2019.5.11. 徹と徹の部屋vol.4(徹の部屋vol.46)
岩下徹です。昨年12・15(土)徹と徹の部屋vol.3 (徹の部屋vol.45)@ポレポレ坐、またしても極めて得難い機会を頂き、心より感謝申し上げます。あのスペースにて三度踊らせて頂きましたが、その都度60分前後の時間を能う限り生き抜こうと努めました。私に出来ることは、せいぜいそのことだけだからです。もしこのことを御座成りにしたのなら、即興で踊る私は終わって仕舞います。30余年に亘り踊り続けておりますが、何時まで経っても愚直そのものの体たらくでおりますことを、お恥ずかしい限りに存じます。が、他にやりようが有ったならば、既にやっていたでしょう。また、加齢による諸能力の低下を隠し果せる術も全く持ち合わせておりません。然し、そんなちっぽけな個人的な事情など一切お構いなく、あの場は自己を創出したと思われます。ああしなくちゃ、こうしなくちゃ、などという思考が殆ど働かなくなっていたせいかも知れません。果たせる哉、私の勝手な拘りなぞ、最早どうでも良くなっておりました。矢張り、今回も私の意の儘になることは殆んど無かったのです。否、そのように小さな個人の意志を軽々と超え出て、意図しないところに図らずも立ち現れる大いなるもの。「踊りだってそうですよ。あらわれてくるもの、押し出されてくるものが重要なんであってね・・・」(土方巽)そこには、自-他を超えた共-同の場、非人称的な地平のようなもの、が開かれようとしていると感じました。これこそ、私が最も求めているものです。如何にして、「私は私」というような果てしない同語反復から逃れられるか?如何にして、矮小な自我(エゴ)の壁を超えられるか?私が10代の頃から問い続けている問いですが、還暦を過ぎても尚、未だ正解のない問い掛けの途上に在ります。これはもう、成るようにしか成らないでしょう。成るようにしか成らないということは、即興に於いても同じです。即興と人生は何処かで通じている、と考えられます。誰しも、独りで生まれ独りで死にます。何人たりとも、このことから逃れることは出来ません。その孤独”solitude”の深い闇が有る故に、私達は連帯”solidarity”を求めるのでしょうか・・・?だからこそ、先日のような即興セッション公演を、文字通り公(おおやけ)にする意義が有るのかも知れません。テツさんは今回、バッハ無伴奏チェロ組曲第5番を演奏されたと伺っております。それは、或る時は‘バッハ’の語源であると聞く「小川」のせせらぎになり、また或る時は激流と化し、そしてまた或る時は伏流となって、驚くほど自在に生成変化しました。就中、まるで2、3粒の水滴のような音。その音と音の間の静寂が、張り裂けんばかりの力で漲りました。こんな演奏は、未だ嘗て聴いたことがない!そうです!テツさんの演奏は病を得られる前よりも後の方が、よりその強度と透明度が高まっているということ、を改めてこの身に強く刻み込まれた次第です。病気や怪我、障碍等が、その人の表現を必ずしも貧しくして仕舞うのでなく、むしろその一切合財を背負うことによって、反ってその人の表現が豊かなものに成り得るということ、をよりハッキリと目の当たりに致しました。このことは、必ずや多くの方々にとりましても大きな≪希望≫となることでしょう。一寸先は闇、これは誰にとっても同じことです。では、<ここ・いま>をどう生きるか・・・?即興では、そのことがいつも常に絶えず真っ直ぐ問われているのです。全く誤魔化しようが有りません。次回5・11(土)も、その問い掛けが更に新たなものとなるでしょう。どうか、私ども齋藤徹・岩下徹の 徹と徹の部屋vol.4 (徹の部屋vol.46)にお立ち会い頂きますように。岩下徹
本公演は齋藤徹さん(コントラバス演奏・作曲)が体調不良により
ご出演いただくことが難しい状況となりました。
楽しみにしてくださっている皆様には申し訳ありません。
ご相談の結果、岩下徹さんより、ひとりでも開催の方向で、とのお申し出をいただき、
ポレポレ坐としましてもそのように開催したいと考えております。
「徹(テツ)の居ない徹(とおる)の部屋」
無音での試みとなりますが、是非お立会いくださいますよう、お願いいたします。
2018.12.15. 徹と徹の部屋vol.3(徹の部屋vol.45)
