千恵の輪トリオ日本ツアー2008

乾千恵の画文集「七つのピアソラ」から「千恵」の輪が世界に広がっていく。親友齋藤徹から、ダンスのジャン・サスポータスへ、そして今回パリのバンドネオン奏者オリヴィエ・マヌーリへと繋がった。生まれてからずっと故郷を探している迷子のTANGO。3人の異邦人と、同じ印を持つゲスト達が帰るべき故郷を幻視する。ピアソラが自らのルーツへ立ち戻った1950年代パリでの作品を21世紀の日本で弾き、舞う。弾ききり、舞いきり、歌いきり、描ききる現場に是非お越し下さい。

 

(乾千恵の書とジャン・サスポータス+齋藤徹)
(乾千恵の書とジャン・サスポータス+齋藤徹)

「乾千恵の画文集 七つのピアソラ」(岩波書店)出版記念演奏の依頼から本プロジェクトは始まりました。もともとタンゴはヨーロッパとアフリカの音楽がブエノス・アイレスで出会って出来ました。根無し草のような性格を持つタンゴはいつも故郷を探しているようだ、と高場将美さんが指摘しています。バンドネオンという楽器は遠くドイツ生まれ。船乗り達が伝えたと言います。アルゼンチンが政治的に不安定なとき、多くのタンゴミュージシャンがフランスに亡命しました。そんな影響もあり、いまや フランスは世界第2位のタンゴ王国です。日本は、というと世界的なタンゴの資料館という面があるほどの根強いタンゴ愛好国です。

(初来日のバンドネオン奏者、オリヴィエ・マヌーリ)
(初来日のバンドネオン奏者、オリヴィエ・マヌーリ)

フランス人であるオリヴィエ・マヌーリはそんな亡命バンドネオン奏者(ファン・ホセ・モサリーニ)に楽器を習いました。一方、モロッコ生まれのフランス人ジャン・サスポータスは、ピナ・バウシュの本拠地ドイツ・ブパタルに住み、共同経営する「カフェ・アダ」でタンゴイヴェントをプロデュースし、ピナの演目「バンドネオン」には毎回参加しています。今のパートナーとはタンゴダンスのカップルとして会ったそうです。齋藤徹は1986年にブエノス・アイレスに行き、巨匠オスワルド・プグリエーセと共演を果たし、帰国後もいくつかのタンゴプロジェクトを展開してきました。

本場の人よりも 異邦人の方が本質を掴むことがあります。オリヴィエ・マヌーリはブエノス・アイレスのタンゴ・アカデミーでタンゴのレクチャーをするほどの博識。齋藤徹が生み出したコントラバスのタンゴ・ジュンバ奏法は多くの奏者が取り入れています。乾千恵から始まった輪がテツ・ジャン・オリヴィエをまきこんで、さらに個性豊かなゲスト(画家・ダンサー・歌手・ギタリスト・タンゴ楽団)を迎えての今回の日本ツアー は、さまざまな成果が期待されています。

今回、演奏する曲は頻繁に演奏されるピアソラ作品ではなく、1950年代のパリ留学時代に作られたものが多く含まれます。西洋クラシック作曲家を目指していたピアソラが師ナディア・ブーランジェの示唆で、「自らのルーツであるタンゴ音楽家になろう」という重大な決意したターニング・ポイントでした。その力強い決意が熱となって数多くの作品を作りました。「処女作には以降の作品が目次のように揃っている」という事がここでも言えそうです。ピアソラはニューヨークで育ち、ジャズ、現代音楽など彼の人生のすべてをタンゴに注入しました。そしてそれが今やタンゴの本流となっているのです。異端と異端が線で繋がり、本流を作るという「芸能の真実」は洋の東西を問わず言えるのです。

(乾千恵・齋藤徹・バール・フィリップス野崎観音にて)
(乾千恵・齋藤徹・バール・フィリップス野崎観音にて)

日本では、タンゴブームが何年かおきにやってきます。ダンスと音楽、歌と音楽の健やかな関係が人気を持続させているのでしょう。いかに商業の仕業とはいえ、そのアナログなチカラは、人を惹きつけてやまない何かがあります。

時代のターニング・ポイントである今、異邦人達のタンゴが架空の故郷を幻視させてくれるでしょうか。 あえてアルゼンチン人のいないタンゴの異邦人達の共演は未来に繋がる何か大事なものを思い出させてくれるはず。