧れる雰囲気はありました。あとはよくわかりませ~ん。

———-80年代くらいですね。まだ日本で即興とかやっているのはほんの一部の人だった。

そうですね、まだごく一部を除いてフリージャズがほとんどでした。わりと早い時から外国に行って演奏をする機会があった。で、アトランタで演奏した後におばさんが来て「あー、今日は素晴らしかった。だけどなんであなたがこの楽器、コントラバス弾いて西洋音楽を演奏するの?」って聞かれて、その質問がけっこう大きかったですね。なんでだろうなって。

———-すごいこと言いますね。

ねえ、あんまり普通には・・・。

———-言わないですよ、普通そんなこと。

何を聞いてるのか真意はわかりかねたんですけど・・・。それが身体のどこかに引っかかっちゃいまして。なんで、アジアの島国ニッポンの人間がこうやって西洋の楽器やっているんだろうって。アメリカ人が着物来て演歌やってるのと同じじゃないかって。

———-そうか、そういうイメージだったのかな。「日本人がなんで」というのは。

そう捉えました。一方、ヨーロッパで、例えば教会で、演奏すると、コントラバスが本当に良く鳴るわけでして・・・でも、いまさら邦楽器に楽器を換えるわけにいかないし(笑) このコントラバスと言う楽器を、2点で糸が張ってあって、それを擦ったり叩いたりひっかいたりして音を出す装置だという視点に遡って対峙していこうと思ったんです。その視点で虚心にそして懸命にやれば、私にしかできないこともでてくるかもしれない、なんて夢を見て・・・。

日本に帰ってきて邦楽とか、雅楽とかの世界に、どんどん接近して行きました。そして、その背後にはアジアが・・・私は一体何者だろう、という感じ。「勉強したものでは勝負はできないんだ」というのが漠然とあって、自分の中にあるものを、ソフィスティケートしてとか、こう、高めていくしかないだろうな、と。世界で一人で立っていくためには。

そのときに、即興っていう方法がすごく魅力的に思えたっていうのはあったかもしれないですね。あくまで今思えばですが・・・。

———-ジャズされていた時期があるんですか?

そうなんです。人目につくところでやり始めたのが、85-6年ですかね。すぐに高柳昌行さんと富樫雅彦さん、この巨匠二人のグループへ同時にはいっちゃってるんですよ。恐いもの知らずですまったく。

———-最初からそんな出会いが?

最初から(その世界では)一番上行っちゃった。日本ジャズ界のことを何も知らないで、一番上の方行った感じでした。誰も知らないし、挨拶も知らないし。でも今思うと本当に貴重な経験でした。クソ生意気だったでしょうね~。ごめんなさいしかない。

———-それは出会いっていうか、そういうチャンスだったんですね。

お二人はフリージャズやインプロを実践していてね。ものすごく好かれたり、ものすごく嫌われたり・・・時期を同じくして86年にアルゼンチンとか韓国とか行くんですよ。歌と踊りの国ですよね。また初録音ソロ「TOKIO TANGO」もこの年です。大きな年でした。

———-韓国のことは、研究されていて音楽のことももうかなりご存知だった?  いや、全く知らなかったですよ。歴史だとか文学だとか、そっちのほう、それも結構いい加減で。

———-韓国語は話されてたんですね。あの時代韓国語をやる人って、ほとんどいない。

確かに珍しかった。街で道を聞かれて答えたりしていました。最初は78年ですよ、関釜フェリーで行くのに国鉄の学割が使えて。しかもまだ戒厳令(夜間外出禁止令)下。あーこれは日韓現代史まっただ中だと思いました。

———-考えられないですよね。そういうところから出発された、っていうのが、学生時代の研究と結びついちゃってる。

イヤ、それが学生時代です。韓国をやらないと日本は分からないんじゃないか、っていうことがありました。でも、それが将来、自分の仕事・音楽に結びつくとは全く思わなかったですけど。

———-ヨーロッパのほうから入られたわけじゃないんですね。

違います。韓国のシャーマンとのつき合いや共演(韓国制作で6枚のCD)の他に、アルゼンチンの影響も大きくってね、エキストラで行っただけなんだけど巨匠オズワルド・プグリエーセさんと共演もして、ものすごく大きい経験でした。ちょっと知っていたアストル・ピアソラがタンゴの異端や前衛ではなく本流だということも実感し、帰ってきたときはいっぱしのタンゴフリーク。