岩下徹さん、ジャン・サスポータスさんをワークショップにお招きしたことがあります。おふたりは、山海塾・ピナ・バウシュ舞踊団との長年にわたる活動で知られ、世界中が新しい時代のダンスとして刮目した活動の中心にいました。そのおふたりが異口同音に「自分はテクニックがないのです」とおっしゃったので驚いてしまいました。私は病を得て、副作用による痺れ・浮腫み、手足の硬化、筋肉の衰えなどで、思ったように演奏はできません。「こうしたい」のにできない、「ああしたい」のにこうなってしまう、という状況が続いています。なり始めの頃は、「テクニック」が落ちたな~これじゃ40年前の初心者と同じだわな〜と諦観せざるを得ませんでした。リタイアも考えねばと、とても哀しい気持ちでした。しかし、お世辞かも知れませんが「前より良いよ!」「ビンビン伝わってくるよ」と言ってくれる人も複数いらっしゃいました。2回の「徹と徹の部屋」も大きな励ましになりました。音にならなかったもの、でて来れなかった音達も加わって伝わっているのかな~とも想像しました。それを思うとテクニックとは、単に「自己満足」の領域かもしれません。やれることとやれないことの統合した一人のニンゲンとして、楽器を前にし、岩下徹さんと対峙する!そんなことができるのか、私は何をやるのか?ワクワクドキドキ、いやある意味イノチガケです。楽器を持たずに演奏家がどうやって立っていられるか?という海童道の詰問がまさにこの目の前にあります。「テクニック」には、1:基礎技術(現在に至るまで、関わってきた人達の業績・歴史と願い・夢)があります。科学における「基礎研究」と似ていて一見無駄なことも多い。そこから、2:「自分の言いたいことが実現出来る技術があれば良いのでは」という考え、さらに3:「自分の言いたいことを超えたものが来た時にそれを受け止めて自分を通すことができる方法」としてのテクニックも有り得ます。自分の思ったとおりは、実はツマラナイし、たかが知れています。自己満足でしかありません。岩下徹さんは、よく、自分を投げ出す、自分を通して出てくるものに従う、とおっしゃいます。長年、きびしく身体を鍛えていらっしゃるのは、そのためかと推察します。「その時のために準備をしている」と推察できるのです。私は最近それを強く感じています。その時・その場でのできる限りのあらゆる情報を汲み取って、身体と心を開いてなげだして「即興」的に処理する、それしかありえない!当分、一期一会、総力戦・持久戦が続きます。何はともあれ、いま・ここに生きていることを寿ぎ、愉快に、堂々と、ポレポレ坐に立ちたいと強く思います。この状態での私を受け入れてくださっている岩下徹さんとポレポレ坐に深く感謝します。
2018.7.14. 徹と徹の部屋vol.2(徹の部屋vol.44)
岩下徹です。去る4・5(木)徹と徹の部屋vol.1 (徹の部屋vol.43)@ポレポレ坐では、得難い機会を頂き、感謝に堪えません。初めてあのスペースで踊らせて頂きましたが、60分弱の時間を私なりに全力で生きようと努めました。果たせるかな、残念ながらそのことは決して私の意の儘にはなりませんでした。特に、テツさんがバッハの曲を演奏された時の強さ!それは、’バッハ’の語源であると聞く「小川」のせせらぎどころか、その激流が私を押し流して仕舞ったかのよう。トークの場でも申し上げましたが、テツさんの演奏は病を得られる前より後の方が、よりその強度と鮮明度が高まっていると、この身をもって痛く感じ入った次第です。病気や怪我、障碍等の制約が、その人の表現を必ずしも貧しくして仕舞うのでなく、むしろそれを受け容れることによって、反ってその人の表現が豊かなものに成り得る、ということを目の当たりに致しました。このことは、多くの方々にとりましても大きな≪希望≫となることでしょう。私も、加齢による諸能力の低下は隠し果せる術を全く持っておりません。が、そんなちっぽけな個人的な事情など全くお構い無く、あの場が生成したものと思われます。途中から、ああしなくちゃ、こうしなくちゃ、などという詰まらない思考が殆ど働かなくなっておりました。最後には、最早「私」なぞ、どうでも良くなっていたのです。それは、自-他を超えた共-同の場、非人称的な地平のようなものが、自己創出しようとしていたからに違いありません。これこそ、私が最も求めているものです。如何にして、「私は私」という同語反復から逃れられるのか?如何にして、自我(エゴ)の壁を超えられるのか?私が10代後半の頃からの問いですが、還暦を過ぎても尚、未だ答えの出ない問い掛けの途上に在ります。これはもう、成るようにしか成らないでしょう。成るようにしか成らないということは、即興でも同じです。即興と人生とは何処かで相通じている、と私は思っております。
この点に於いて、過日のような即興セッション公演を、文字通り公(おおやけ)にしてゆく意義が有るかも知れない、と・・・。「生まれたことが即興じゃないの?」(土方巽)然り!ならば、<いま・ここ>を活き活きと活きようとすることも即興でしょう。一寸先は闇、これは誰にとっても同じ。では、今をどう生きるか・・・?即興では、そのことがいつも常に絶えず問われているのです。次回7・14(土)も、その問い掛けがまた新たに為されるでしょう。と、齋藤徹さんもほぼ同じようにお考えになっている、と勝手に想像致しております。どうか、私共の 徹と徹の部屋vol.2 (徹の部屋vol.44)にお立ち会い頂きますよう。
岩下徹
2018.4.5. 徹と徹の部屋vol.1(徹の部屋vol.43)
徹の部屋がポレポレ坐に帰ってきます。もう一人の徹(岩下徹 ダンス)を伴って「徹と徹の部屋」です。何回か続けます!
