演奏場所と人々2

野崎観音 4/5

「野崎参りは屋形船で参ろう〜」野崎小唄/東海林太郎でお馴染み(若い人は知らないか・・・・)の野崎観音(福聚山慈眼寺)です。私のツアーでは美術の人たちとの関係と同時にお寺関係がずっと欠かせません。もとよりお寺は人々の集まりやすいところにあり、広く、冠婚葬祭、集会、娯楽とお寺さんでやっていたはずです。神社にしても、南方熊楠の神社合祀令反対は、生態系上もあるべきところにある神社を尊重せよということ。私の知るだけでも住職達は面白い人が多く、話の合う人がとても多い。宗教や音楽や医学はアニミズムの時代にはシャーマンの仕事だったということでしょう。

街中アートにしようという大阪府平野区の全興寺、即興を愛する大分県蒲江町の福泉寺、堺市には音楽を愛する有名な住職が複数います。全興寺のイヴェントでは、1000年楠の前や、アーケード商店街で(となりになぜかヘアカットしている)演奏したり、「もうこれいじょうたまらん、というまで一つの音を出してください。」とかのディレクションでCDも録音しました。2006年のジャンとのツアーでは京都の永運院の苔の庭でやりとても印象に残っています。おもしろがりが多いですね。

葬式仏教なんて悪口がありますが、とんでもない。地元の人々に愛され大事にされ心の拠り所にされているお寺はたくさんあります。この野崎観音でも朝早くから人々が掃除、お参りをしているのを見ました。本堂のライブでも聴衆が準備・本番・打ち上げまで手伝っていました。かつて明石のお寺でソロをしたとき、皆が集まって御詠歌を聴かせてもらい、一緒に演奏もしました。謙虚な心も、信仰の気持ちも、歌も活きて残っているのですね。殺伐としてしまっている自分から判断してはいけません。反省。

野崎観音の田村雅子さんは千恵さんと親しく、前回「二頭のライオン物語」ライブをやってくれました。その様子は本に書いてありますね。その夜はバールさんとみんなで泊めてもらいました。千恵さんはバールさんを長兄、私を兄としてくれ、その時にバール宅(1000年前の教会)を訪問する約束をし、昨年の2月にもう実現したのです。すごいパワーですね。


西覚寺 4/6 with 乾千恵

お寺が続きます。場所は彦根。ここは初めての所です。千恵さんのファンの方達が主催してくれました。千恵さんのファンは幅広いです。著名な方では白川静さん、井上ひさしさん、本橋成一さん、司修さん、山尾三省さん、元藤あき子さん、鈴木昭男さん、岡部伊都子さん、などなどもうたくさんたくさん。みんな千恵さんのことを話すときにはやさしい目になります。

欲心・邪心から自由な千恵さんにみんなが憧れます。展覧会もやりたがらないし、作品も売ろうとしません。そんな千恵さんに会って、3/23出演の歌手・峰万里恵さんは開口一番「美しい人!」と言いました。人と会うとお互いの関係性や相性でお互いのいろいろな面がでます。千恵さんと会うとその人の一番良い部分が出るのです。

千恵さんのことで忘れてはならないのは、人を治すチカラがあるということです。身体が辛くてもうダメと思った時期を経て、「この世に生きて帰ってきた時、おみやげにそのチカラをもろうた」ということ。自然にその人の悪い部分に手が行き、信じられないチカラでパンパン叩きます。後に野口整体の本部を訪れたとき、その様子を見せると「その通り」と言われたといいます。私を含め何人もの人が担当患者になっています。

人がもともと持っているチカラ、邪心のない人には見つかるということでしょうね。

西覚寺さまからのメッセージ 

琵琶湖のほとり、彦根城から歩いて20分ほどの小さな町の、小さなお寺。
今年で彦根城築城400年、西覚寺も彦根に移り来て400年。
長い歳月を、この小さな町・錦町(旧御旗町)で、町の人たちと過ごしてきました。
宗派は、親鸞聖人の浄土真宗・東本願寺です。季節のめぐりとともに、法要や法座をおつとめしています。歎異抄や、正信偈、教行信証などの勉強会をほそぼそと続けています。
お寺を皆さんの「心の広場」にと願いつづけ、本堂や境内で、歌ったり、踊ったり、飲んだり、食べたり、おしゃべりしたり─ いつもとは言えませんが、ときどき元気な西覚寺です。

