ポレポレ坐ゲスト紹介

工藤丈輝 (くどうたけてる 21日 ポレポレ坐)

初めて会ったのは劇団「太虛」(TAO)の「白鬚のリア」第三部でした。東向島、昔なら墨東と呼ばれた色町に住友ベークライトの一万坪の工場があり、それを解体した空き地で「白鬚のリア」を3部でやり、その間もハイナー・ミュラーや岸田理生の脚本で演劇をしたい放題やりました。この話はまた長くなりそうなので・・・

第三部で三女コーデリアをやったのが工藤丈輝さん。薄物を羽織り台詞なしに動く彼の姿に客席から声がかかっていました。リア王が若松武さん。役者は天井桟敷、早稲田小劇場、転形劇場、第三エロチカなどから選ばれた人たち。音は、沢井一恵アンサンブル、板橋文夫、伊藤啓太と私でした。これらのメンバーで毎日ライブなのですから、今考えると贅沢ですよね。役者の人の中にはメジャーに行って亡くなってしまった人も、ものまねお笑い芸人になって一世風靡したひとも、さまざまです。演劇の一番すぐれた面はその猥雑性?かとも。

土方巽アスベスト館のメンバーもよく出入りをしていました。演劇と舞踏の差はほとんど無かったようでした。土方巽、寺山修司、鈴木忠志などなどの巨大なカリスマを抱え一時代を築いた仲間意識のようなものが見えていました。山下洋輔さんのフリージャズもその中にいたのでしょう。

ともかくそれから丈輝さんとのつき合いが始まりました。当時はともっかく無茶なヤツでした。受け身もせず真っ直ぐ後ろに倒れるは、あばら骨を折りながらもやるはでした。

アスベスト館は土方さん亡き後、かつての仲間たち(今や功成り名を遂げた著名文化人が多い)が恩返しの意味もあり、ワークショップや公演をさかんに手伝っていました。丈輝さんとはその流れでポーランドでアバカノヴィッチさんとのコラボレーションをやったり、広島、秋田、福岡、熊本、いろいろ回りました。

言葉遣いが丁寧で礼儀を守り、酒の飲み方には一流の美意識を持ち、立ち居振る舞いすべてが「工藤丈輝」でした。一時「山海塾」にも在席して、フランスによく行っていました。私のフランスツアーとニアミスになったこともありました。

何となく関係も続いていましたが、元藤さんも亡くなると、私の方から声をかけようと思い、「20年続くならやろうぜ」ということになり、だいたい年の暮れにやっています。もう今年は5年目。15年後は,お互いどうなっているのでしょう?

私は「ジャンル」というものに固執することは全くありません。逆に「ジャズ」や「タンゴ」や「舞踏」などのジャンルに飛び込んでいる人達を羨ましくさえ思います。「工藤丈輝」には「舞踏」ではなく一人の人間として立っていて欲しいと勝手に思うようになりました。

ジャズにはジャズ界があり関係者がいて聴衆がいて主催者がいて、仕事もその中でできます。舞踏にもそういう面があるのでしょう。その中でやっている方が仕事はあるし、外に対してわかりやすい。しかしちょっと窮屈ではないでしょうか。白塗りをして褌を締めると、最後には脱ぐという構成から自由になれない。即興性も目減りして発見が少なくなる。もちろん「舞踏」をやるな、とは言えません。ただ、私とやるときは、塗ったり、脱いだりしないで、一人の人間としてやってみてはどうか?そういう願いました。

20年計画が進行していると、北海道や仙台(あべひげさんの最後期)シドニーからも声がかかり、1年に1回以上やる状態になっています。

人に期待するということは、とりもなおさず自分への鏡だと思います。心配しなくても、彼は、期待すればするほど、期待を裏切るヤツです。結局、その人を通して自分を見ることができるのは、大事な仲間なのです。同じような考えの人ばかりでは世の中つまらない。違う人と演奏を通じて思いがけない発見をし、知らない自分に出会い、時と空間を共有できたなら、それは価値が増します。

20年シリーズから
20年シリーズから
仙台公演から
仙台公演から
シドニー公演から
シドニー公演から

上村なおか(うえむらなおか 21日 ポレポレ坐)

こんなに無防備な輪郭を持つダンサーはなかなかいません。だいたいのダンサーは自分が好きです。そのために輪郭が重く固くなりがちです。そうするとアンテナへの電波の入りが悪くなる。まあ、そうやって集中して「個人名」のダンスをつくり「さすが○○さんだ」と評価される。スターはそういう人が多い。他のジャンルでも共通します。

それとは別に、輪郭が薄い人は、回りの様子を全部受け入れてしまいます。自分なんてどうでもいいのです。ただ、その時に、自分を投げ出す勇気があるかが大事。受け入れることで崩れていっては元も子もありません。水泳の息継ぎのように、全部息を吐ききれば、自然と吸えて良い循環が始まります。空気が無くなることを怖れちょっと残しておくと、だんだん呼吸が乱れてきて、溺れます。

なおかさんは初めから身につけているようです。多くの美術家にとりわけ評判が高いのもそんな理由からかも知れません。

踊ることでエネルギーを得て生きている新生物?だから命がかかっている。命がけで踊らねばならないのでしょう。良い踊りをしようとか、うまく踊ろうという意識から自由にいることが出来る・・稀な才能です。

小林裕児さんの絵の前で踊ると、本当に絵の中に入っているようです。