春です。と言ってもこれを書いているのは極寒の2月。暖かな穏やかな桜の季節の想像をしています。一昨年十月末にジャン・サスポータス、森田志保という2人のダンサーとの「ポレポレ坐・徹の部屋vol.42、ジーラ・ジーラ」直後から入院手術を繰り返し、再びこの場所に帰ってくることはとても感慨深いです。前回、2人のダンサーと成熟したパフォーマンスができるようになったことをとても印象深く覚えています。ここポレポレ坐で試行錯誤を42回繰り返し、聴衆と共に育って行き、こういうことができるようになったのだな~としみじみ思ったものでした。そして今回は岩下徹さんをお招きしての会になります。「徹と徹の部屋」としてシリーズでやってみようと思います。岩下さんとは同年代(還暦過ぎ)。名前の表記も同じ。(パートナーの名前も同じ)。学生の時に「生き方として」それぞれの道を選んだことも同じ。(幼少期から訓練し、なるべくしたなった人達とは大きく違います)それぞれの道を選んで40年経ちました。厳しい現実の中でも、多くのすばらしい出会いがあり、感動があり、なんとか続けてくることができました。私の場合は、止めることを考える余裕もありませんでした。先日私のワークショップ(@いずるば)にゲストとしてお招きし、大変素晴らしいパフォーマンスおよび対談をしていただきました。その中で「私の中にはもう新しいものなどありません。開くしかないのです。特に自然の中で開くと良いです。」という言葉がとても印象的でした。お互い、40年のキャリアの中で多くの経験と知恵を身につけ、人を知り、社会を知るなかで、だんだんと老いる身体を受け入れ、その中でも「即興」の可能性を考え続けています。その彼が「開くしかない」というのは印象的でした。膨大な知恵と経験の中、テクニックや演出で、いくらでも世の中を「騙し」自分を、偉そうに、秘密があるように、見せることができるのに、老いゆく身体をさらして「開くしかない」とおっしゃった境地はすばらしいと思いました。次世代に希望や夢を抱かせるのは華々しい業績や成功ではなくこういう生のことばではないでしょうか。「若い者には負けないぞ~」という発想は全くありませんが、2人の徹と徹はまだまだやる気満々ですし、やりたいことはたくさんあります。是非、「徹と徹の部屋」をシリーズでご鑑賞いただき、私たちと共に「開いて」いけば、「今はどういうときか?」「ここはどこなのか?」「わたしたちはどこからきてどこへいくのか?」をご一緒に思うことができるのではと思っております。
2017.7.10. 徹の部屋vol.42「伝統と現代はコインの裏表だった!」
GUEST:ミッシェル・ドネダ(ソプラノサックス)
レ・クアン・ニン Le Quan Ninh(打楽器)
田中悠美子(三味線・大正琴・声)
黒田鈴尊(尺八)
深山マクイーン時田(箏)
大塚惇平(笙)
ポレポレ坐に徹の部屋が帰ってきます。私が病気入院している間にいろいろな演奏現場が無くなってしまっていました。それを考えるとこの徹の部屋、何と嬉しいことでしょう!数えて42回目。私の音楽史が未来へ繋がったのです。今回は、親友ミッシェル・ドネダ(ソプラノサックス)とレ・クアン・ニン(打楽器)と私のトリオツアーの一環です。前回の来日の時もポレポレ坐で「こいつぁめでたい大千秋楽」としてやりました。素晴らしい想い出です。それは2011年、地震・原発の影響がまだまだ濃い時期で、来日ミュージシャンのキャンセル、国外脱出などが頻繁だった中のツアーでした。6年後の2017年7月、彼らが共演30周年ワールドツアーの一環としての来日です。さて、ポレポレ坐ではどういう趣向にしようか?最もふさわしい迎え方は?昨年夏、スイスのピアニスト、ジャック・ディミエールさんが来日した時、邦楽・雅楽の演奏家との共演のライブをいくつか作りました。何か大きな新しい波が来ていることを実感させる素晴らしい時間でした。そうだ、これだ!これしかない!ということで、ゲストがあっと言う間に決まりました。いずれも国内外で大活躍中の素晴らしい演奏家です。邦楽・雅楽(伝統音楽)をやっているという事を軽く越えた意識で、広く大きく現代を、音楽を捉え、世の中に刺激を与えている人達です。即興音楽を貫いて来たミッシェル、ニン。出逢い・共演するのは「今」「ポレポレ坐」!
これは「偶然ではなく必然だった」と 将来みんなで話すことになるのです。
【お知らせ】
齋藤徹さんの本公演への出演がキャンセルとなりました。
同ツアーのアテンド、ゲストのコーディネートふくめ、
すべて手がけられた齋藤徹さんの不在は大変残念なことではありますが、
他のメンバーはそのままに、日時も変更なく開催する予定でおります。
とても素敵なライブになることと思いますので、ぜひご参加いただけたらと思います。
ご来場心よりお待ちしております。
2017/6/19 space&cafeポレポレ坐
以下、齋藤徹さんからのメッセージです。
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急告!
大変苦渋の報告をしなければなりません。
私の病状が変化し、手術を少しでも急がねばならないことになりました。
本当に本当に残念ですが、ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニンさんとの
日本ツアーに参加出来ない状況になってしまいました。
(最後の方には回復して駆けつけることを夢想しています。)
7月16日に予定されていた岡本寺はキャンセルですが、
その他の全てのLIVEは予定通りに行います。
16日は、大阪でLIVEを行うことになりました。
(場所等は決まり次第お伝えします)
元々、お二人のデュオ結成30周年記念ワールドツアーの
一環でしたので、まったく問題はございません。
私は手術を乗り越えて、2人とのツアーを
近い日に補填・実施することを励みに何としても生き延びるつもりです。
どうぞ、ご理解・ご了承の程、よろしくお願い申し上げます。
6月19日 齋藤徹 拝
