沢井一恵(さわいかずえ 8日 ホールエッグファーム 箏・17絃)
知り合ってずいぶん経ちます。韓国・タイ・ラオス・シンガポール・ハワイ・ニューヨーク・フランス・ベルギー・スイス・日本各地、豪華な舞台から場末のライブハウス、演劇音楽を連日やった工場跡地までいろいろ想い出あります。
最近でた一恵さんのCDに私のこんな文章が引用されています。([THE SAWAI KAZUE] 邦楽ジャーナル 私とのデュオが一曲収録されています。)
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「一恵さんとの演奏は、「共演」ではない。演奏する私も、録音技師も、プロデューサーも、観客も、名誉ある「立会人」になるのみだ。今・ここで起こっていることすべてを共有したいという意識になる。」
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あの小さな身体を使って「何者か」が演奏している、そう思うときがあります。それもかなりの「何者か」です。決して本人が好きでやっているのではないようなのです。なかなか堪忍してくれません。徹底的にやらせるのです。
棒で叩くのだって、彼女自身は絶対に叩きたくない!のに叩く。その心の振れ幅が、単なる奏法としての「叩く」とは別次元の出来事になるのです。
グバイドゥーリナの初演では、最後の一音でプリペアードで使っていたグラスが粉々になったり、サルドノ・クスモと生田神社で共演した時は、木の枝で演奏し失神した、とか逸話・伝説は数多。その演奏姿を見て人生を変えてしまった人を何人も知っています。特にnon-Japaneseには堪らないようです。
その「何者か」がいる限り、演奏し続けなければならない宿命なのでしょう。演奏を辞めることは許されない。ある時期、立て続けにご家族を亡くされた時「良い人から逝っちゃうのよ」とボソッとつぶやいたのは「何者か」がちょっと顔をだしたのでしょうか?
一恵さん個人の裁量で、何人ものお弟子さんを外国に派遣していた時代がありました。箏を世界に広めたいという願いとともに、ひとりひとりの音楽と将来を考えてのことでした。今と違って、東京芸大卒業生しか国内で仕事の無かったころです。それと時を同じくして沢井一恵アンサンブルとして世界のさまざまなフェスティバルに出演していました。メンバーおよび聴衆に最大級の影響をあたえたのでしょう。
その種がいくつもいくつも、オランダで、タイで、オーストラリアで、フランスで、アメリカで花を咲かせています。その「何者か」も散らばっているのでしょうか?それとも一恵さん個人のものなのでしょうか?
N響とアメリカツアーをやり、首相が来ていようが、聴衆5人のライブハウスでやろうが、全く差別がありません。今回も共演者・聴衆を「立会人」にして独走するのでしょうか・・・