———-人と出会うときに、迷わないでピンポイントでうまくいってらっしゃるみたいです(笑) いろんな活動をしている人とあっという間に結びつかれたんですね。

積み上げてっていうんじゃなかった。運が良いだけ。

———-そういう経験で一挙に自分の世界ができちゃたんですか。

よくわかりません,ホントに。自分の音楽の才能はそんなたいしたことない、ってこの歳になれば充分わかるけど、人と会う才能はかなりありますね。エッセンスみたいな人に会えちゃう。じゃ、それをどう活かすか? 自分が橋になって繋げるのが仕事と思うようになりました。自分のレーベルの名前をtravessiaとした理由でもあります。

———-齋藤さんのブログに「いい演奏とかうまい演奏」は逆に自分を束縛していってる、ようなこと書かれてますね。今話されているのも「いい演奏、うまい演奏をやろう」ということではないと思うんですけど、去年学会で「よい即興、わるい即興」というテーマがありました。これについて思われたことがあるんじゃないですか?

私は、「即興しかやらない」というのじゃなくて。音楽が好きで、歌も踊りも大好きなんですよ。今でも音楽ファンなんです。音楽にこだわりなく隔たり無く、いつもかかわりたいと思っているんです。しかもそれを自分の「仕事」にしてしまった、これは大変です、別次元です。即興にも歌・作品にも同時に関わっていると、即興や、歌の良さがよりハッキリ見えるとも思ったりもします。音楽以外のジャンルの人とは割とすぐ話が合うんですけどね。

———-バッハみたいな曲も弾かれますね。

先日、喜多直毅(vl)とはリュリやマラン・マレをやった後、インプロをやりました。さとうじゅんこ(歌手)とは、自作の歌(乾千恵作詞など)や、ジャワガムラン、ブンガワン・ソロ、ビオレータ・パラ、最上川舟唄、真室川音頭、はてはザ・ピーナッツのヒット曲まで、です。あまりうまく弾けませんけど(笑) そしてその間にインプロを入れました。

———-そういう音楽のジャンルを分けないという感じが、即興ということからはちょっと珍しいな、という感じがします。

あんまりよく思われてないかもしれない。

———-(笑)それは・・・どうなんでしょうか。

(笑)即興なら即興しかやらない人の方がわかりやすいし、仲間もファンもスタッフもできやすいでしょ。曲の方から即興をよく思わない人はそれほど目立たないけど、即興やっている人が、「あいつ、歌なんかやりやがってとか、今度はタンゴだってよっ」とかうっすらと聞こえてくる。成人してから始めてる、生き方としてやってる。いい音楽家、いい演奏家になろうと思ってやっているわけじゃないんで。自分としてはいたしかたない・・・。

———-齋藤さんからみたらいい音楽、わるい音楽というより・・・。

生き方そのものですからね。その時々で懸命にやってきただけなんで、ジャンル分けの考え方自体がちょっとなじまないですね。いままで50枚近くCD出していますが、「ジャンル」で分けられないものばかり。

———-ジャンルに囚われるということかおかしい。

それでも、自分の中で即興か作品演奏かによって、場所や日時を分けてきました。頭や身体の使い方とか絶対違うはずだし,と思ってね。でもこのところ、一緒に演奏することも試しています。それほど違和感なく、自然にできるようにもなっている、それが自分の中での発見だし、これでいいのかも、と思うようにもなりました。自分の中の即興と歌とのジャンル分けも、やっと、無くなってきたのかもしれません。


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JASMIMレター0025(2011.1.8)
[齋藤徹さんにインタビュー#2/3]
インタビュアー・編集:若尾久美
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———–(インタビュアー) 企画されているツアーですが、やはりそういう気持ちの上で出会いがあった、ということですか?

(齋藤徹) ヨーロッパは、バール・フィリップスさんが全部道を開いてくれて、とてもいい人たちに会えて、いままでずっと続いている感じです。彼は来年(2012年)来日予定です。本人もすごく楽しみにしてるし、お歳からいって最後になるかもしれないし、是非とも成功させたいです。

———-今年はミシェル・ドネダさん、ル・カン・ニンさんのお二人がいらっしゃる。いつですか?