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2016.10.21. 徹の部屋vol.41「ジーラジーラ」
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、森田志保(ダンス)
2人の美しいダンサーが普段の靴を脱ぎ、回り・さまよい、踊り続けます。ジーラ・ジーラ。「ジャン・サスポータス」「森田志保」経験も志も願いも誇りもルックスも人生も大変高いレベルで釣り合っている2人がゲストです。 惚れ惚れしますね~。 しかし、恵まれた身体や経験・技術に甘んじるところなど皆無なのです。 強欲なまでにダンスを生きているのです。ダンスで人生をしているのです。 フラメンコとか、コンテンポラリーとか、ピナとか、ジャンルは関係ありません。 名前はダンスの後に付けられるだけのものです。(音楽もそのようにありたいものです。) ここポレポレ坐では、階下が映画館なので、フラメンコシューズは履けません。 志保さんは「ハイ」と受け入れます。フラメンコの実現を目指しているわけではないのです。 通常は長期間のリハーサルを必須とするジャンさんも、即興ということで、 そして何回かの志保さんとの共演の印象から快く引き受けてくれました。 2人とも何が大切なのかの優先順位が確立されていて、過つことなどないのです。 私は伴奏をするだけでも幸甚ですが、一緒に舞台で踊っちゃいます。 「ジーラジーラ」とは、エンリケ・ディセポロ作の古典タンゴ、カルロス・ガルデルの歌唱で有名です。 隠語だらけの歌詞ですが、「回れ、回れ」とか「さまよえ、さまよえ」という意味とのこと。 野口三千三さんは、「踊りとは何かを探す仕草だ」と言いました。 いつもの靴を脱いだ志保さんと裸足のジャンさんが何かを探して踊ります。 同じく、「音楽とは何かを呼ぶ仕草だ」と言います。私は2人に、世の中に、自分自身に「呼びかけ続けます」。 探す線、呼びかける線、必ずどこかで交差します。そのスパークを体験したいと願っています。 皆さま、迷って、回って、さまよってふらふらと東中野ポレポレ坐へぜひお立ち寄りください。
2016.8.20.徹の部屋vol.40「Distance ー ディスタンス(距離)」
GUEST:久田舜一郎(小鼓)、イサベル・デュトア(ヴォイス・クラリネット)、 庄﨑隆志(身体表現)
伝統と現代、西洋と東洋、聞こえると聞こえない、男と女、作品と即興、 音楽と動き、さまざまなディスタンスをどう際立たせるのか? どう乗り越えるのか?どう歩み寄るのか?どう逃げるか? ああ麗はしい距離(ディスタンス)、 つねに遠のいていゆく風景・・・・・・ 悲しみの彼方、母への、 捜り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)『一穂』
2016.3.11.徹の部屋vol.39「 ヨーロッパツアー壮行+CD「挟み撃ち!」完成記念LIVE」
GUEST:喜多直毅(ヴァイオリン)
4月~5月と齋藤徹と喜多直毅はヨーロッパツアーに出かけます。 メインはブッパタール(ドイツ)で行われる自閉症施設40周年記念パフォーマンスで、朋友ジャン・サスポータスたちと公演をします。その他フランス、スイス、ドイツで様々なLIVEが予定され、ヨーロッパの旧友・新たな友人とのセッションも企画されています。(共演予定:フレデリック・ブロンディ、ミッシェル・ドネダ、ウルス・ライムグルーバー、ジャック・ディミエール、皆藤千香子、ウテ・フォルカー、ヴォルフガング・ズーフナー等々) また、2人で行ってきたライブシリーズ「挟み撃ち!」からザビエ・シャルル、ロジャー・ターナー、タツヤ・ナカタニ、今井和雄、久田舜一郎、沢井一恵を挟み撃った(撃たれた)トラックが収録したCDが出来上がります。このCDを持ってヨーロッパに乗り込みます。 徹・直毅デュオは、1月のソウルツアーに続く海外遠征です。2012年のこの日は、ジャン・サスポータスとともにブッパタールで公演をしました。 心に留めるべきこの日のポレポレライブ、どうぞご参加ください。
2015.8.29.徹の部屋vol.38「 Two is company」
GUEST:かみむら泰一(サックス)
泰一・徹デュオシリーズは「ブラジルのショーロ」と「インプロ」を演奏しようと泰一リーダーで始まりました。 その後、ジャン・サスポータス(ダンス)やタツヤ・ナカタニ(パーカッション)とのインプロセッション、 橋本学(ドラムス)とのジャズセッション、竜太郎10番勝負!での多ジャンルフリーセッション、池内晶子 (インスタレーション)とのセッションを経て、演奏内容もどんどん変化しています。 そしてなにより私たち自身が自らの変化を楽しく受け入れています。 今回初めて名前の順序が逆にしています。徹のホームポレポレですので、徹の選曲で行うための変化です。 もはや、ショーロ、オリジナル、ジャズ、インプロなどのジャンルの違いという意識は無くなっています。 ゆっくり、ていねいにやってきた成果だと思っています。 真夏の宵に、しっとりとベースとサックスのデュオ、いかがでしょう?
【かみむら泰一コメント】 4,5年前に、横浜エアジンで初めて齋藤徹さんの主催するベース5人のアンサンブルを聴きました。その時の衝撃がいまだにわすれられません。そのころは東京の即興シーンで活動していて、自分の求める音世界、在り方はどういうものか、探していた時で、齋藤徹氏の音にヒントがあるとその時、直感しました。その後何度か演奏を聞きにいき、昨年から齋藤徹氏と共演を始め、今年は定期的にDuoをベースに演奏活動を行うようになりました。共演をするにあたり徹さんが私の作品を聴いて、ショーロを一緒に演奏してみないかと提案してくださったのが、Duoの第一歩目のように思います。今まで聴いたことのなかったブラジルのショーロ、ショーロを演奏する中でこの音楽は「よりそう」音楽だなあと思いました。ジャズとは、反対のベクトルの音楽(ジャズは,個性重視、自己主張の強い音楽)だなと。共演を重ねる中で、いままでの自分の音、響きの空間の感覚も、1,2回と揺り動かされ、一から道具を見直し楽器のセッティングを試行錯誤しました。自分の音、響き、空間感が、以前よりも小さな変化で表現できるようになり、音世界が広がりをもって感じられるようになりました。そしてダンサーのジャン・サスポータスさんや荻野竜太郎さんとの共演により、身体性ということと、重ねて即興演奏について、改めて「開かれた意識、世界へ」ということが、即興演奏という表現方法がもっている重要な要素だと認識するようになりました。さて今回は今一度Duoに立ち返り、向き合いどんな果実を収穫できるか、皆さんでこの場をシェアできれば幸いです。