乾千恵さんとの出会いは
2004年4月滋賀県能登川図書館での、千恵さんの「月人石」書展のときでした。
館長の才津原哲弘さんと千恵さんの出会いの書展─その書展が多くの、人と人と人をつむぐ、奇跡のような「めぐりあい」の書展となったことは、忘れられないできごとでした。
その「めぐりあい」の糸の小さな結びめの一つ一つから、また新しい物語りが始まります。
千恵さんは、泉のような人、浄らかな水をたたえて、私たちの心をうるおし、いのち満たされる人。
困難を内深く豊かに秘め、いつとはなく、奇跡をおこす人─奇跡がおきてしまう人。
出会いは、限りなく新しい出会いをいざないます。


TOKUZO 4/7

名古屋のライブ・ハウスです。初めてです。昨年ピアニストのフレデリック・ブロンディが来日した際に、ソロツアーを組む手伝いをしました。その時にやってくれた場所です。今回は評論家さんの口利きで出演することになりました。

オリヴィエ・マヌーリさんはプロフィールに書いてあるように、文学や美術を修めた人です。お兄さんのフィリップ・マヌーリさんはピエール・ブーレーズの高弟で、かつてIRCAMに属し、電子音楽系の現代音楽作曲家の第一人者です。今はUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)で教鞭を執っているという言わば超エリートなわけです。日本でも作品が演奏されています。

かたやオリヴィエは、若い頃は、子供を養うためにパリの地下鉄でバグパイプを吹いていたり、今でもサーカスの音楽をやったりしています。不思議な対照ですね。彼が得意とするカンドンベというのは、アフリカ系のリズムを強調したタンゴです。ジャンベをたくさん使った映像がYouTubeで観ることができます↓。その他、彼のソロ、フォルクローレでピアノとデュオなどの映像もアップされています。予習にはぴったりです。タンゴだけでないというところが、アルゼンチン人でない演奏家にとって長所であり短所であるわけです。問題はそこから逃げないでいるかどうか。自分の立っている地点からタンゴを含めた音楽を見つめる視点が必要なのだと思います。

ピアソラの作品で、Yo soy el negro ( 私は黒人)という曲があり私の知る限りではピアソラ唯一のカンドンベ作品だと思います。これも今回のツアーで是非取り上げてみたいと思っています。

曲と言えば、オリヴィエ得意の「Bandoneon」(トロイロ組曲の中の一曲)もきっと演奏します。CDではカットされているオリジナルのバンドネオンイントロも弾く予定です。楽しみですね。

齋藤真妃が昨年パリでオリヴィエのカルテットのライブに行ってきました。ブラジル人二人が入ったジャズ系の演奏だったそうです。ブラジル音楽も大好き(エルメート・パスコアールを尊敬しているということ)だそうなので、私と趣味も合いそうです。

オリヴィエ・マヌーリカルテット ベースとドラムがブラジル人
オリヴィエ・マヌーリカルテット ベースとドラムがブラジル人


ガレリア表参道 4/9

ツアー最後の三回はまたすべて美術関係です。
1995年1月16日、今回のプロデューサー石川利江さんと初めてお会いしました。ご自身の画廊(今回の画廊ではありません)での小山利枝子展会場でソロライブの時です。日時を良く覚えているのは、翌朝ホテルのテレビで阪神淡路大震災の様子を見たからです。 忘れられない日です。石川さんと小山さんとのつきあいもそれからずっと続いています。小山さんにはCD「STONE OUT」のジャケットアートを提供してもらいました。(デザインは今回のチラシの草稿を作ってくれた齋藤視倭子さんです。まあホントにみんな繋がっていますね。)その後、ジョエル・レアンドルとのデュオでCDになった横浜プロムナードのホールで会場に作品を飾っていただいたり、飯綱高原の小山利枝子絵画館ではCD「Contrabajeando」を録音させてもらったりいろいろとお世話になっています。