10月です。ミシェルは、もう何回も日本に来ています。私にとって兄弟とか悪友とかの感じ。ニンさんは初来日です。ベトナム系のフランス人。見た感じアジア人なんですけどメンタルは完全にフランス人。いわゆる「天才」です。

テクニックがあって、研究もものすごくしている。練習はしないようですけど・・・。韓国シャーマン音楽も日本の海童道ももちろん知っています。現在は大太鼓1つを横に置く小さいセットですけど、最初に会ったときはものすごい大きいジャングルジムみたいなセットでした。でも今と音の種類や豊かさが変わらない!んですよ。いつでも口をあんぐりさせてしまうような演奏をサラッとします。サウンドが不思議に少しアジアっぽいかなって感じました。なんでかな?という事に興味があって。私がお能の方とか邦楽の方とやる時、なぜか「共演」できてしまう。これってなんだろうなっていうのと同じ・・・簡単に「血」だとか言いたくないから、疑問のままに持っておいて・・・一緒に演奏し、ツアーする(生活する)ことで感じたいなと。

——–もうこれまでに演奏されたんですね。パーカッションですよね?

ヨーロッパではよく共演しています。彼は、スティックで皮とか金属を叩くっていうのを完全に超えちゃった・・・吹いたり、こすったり、管楽器の音も弦楽器の音もなんでもだしちゃうような。実際、私の出す音色のほとんど持っているんじゃないかな、演奏していてどっちが出しているか分からなくなるんですよ、ホントに。ミッシェルのサックスも同じなんです。同じ音色で繋がる何か、というものも考えたいですね。

———-こうやって呼ばれる時、助成金とかあるんですか?

今回、なかなか取れなくてね。まだ申請できるところがいくつか残っているんですけど。

———-齋藤さんが日本で申請される?

ハイ、向こうでも彼らがトライしています。なんとか赤にならないようにしたいです。そうしないと、先に繋がらないし・・・。

———-大変ですよね。

ええ、だんだんますますどんどん大変になってきました。今、いろんなミュージシャンがどんどん来るようになってね。ドアギグでもいいって、やる人が多くなっちゃった。自分の国から渡航費・滞在費・ギャラまでもらってくる人もいるし、演奏場所がたまたま日本でした、と言う人もいます。地方に首都圏の数倍のギャラをお願いするのもオカシイと思いますし・・・。

———-ミュージシャンとしては、ある程度仕事にならないと困ると思いますが。寝る所と食事、プラスアルファ、ドアマネーみたいなもので、(招聘は)可能なんですか?

そうしたくないです。30年以上、人生をかけてやってきている人が遠いところやってきて、聴いてもらおう、一緒に考えようとしているのに、その日の食事と宿泊プラスちょっと、では、「人として」申し訳がない。私がヨーロッパで演奏する場合、ちゃんとしてもらっています。彼らとは、20年近い信頼と共演の成果が今日にあるわけですから、それに最低限、報いたいと自然に思います。

———-私はこういう事態は何かが欠けている、何か良い方法はないのかと思うんですけど。お金に関することの全部がミュージシャンにいっちゃう、というのは変ですよね。

50歳台の人間の仕事の報酬とすると、信じられないくらい安いですよ。そのレベルにさえ達しないことが多い。でも、それが現実です。それを30年やってきているんです。フランス、ドイツには、アンテルミッタンなどのある種の失業保険制度もあるし、スイス・オランダ・ベルギーはもっと恵まれているようです。親しいフランスのプロデューサーは「音楽はパブリックサービスだ」と言い切りますからね。そういう人たちとずっと付き合うことが出来たんで、向こうでやるほうがよっぽど楽なんです。日本にはそういう制度はない、仕事をしなければゼロ、仕事をしてもかえって赤字、なんて、ウソじゃないんです。

———-じゃあ、ひょっとしてこれを読んでいらっしゃる人の中で、もし、(コンサートの開催に)興味ある方がおられたら言っていただけるといいですね。

いいですね~。お金が欲しくて演奏していると言う割合が低い「絶滅危惧種」のような私たちです。日本という風土のなかで人と自然と出会い、新たな発見や共感をもとめているわけです。中身の良さは保証します、ハイ。

———-そのためによくやってらっしゃる箱とかはあるんですか?

美術関係、お寺関係が多いのは私のちょっとした誇りです。首都圏では、演奏場所の「地図」が変わりつつあります。経済を無視すれば、演奏する場所はたくさんあり、増えてさえいます。でも「どこで」やるか、というよりは「どう」「なに」をやるかが大事です。

———-即興の面白さは、ソロはもちろんですけど、他の人とやるところにあるのかな、と思いますが。

人と演奏するのは、相手が自分の鏡になるから良いんですよ。「三人」というのは、デュオの関係性より多層的ですし、ゲストを入れるにも楽、そしてもちろん経済もね。出会い頭のおもしろさや、異種格闘技とか言っているおめでたい時代ではないことは先刻承知していますし。