2015.5.26.徹の部屋vol.37「もう一つのインプロビゼーション・いっぽはみだすために」
GUEST:ジャンサスポータス(ダンス)、ヴォルフガング・ズーフナー(チューバ)、 ウテ・フェルカー(アコーディオン)、熊坂路得子(アコーディオン) 、田嶋真佐雄(コントラバス)
ウテさん・ヴォルフガングさん帰国前日ですが、念願の「徹の部屋」実現出来ました。たいへんうれしいです。 ジャンさん・ウテさん・ヴォルフガングさんは昨年9月のドイツツアー(矢萩竜太郎10番勝負!ドイツ編)でご一緒しました。その時の感動が忘れられず、再会を熱望し今回に至りました。竜太郎さん(ダウン症のダンサー)を招聘してくれたのがウテさんでした。インプロの共演者ならいくらでも見つかるヨーロッパにいるのに竜太郎さんや私との共演を願っていると言う点からでもウテさんの音楽・人生・インプロへの動機が見えます。 ヴォルフガングさんはブッパタールでのジャンさんの親友です。毎日のように、御近所の彼とは愛犬スロッギーを伴い森を散歩しています。演出家として、俳優として、演奏家として様々な舞台に関わるヴォルフガングさんも「普通」のヨーロッパインプロバイザーとは一線を画します。 ポレポレ坐お馴染みのジャンさんは、ピナ・バウシュ舞踊団のゲスト・ソロダンサーとして、創立期からの知識、経験、方法を若い団員に伝えながらも独自の活動を展開中です。齋藤徹とのデュオの他にも、ドイツとフランスで自閉症や障がい者とダンスに取り組み始めています。 そして、日本から熊坂路得子(アコーディオン)田嶋真佐雄(コントラバス)が参加します。 「国民の妹」のような可愛らしいルッちゃんですが、実は彼女の音楽を成り立たせているものは巨大で制御できないものをも孕んでいるようにみえます。その得体の知れないものが彼女の身体を借りて表現しているようなのです。同じ楽器で女性のウテさんとの共演を目論みました。日独のアコーディオンの橋は、日仏のそれと全く違う形をでしょう。 「倍音の森」の田嶋真佐雄さんのこの頃の活躍には目を見張ります。ベースアンサンブル弦311のメンバーとして一緒にISB(国際ベーシスト協会)のコンヴェンションに出演したころから音楽も人間も急に大きく開き、みるみる成長してきました。お子さんの誕生も良い影響を与えているでしょう。今回のメンバーでどのように演奏するのか本当に楽しみです。 インプロか作品かは対立項ではありません。インプロの対義語は作曲ではないのです。インプロの対義語は「常識」であり、さらにいえば「自分自身」なのです。そんなことを体感できるセッションになるでしょう。 「あたりまえのこと」から一歩はみだすことから様々なものが見えてきます。「きれい」が「うつくしさ」にかわる驚きと発見です。そんな体験を是非みなさまとポレポレ坐にてご一緒に共有したいと熱望しております。
(注)「いっぽ はみだすために」は渡辺洋さんの最後の詩集「最後の恋」(書肆山田)の最後の詩より拝借しました。 ふりかえるまなざし いっぽ ふみだすことや はみだすことで うつくしさは はじまる ゆたかさや じょうほうに おぼれて たゆたっている きれいさが うつくしさに かわるのは そのとき いまが そのとき ねばりづよく
2015.4.15.徹の部屋vol.36 「挟み撃ち!vol.3」
GUEST:今井和雄(ギター)、喜多直毅(ヴァイオリン)
喜多直毅(vl.)と始めた「挟み撃ち!」シリーズ。 今回はいよいよホームグランド「徹の部屋」でギタリストの今井和雄さんを迎えます。 同い年の今井さんと50歳になった(2人で100歳)機会に「Orbit」というデュオシリーズを始動、Orbit0(デュオ)Orbit1(with Michel Doneda)Orbit2(withBarre Phillps, Urs Leimgruber, Jack Demieer,Lauren Newton)という3枚のCDを残しました。デュオ+沢井一恵、Michel Doneda、Le Quan Ninhで「影の時 Le Chance pour O’mble」を作りカナダ・フランスツアーにも出かけました。 いろいろな意味で「今だ!」と直感して今回の開催となりました。お楽しみに! *挟み撃ち!シリーズは、齋藤徹と喜多直毅が、生楽器によるギリギリの即興演奏を、Barre Phillips, Michel Doneda, Le Quan,Ninh, Bertrand Gauguet, Xavier Charles, Sebastian Gramss,Tatsuya Nakatani, Roger Turnerをゲストに続けてきて成果を上げています。
2015.2.12.徹の部屋vol.35「オペリータ”うたをさがして”CD/DVD完成記念ライブ」
GUEST:松本泰子(うた) 、さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)、北村聡(バンドネオン)