今回のきっかけは、昨年の10月の小山さんの一人娘未央ちゃんの結婚式でした。たまたま来日中のジャンを誘ってみると、是非行きたい、とのこと。雨の白馬で行われた結婚式披露宴に参加し(礼服とお着物の中、二人だけ普段着でした・・・)お祝いにジャンが踊り、私が演奏してきました。宴に参加していた石川さんとデザインの齋藤さんが、このツアーへの協力を申し出てくれたのです。こういう流れには、ただ身を任せていけばいいということを経験的に知っています。

石川さんは演劇・美術などとても詳しく、ご自身も能をやられています。ISHIKAWA地域文化企画室を主宰し忙しく活動をしています。当然とても厳しい方です。今回は若手の美術家のグループ(前後会)の展示会場でのパフォーマンスになり、それも楽しみです。

前後会とは?
画家がただ作品を作っているだけでいいのだろうか。作品は鑑賞者が居なくては存在意味がない。作品を作りつつ、展示の企画を立て、運営して、展示する。そして、鑑賞者を呼び込む。そこまでを含めて作品なのではないだろうか。
絵画の前(鑑賞者)も後ろ(展示、運営)も、積極的に作品として受けとめて取り組もう。そんな趣旨の下、2005年にユニットが組まれた。
メンバーは、日常風景から精緻に存在性、迫真性を抽出する、佐藤 央育
旅の記憶をたゆたいながら筆を振るう、星野 健二
現代社会を記号的・象徴的に「おもろく」チャカス、山口 功
それが、前後会である。
前後展〜アラビアの数字なんておじさん知らないよ〜
 前後会は、これまでは大学入試のパロディ的なイベントを開催し、また、小規模な実験的展示をしてきた。そして、その最初の集大成的な巡回展示「前後展〜アラビアの数字なんておじさん知らないよ〜」の開催にいたったのである。
 絵画だけではなく、展示環境の変容をも作品に取り込みつつ長野、愛知、東京と旅をする。ぜひ、ご覧あれ!

第4期首都圏へ戻っての最終章

ギャラリー椿 4/10

このところの私の企画に毎回参加していただいている小林裕児さんの企画です。本当に絵を描くことがお好きで、ほんの1分でも空いたらドローイングしています。このところの爆発はスゴくて、私が妙に慣れてしまい新鮮さを失っていることを鏡になって映し出してくれます。

最初の出会いはまたまたCD「ペイガンヒム」のジャケットでした。CDの盤面から文字まですべてを原寸で3種類描いて来て「どれを使っても良いよ」ということでした。既成のご自分の絵を選んで「これをテキトーにデザインして使ってね。」というのかと思っていたので、そのあまりに具体的な仕事に驚きました。

ライブペインティングで音楽ををやる時に、最初に決めたのが「お互いがお互いの説明にならないようにすること」と「絵は絵で、音は音で自立していること」でした。一緒にやるのだから「絵」でも「音楽」でもない新たなモノを創り出そう、という幻想はありませんでした。(3/30の寄港のコンセプトに繋がります。)それが良かったのだと思います。

川崎の岡本太郎美術館でマレーシャーマンのザイ・クーニン、井野信義、私でのパフォーマンス(土方巽展での)に急遽ゲストで来てもらったとき、何本かに別れた垂れ幕状の紙に二人の人間を乗せて浮かぶボートを描いていました。元藤あき子さんが亡くなってすぐだったので、土方さんと元藤さんのようだな、と思いながら演奏していました。ザイの映像(インドネシアの海賊の島の人たち)も映写していて描く紙やダンサー・ミュージシャンに当てられていたのですが、最終場面でちょうど同じ寸法の実際のボートと重なりました。この偶然の瞬間は忘れられません。

一週間に二回はダンス・演劇を観に行くことを日課として、世間的に偉くなっても、決して保守化することない姿勢はなかなか出来ないことです。とらわれのない考え方も大いに見習いたいものです。経済的に苦しい今回のツアーで「銅版画シート付き特別チケット」を作ってくださいました。20枚ずつ2種類の銅版画を新たに制作、各10000円です。このチケットでツアー会場どちらでも1回に入場できることになっています。ありがたい先輩です。