ヨーロッパの進んだものを見せるという意識は全くありません。彼らも発見がなければ来ないでしょう。お金がたくさんあるからって意に沿わないところでやりたくないし。しかし、ちょっとした余裕やプラスアルファの助成があれば、小さな所での演奏、若い人たちの体験共演とか、安価なワークショップ、決してこういうコンサートには来ない人たちのための演奏、障害者施設などもできるという現実もあるわけです。そうやってより多くの繋がりや、きっかけの場になればなによりです。私たちの世代はそういう役割もあるわけです。

ブッキング1つにしても、1カ所の移動にしても正直言って大変ですが、そういうのも全部含めて僕らの人生であって演奏活動であって、現実であると思っています。

日本の状況を愚痴っていたら、「life is too short to complain.」ってドイツのベーシストに言われちゃった。
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JASMIMレター0026(2011.1.12)
[齋藤徹さんにインタビュー#3/3]
インタビュアー・編集:若尾久美
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———–(インタビュアー) ブログ(『即興に関するよしなしごと』)を読んでいて、ひとつ面白いなと思ったのは「共演者に自分の演奏をしてもらう」というところです。このあたりが齋藤さんが考えてらっしゃる即興を指しているなあ、と思ったんですが。

(齋藤徹) 自己表現じゃないところを目指す方向。・・・自己表現でなく、自己「実現」のほうが近いという感じで言いたい。自己表現は自分の蓄えたものを表現する、のに対して、自分の知らない自分が顕れる、その知らない自分こそが本当の自分で、本当の自己が実現出来る、みたいな感覚です。知らない自分が出てくる、楽しいでしょう? それこそが生き甲斐かもしれないなんて思っちゃいます。

書いてある楽譜だったら演奏すべき時に否応なく演奏しなければイケナイけれど、即興だったら、共演者の出方を「待てる」でしょう? そんなやりとりを楽しむ、というか、丸ごとの自分を担保にして賭けてみると思いも寄らないことが起こるかもしれない、そんな事を空想します。自己表現を越えることなんて当たり前。ともかく「自分を越える」というのが大事なトピックだと思っています。

自己表現は自分の限界内でしかできないけれど、知らない自分ならばそんなことお構いなしにどこへでも飛べる、そんな願望です。

———-自己表現の限界? この場合の自己表現とは?

ジャズとかクラシックで「一音聞いたら誰だかわかる」ということが、美徳のように言われて来ました。それもわかります。しかし、そうじゃなくても良いところが、音楽にはあるのではないか、と思うんです。韓国のシャーマンと付き合っていて、一番大事なことは場を作ることであって、自分のいい演奏をすることじゃないことを教わりました。もちろん彼らはとんでもなく上手いんですが。

あるジャズピアニストに韓国シャーマンとのセッションに来てもらった事があって、始まると、彼はやっぱり自分のいいとこ出すわけですよ。いつものように「いい演奏」しようとするわけです。当たり前ですよね。そしてそれなりに良いわけで。でも15分くらいで指がつっちゃってもう演奏を持続できない。かたや75歳の人(韓国のシャーマン・金石出さん)が「なぜ今やめるんですか? これからが面白いのに・・・」ってニコニコして言うわけです。

「自己表現」の限界が見えたような気がしました。自己表現は自分を特化しなければならないから、どこかにムリが生じ、身体を痛める方向にいくのかも。まあ、その代償が拍手であり、ギャラや名声。でも、音楽にはそうじゃない豊かな世界がある。自分が一歩引いて、(ハレの)場を作ることを目的にすれば、違う世界が拡がるかもしれないし、また、天才じゃなくてもいい。これも大事。

———-その韓国のシャーマンはもちろん一緒に演奏されていた?

はい。私の韓流ブームはもっぱらシャーマン・伝統音楽との関係でした。だから、韓国のジャズシーンも知らなかったし,姜泰煥さんと共演したのは最近のことです。現代音楽でイ・ゴンヨンさんの作品を弾いたのもほんの少し前。そして、今、振り返ると、私の音楽演奏史の中で最大の転換期だったのかもしれません。

シャーマンではないけれど、サムルノリの李光寿さんは、「楽器を演奏することは身体が治っていく方向じゃないとダメです、サイトーさん、雪の玉が転がってどんどん大きくなるようにグル~グル~と回るものに身を任せるんですよ!」というんです。身体や重さの使い方、呼吸の仕方をマスターすることは、人生をマスターすることに近いんじゃないかな。日本、欧米の神童たちは身体を壊す方へ行って、30歳位で終わっちゃったりする。全く違う次元の話です。