一年間準備をしてきた歌手(さとうじゅんこ)まさかの急病のため、初日3日前に松本泰子さんに代役を頼みました。 彼女のスケジュールが空いていたことも奇跡でしたが、3日後に、十数曲の新曲を歌うということはどんな状況か、容易に想像がつきます。 それを見事にこなし初日が開けました。身体も心もばらばらになるような緊張が続くツアー、しかも、由緒ある京都の能舞台での公演、 多くの先達の汗と夢が染みこんだ舞台。底冷えのする日でしたが、全出演者が熱く燃えていました。その記録がこのDVDに鮮明に、克明に記録されています。 泰子さんが奇跡の代役を果たしつつあるツアーの最終段階、さとうじゅんこさんの病が奇跡的に癒え、参加できるかも分からないまま、 矢も楯もたまらず合流しました。2人の歌姫を迎えた広島公演、会場(ゲバントホール)の優れた音響にも恵まれて素晴らしい録音が残されていました。 それは歌う歓びと共に、共演者・スタッフ・聴衆と繋がる大いなる生きる歓びに満ちあふれています。 うたをさがして、というタイトルが、のんびり楽しく歌を探す旅というニュアンスをはるかに越えて一人一人の人生を詰問して行きました。 そして「うたはだれのもの?」という問いと共に祝祭のコーラスとなって、生きる勇気を与え、人々の心に響き続けるでしょう。 福島をきっかけに乾千恵が物語と歌のことばを書き、齋藤徹が作曲しました。敬愛するピアソラ-フェレールの造語オペリータを使わせていただいております。
2014.12.24.徹の部屋vol.34「今日は私の日——さとうじゅんこ編」
GUEST:さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)、 熊坂路得子(アコーディオン)、矢萩竜太郎(ダンス)
このところずっと、じゅんこさんにはいろいろと無理なお願いを聞いてもらっています。 オペリータ「うたをさがして」(乾千恵さんの言葉)を歌って! アルゼンチンタンゴをアルゼンチンなまりのスペイン語で歌って! ブラジル音楽をポルトガル語で歌って! クルトワイルのフランス語の歌を歌って! ロルカやファリャのスペイン語の歌を歌って! パラグアイの歌をグラアニ語で! 母の葬儀で歌って! 適当に即興して! 適当にハーモニー付けて歌って! ドイツの詩を詠んで! クラシックの曲を歌って! オリジナルに日本語付けたから歌って! 宮沢賢治をオーストラリアの女優さんと朗読して! ちょっと思い出しただけで、それはそれは大変な要求でした。スミマセン。でもすべてシッカリ120%成し遂げました。偉い!パチパチパチパチ! それで、今回の徹の部屋は、じゅんこさんの好きなようにしてもらってお礼をしたいと思いました。 「今日は私の日」というのは、CD「うたをさがして」の中に収録したアンゲロプロス監督の映画「永遠と1日」の中の曲名です。 「なぜって今日は私の日、おどりましょう、おどるのが嫌いでも・・」
【さとうじゅんこコメント】このたびは身に余る贈り物を賜りました次第。 これまで徹さん直毅さんと積み重ねてきた音楽と、 よりによってこの日お運びくださる訳アリなみなさまと、 どんなイヴを過ごしたいのか得意の妄想が暴走。 半ばヤケクソ自爆必至な陽炎をおずおずと提案する私に サンタさんは「いいんじゃない?」と軽くおっしゃいました。 スナックじゅんじゅん、さとうの血祭り、腹黒ミサ。 あやういほど美しく苦い曲ばかり。 よいこは見ちゃダメねじれたオトナの聖夜にございます。
2014.10.23.徹の部屋vol.33「20年目のストーンアウト!withセバスチャン・グラムス」
GUEST:セバスチャン・グラムス(コントラバス)、丸田美紀(箏・17絃)、荒井美帆(箏・25絃)、黒田静鏡(尺八)、松本泰子(歌)
徹の部屋Vol.33「20年目のストーンアウト!withセバスチャン・グラムス」 20年近く途切れていた韓国との関係が2年前、急に再開しました。ダンサーの南貞鎬さんとジャン・サスポータスさんがパリ時代に同じ先生に習っていたとのことで、南さんが「いずるば」のジャンさん気の道ワークショップに現れたのがきっかけでした。南さんとソウル・アヴィニオン・ルーマニアと共演(2カ所はジャンさんも一緒)。この7月にはソウルで姜垠一(ヘーグム)のコンサートに呼ばれました。しかし一番大きなものは昨年8月の「ユーラシアンエコーズ第2章」コンサートでした。(DVD化されています。)そこで演奏したのが「STONE OUT」。20年前にKOTO VORTEXに委嘱され韓国伝統音楽の要素を使ったものです。ユーラシアンと名づけたのは、日韓・韓日関係で閉じないようにと言う願いでした。モロッコ生まれ・ユダヤ系フランス人ジャン・サスポータスの参加もその意味で有意義でした。そして今回、越境を続ける「不可能」無きがごときドイツのベーシストセバスチャン・グラムス氏の来日公演に際し、この一連の流れも組み込みたいという願いから徹の部屋での開催に漕ぎ着けました。17絃の丸田美紀さんは委嘱者の一人。美紀さんに25弦箏の荒井実帆さんを紹介していただきました。オペリータ「うたをさがして」で奇跡の代役を果たしたくれた松本泰子さんが参加、尺八の黒田静鏡さんは「ノーベンバーステップス」を聴いて人生が変わってしまった若者です。海童道と金石出さんに最大の尊敬をもっているということで今回の企画にはまさにうってつけ。韓国でのコンチェルトの話も決まっているそうです。彼らの生み出す今日版「STONE OUT」に私は大きな大きな大きな興味と関心があります。
2014.8.23.徹の部屋vol.32 「Mesa ブラジル音楽の食卓へようこそ」
GUEST:さとうじゅんこ(歌)、オオタマル(ブラジルギター)、喜多直毅(ヴァイオリン)
「好きな音楽と自分が演奏する音楽は違うのだ!」と信じ、30年以上、演奏を避けてきているので大変なことです。 また、すばらしい曲を知りすぎているので更に大変。また、広大なブラジル音楽の領域のどこをとりあげるかで大変、 そして、そして、「今・ここで・私たち」が演奏する動機をシッカリ確認することが何より大変です。 外国の音楽を演奏することの難しさは知っています。現在の音楽活動の大半が自作か即興というのもその結果です。 早々にジャズを諦めたのもその結果です。かつてピアソラの音楽だけを集中的に演奏したことがありました。好きが高じて、もうたまらん、やるしかない、という感じでした。 タンゴ・ピアソラの音楽が「自己主張」「自己表現性」の強い音楽であるのに対し、ブラジルの音楽は「うた」が何より大事で「みんなとシェア」することが自然です。 有名曲も超有名曲もどんどん取り入れます。さとうじゅんこさんに出会ったから実現出来たました。名曲も超有名曲もどんどん取り入れます。 語るようにうたうスタイルではなく、エリゼッチ・カルドーゾ、エリス・レジーナ、ナナ・カイミと繋がってきた流れです。 また、器楽的にたいへ?ん難しく、かつ、た?いへん楽しいショーロもとりあげます。 クールでオシャレな午後のティータイムのBGM音楽とは一味違うブラジル音楽をお楽しみ下さい。