ギャラリー椿のことは、「毛皮のマリー」のセリフで知っていました。小林さんと一緒に5回演奏しました。前回は帰国前日のジャンが飛び入りし、身体にもペインティング。ピナのファンの方がいらっしゃって驚喜していました。京橋でこういう事が日常起こることはいいですね。


空中散歩館  4/12

CD「Coloring Heaven(彩天)」「Tetsu Plays Piazzolla」録音場所およびジャケットで、CD「Tokio Tango」(私の初録音)「String Quartet of TOKYO and Orchestra」「M’OUZ」「Spring Road」のジャケットアートなどなどでお世話になった画家の大成瓢吉さんの私的美術館です。それこそ人前で演奏するようになった最初期から聴いてくださり、励ましていただいたり、時には一緒にパフォーマンスしたり、おいしいモノを教えてもらったり、楽しい時間をたくさん共有しました。良かったよ、と褒めてもらうのを何より嬉しく思っていました。彼は実際の事実よりも良いものを感じてしまう人だったのです。その頃の私の音楽技術を思うと赤面のみです。しかし私の基準だったことは確かなのです。

最初にお会いしたのが、1981年ころ朝日カルチャーセンター(新宿住友ビル)。イメージ・デッサンのクラスで音のモデルでした。普通に主婦をしていた人たちが何人もこの教室をきっかけに作家となって、個展を開き、内外のさまざまな美術賞を受賞するという熱気溢れる伝説の教室でした。ほとんどの受講生が抽象画でした。「モデル」仲間には、多くのミュージシャン、ダンサーがいました。箏の栗林秀明さんと会ったのも此処なのです。私の邦楽との関係が此処で始まっています。舞踏にふれたのも此処でした。ダンスと音楽に彼がスライドで参加、 スライド板に直接彩色したり、 大いに動きながらダンサー・ミュージシャンの身体に映写したり、という当時としては珍しかったパフォーマンスを池袋スタジオ200でやったのが1984年です。名実ともに私のすべてを育ててくれたのです。

1988年、荻窪四面道を離れ湯河原に空中散歩館を建て移住。農地を住宅用地に変更する作業から始めたのですから大変な苦労をされたでしょう。建物・庭・内装すべてまさに作品そのものでした。開館する前から「Coloring Heaven」の録音で使わせていただきました。その時にバール・フィリップスさんが空中散歩館の英訳「Walk in the Cosmos」を考えてくれました。開館記念コンサートは私のソロ+タンゴ楽団(プグリエーセ楽団のアルトゥロ・ペノン/バンドネオンが指導、ギターには高柳昌行さんが在籍!)でした。その楽団と一緒にブエノス・アイレスに行き、その時のMCが3/23出演の高場将美さんでした。またまた繋がりますね。ピアノ開きが高橋悠治さんのフーガの技法。山下洋輔さんも弾きました。大成瓢吉さん自身も即興ピアノを弾き、空中散歩館を訪れるお客様も自由に弾くことが出来ます。今回ならずとも湯河原にお立ち寄りの際は是非行ってみてください。

私が関わりを持ち熱中しているものを瓢さんに認めて欲しくて、タンゴ楽団、韓国のミュージシャン(イ・テベさん、カン・ウニルさん、ホ・ユンジュンさん)・ダンサー(ナム・ジョンホさん)、邦楽では沢井一恵さん、栗林さん、尺八の菅原さん、ジャズで板橋さん、井野さん、インプロビゼーションではバール・フィリップスさん、ジョエル・レアンドルさん、ミッシェル・ドネダさんと空中散歩館で演奏しました。面白いでしょう?いいでしょう?とか言いながら「天狗の舞」を飲みあって、瓢さんの共感をえることが私の大いなる喜びだったのです。

大成瓢吉さんは2006年11月亡くなってしまいました。世界中からお悔やみのメールが届きました。いろいろな意味で、今回最終日に是非此処で締めくくりたかったのです。

JR湯河原駅 
鍛冶屋行きバス12分 終点 五郎神社下車 案内板があります。徒歩7分   タクシー/駅より8分