金石出さんには本当にいろいろ学びました。最初にお会いした時、私は、今思うと恥ずかしいくらいの「即興ボーイ」で、「効果」ばかり求めてました。ベースを弾くよりビー玉を投げる方が効果的と思っていたし、刺激的な音をどうやって出して、びっくりさせようかなんてばかりやっていた。実際、ソウルのスタジオにビー玉と大徳寺の輪を持ち込んだんです。バカですね~。でも、セッションを始めるやいなや、そんなことやろうとは一瞬たりも思わない。どんなに効果が無くてもベースをズシズシ弾くしかないと一瞬で悟りました。そして彼ら(金石出・安淑善・李光寿)とは人生の授業料が違う!とつくづく実感しました。申し訳ありません、明日から心を入れ替えて一生懸命楽器を弾きます、っていう感じでした。

音楽は素材を組み合わせたものではない、全ての音楽には、たとえ2小節のリズムでも意味がある、という当たり前のことを今さらに教えてくれました。ああ、なんて「健康」な音楽!と思いましたね。感謝を込めて金石出さんの御名前を英訳しただけの「STONE OUT」という曲を書き、箏やコントラバスのアンサンブル、100人のフルオーケストラまでいろいろ演奏しました。若い人との演奏には何かとこの曲を持ち込んで、ともかく何かを伝えようと思っているんです。

ミシェルとかニンとか、ある意味、西洋音楽が行き着いちゃったところにいる気がします。そこは彼らも意識してることのようです。「即興」を伝統芸能のように「教える」先生になっちゃいけない、いつも千変万化する「現場」「ストリート」にいなければイケナイ、と。でもポンピドゥーセンターに教えに行ったりもしています。

ルーマニアとかギリシャで演奏したときの話をしてくれました。そこはもう想像以上に荒廃・疲弊してるそうです。そういうところでいつものような即興演奏をやった、音楽じゃないような(音)。街にたった1つ残ったギャラリーにやっとの思いで聴きに来た人たちが「なんでそんな音なんだ」っていうふうに問うてくると言うのです。荒廃しきった社会では、親しみやすい歌とか踊りの方が役に立つんじゃないか、ってことも充分想定できるわけですよ。そして、彼らはやろうと思えばいくらでもできるわけです。タラフ・ド・ハイドゥークスのようにだって・・・でも決してやらないでしょう。そういうジレンマの話は印象的でしたし、私も同じ問題を抱えている。今、彼らを日本に呼びたいなと思ったひとつのきっかけはこの話でした。もし「即興」というものが、真に「今」を映すものであれば、その音のなかに、将来を予見するものがあるはずでしょ。今のどーしようもない日本で何かを感じて、同時に聴衆に何かを感じてもらって気持ちを交換できれば、何かが見えてくるかもしれない、と思ったんですよ。

———-最後に、学会の来年の「即興音楽コンテスト」ですけど、このコンテストについてアイデアやこういう方法があり得るんじゃないか、とかお話いただきたいんですが。

そうだな、たとえば、共演者が望めば、アドバイスなら出来ると思うんです。「目をつぶらずに、薄目を開けて、焦点をあわさないで全体を見ながら演奏してみては?」とか、「テクニックを次々に引き出し開けるみたいに使うのは避けようよ」とか「テクニックを使えない方法を試そうぜ」とか、言えると思うけど、優劣、良い悪いというのとはちょっと違うかもしれない。

———-コンテストでは「演奏の評価を評価する」ということがアイデアとして出ています。

大げさに聞こえるかもしれませんが、演奏(即興演奏)・音楽は何のためにある、ということと関係してくると思うんです。私は、「私」は誰だろう、ということと、人間として少しでも、良くなりたい,人と繋がりたいという「青臭い」望みでやっています。

基準になるのは、「人生をかけているかどうか」っていうことだけでいい。乱暴な言い方だけど、それが問われてくる。そうでないと全部「遊び」になっちゃう。「死」を持っていないものは、どんなに深刻ぶってもダメ。逆に「死」を持っていれば、どんな悪ふざけもOKと思います。極端に言えば、今、死に行く人の前でその演奏ができますか?ということ。即興かどうか、なんて関係ない。まして善い即興かどうかなんて・・・。

———-善し悪しではない。

「何」のための「善」「悪」ということを抜かしては何も言えない。

———-(ブログの)続きも楽しみにしています。ありがとうございました。

(おわり)