2014.8.22.徹の部屋vol.31 「明 ライブ@キッドアイラックアートホール」CD発売記念ライブ
GUEST:喜多直毅(ヴァイオリン)
タイトルをどうしよう?何も決めていない即興2本だから、 タイトルは要らないよ、なんなら「one night at Kid Ailack Hall」でも「Tetsu & Naoki duo」でも良いし。 と思っていましたが、タイトルは直接、言語感覚を示すものだし、ジャケットやタイトルからイメージが拡がることもあるので、ちょっと考えて見ました。 バイオリンは太陽、コントラバスは月だろうと、長年感じていました。華やかに主旋律を歌う楽器と底辺を支える楽器。 (同様にチェロは太陽、ヴィオラは月かとも。)そんな主従関係はヤなこった、と若いときは否定してきましたが、 好きなバイオリンなら喜んで伴奏したいと思うことができるようになってきました。それぞれの立場・状況・歴史・夢があるのだ、 それを粛々と行うことに歓びさえ感じるようになったのかもしれません。「そう言うほど伴奏してないじゃん」って誰? トゥールーズでベースソロ開演前、照明担当スタッフ(日本映画ファンのアルゼンチン人)が「黒澤明」の明の意味は?と聞いてきました。 私が乾千恵さんの書「月」をインスタレーションに使っていたので、思い出したようです。私は詳しくは知らなかったので推測で「日=太陽」と「月」が合わさって明るい、 と答えておきました。彼は感じ入ったような様子でした。そしてなんとちょうど生まれた赤ん坊にAKIRAと名づけると言っていました。帰国後よく調べると、月は三日月の月ですが、 日=太陽ではなく、「冏」=窓、「窓から入る月の光が明るい」語源説が主流とのこと。 とまれ、このデュオには太陽と月が共演することが「明るさ」も夜窓から射す月光の 暖かさも感じることができます。そんな願いを込めて「明」をタイトルに選びました。 (齋藤徹 CD「明 ライブ@キッドアイラックアートホール」ライナーノートより)
2014.6.28.徹の部屋vol.30 「Two is more than company」
GUEST:さとうじゅんこ(歌)
前回、徹の部屋vol.29は豪華絢爛・歌舞音曲、史上最多の6名の共演でした。うって変わって、今回は2人です。 いままでのさまざまなユニットでのレパートリーを見つめたり、新たなことにも挑戦して、 DUOであってDUO以上は可能か?無くてはならないDUOとして捉えたらどうなるだろうか?という動機です。 うたをさがしてトリオのもう1人、喜多直毅さんとのDUOは進行中ですが、じゅんこさんとは初めてです。 西洋のことわざで言う”Two is company, four is a party, three is a crowd. One is a wanderer. (1人はさすらい、2人は仲間、3人は群衆、4人はパーティ)に倣って、 更にその上をねらっちゃいます。
2014.4.5.徹の部屋vol.29 「春爛漫!歌舞音曲の宴」
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、松本泰子(歌)、さとうじゅんこ(歌)、 丸田美紀(箏・17絃)、喜多直毅(ヴァイオリン)
春爛漫の良きお日柄でございます。ジャン・サスポータスの来日は、もはや帰国!と言っても良いのかもしれません。新年早々「オペリータうたをさがして」で聴衆・共演者・スタッフの五感を釘付けにした彼が、今回はワークショップやライブで身近にみなさまと時と空間を共にします。桜吹雪をかき分けかき分け、なにとぞ、ご参加・ご来場賜りますようお願いつか〜まつ〜りそ〜うろ〜う〜。
2014.1.24.徹の部屋vol.28 「ケ・プラセーーーーール!フリータンゴ」
GUEST:オリヴィエ・マヌーリ(バンドネオン)、さとうじゅんこ(歌)、喜多直毅(ヴァイオリン)
フリータンゴ?何それ?日本ではなんとなく馴染まない言葉ですね。オリヴィエ・マヌーリ(バンドネオン)が以前から提唱しています。美大出身で今も絵画の個展をしているオリヴィエは(兄は著名な現代音楽作曲家フィリップ・マヌーリ)音楽の楽しさ、人生の楽しさをバンドネオンで表しています。彼との合言葉は「ケ・プラセール!」(なーーんて楽しい!)です。友人オラシオ・フェレールと肩を組んで飲み明かしながら二人で言い始めた言葉だそうです。しばしばピアソラ系統のバンドネオン奏者のように言われますがそれはちょっと違います。高場将美さんがビックリしていたように彼はポルテーニャのスペイン語を話します。(ブエノスアイレスの下町ことば)古いタンゴの歌はほとんど覚えていて歌うことができます。ピアソラよりはトロイロに思い入れ深いのです。そんな彼は、カンドンベ(ウルグアイで盛んなアフリカ系のリズムを持つタンゴのひとつ)を愛しグループを作っています。また熱心なジャズファンでもありセロニアス・モンクの曲集を出したりしています。カンドンベやジャズの自由な精神が好きなのですね。随分前にウルグアイのピアニストと組んで「フリータンゴ」を始めました。タンゴを基調としながらより自由な展開を目指しています。この夏、喜多直毅さんがパリのオリヴィエ宅を訪れ、フリータンゴセッションをしたそうです。それを今回日本で私を含めてやります。前回「千恵の輪」企画で来日したとき、こんどはテツとフリータンゴをやろうやろうやろう!と盛んに言っていました。楽しみですね。もう一つの楽しみ。さとうじゅんこさんが出演します!じゅんこ人生初のタンゴ・フォルクローレです。これも乞うご期待!
2013.12.8.徹の部屋vol.27「漂泊のダンス」
GUEST:ヤナエル・プリュメ(ダンス)、高岡大祐(チューバ)
ヤナエルは旅人。旅を住処とし、踊り、考え、生きる。たまたま立ち寄ったトルコが現在の住み家だ。 旅での出逢いが次の旅へと繋がる。 ヤナエル・プリュメ氏は、コンサートホールから人々の元へパフォーミングアートを連れ出したヨーロッパで最強のパイオニアの1人です。アートは人々のために!—バール・フィリップス(ベーシスト)
2013.8.31.徹の部屋vol.26 「オペリータ”うたをさがして”序章2」
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)、 早川純(バンドネオン)、乾千恵(脚本)
乾千恵の脚本に齋藤徹が曲をつけたオペリータの序。1回目の序1は2月に実施しました。今回の序2はバンドネオンが参加して原案により近づきます。あれから半年。それぞれのメンバーはそれぞれの経験を積み重ね、脚本も熟成してさらなる展開をみせることでしょう。
2013.4.14.徹の部屋vol.25「ベースアンサンブル弦311 ISB出演壮行ライブ」
GUEST:田辺和弘(コントラバス)、田嶋真佐雄(コントラバス)、瀬尾高志(コントラバス)、パールアレキサンダー(コントラバス)
コントラバス専門レーベルKadima社(イスラエル)からDVD「strings & the moon」Kadima triptych #4 でお目見えした「ベースアンサンブル弦311」は海外で好評されています。私の30年のベースキャリアを集約した、 全楽曲・奏法、この世に2つと無いものです。そして、2013年6月にニューヨーク州ロチェスターで行われるISB (国際ベーシスト協会)のコンベンションに招待されました。世界各国からベーシスト、ベース制作者、弓制作者、 楽器店、作曲家、ベース教師などなど1,000人以上集まる世界最大のベースイベントです。その場で、この音楽を 披露したいとメンバー全員が思いました。しかし、ISBはNPOなので、私達の最大のネックは渡航費です。 アメリカは遠い。そこでさまざまな工夫をしています。昨年バール・フィリップスを迎えてのセッションをCD化し、 その売り上げをプールする、助成金の申請をする、メセナ資格を取る、壮行コンサートをする等々、不慣れですが 全員がんばっています。ホームのポレポレ坐では当然やらねば、と思って今回のライブになりました。 ポレポレ坐でのベースアンサンブル弦311の演奏は、ジャン・サスポータスがブッパタールからSkype参加での共演 (地震・原発事故により来日不可のため)、DVD発売記念と続いています。本日の売り上げも渡航費に回します。 みなさま、ご来場・CDご購入など、どうぞご協力をお願い申し上げる次第でございます。(メセナの資格を取りましたので、 「税金で払うなら、弦311を応援しよう」という企業・個人の方のお申し出もお待ちしております。)
2013.2.24.徹の部屋vol.24 「聴くこと・待つこと・信じること」
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、庄崎隆志(ダンス)、南雲麻衣(ダンス)
ポレポレ坐シリーズ「徹の部屋」は5年目に入りました。私の最も大事な仕事になっています。初期は様々なゲストを迎えていましたが、 だんだんと「その時大事なもの」をやる、というようになり、さらにゲストが有機的に繋がり始めています。 今回はその典型。昨年夏に初共演した「風の器」(庄崎隆志・南雲麻衣さん)と半年後ここで再演(牡丹と馬)。 ジャンさんとポレポレは「ミモザの舟に乗って」「ベースの森の中で」(Skype出演!)「うたをさがして」と続いています。 今回はこの両者の出会いです。昨今、「出会い」とか「初共演」という言葉がイヤミに感じられる程、都合良く使われていますが、 これは本来の出会い・初共演でしょう。それぞれの長い経験や狂おしい希望が、あるとき(今日)・ある場所で(ポレポレ坐で) 「出会う」のは偶然ではありません。引き合わせる私も同じです。そして、焦ってはダメです。 ポレポレ坐の原点(ポレポレとは、ゆっくりゆっくりというスワヒリ語)に照らしたいと思います。 「聴くこと」は「待つこと」であり「信じること」というのは長年の私のテーマです。 このセッションでその断片が見える予感がしています。
【庄崎隆志コメント】音に合わせるのは大変だろうとお客さんは思うでしょうが、そうなってみると、さほどではないのです。 まったく聾(右耳110デジベル・左耳110デジベル)である僕のミミには、雑音はまったく聞こえません。 けれども、徹さんの振動は聴きとれます。僕のカラダの中に起こる内側の音を聴くこともできます。 僕らが出番をひそかに待つあいだ、弦を弾く徹さんの指先の動きが手毬の様にメロディを紡ぎます。 それはやがて、溢れるようなカラダの動きに変化していきます。 カラダを通して魂を表現していくのです。魂は時には胎児になったり、大魔界に入ってしまったりする。 心臓とその他の内臓が火山になって、血の流れを、三途の川にしてしまう。 僕はそうしたなかで、忘れていたこと、自分の人生のなかでとても大切だったことを思い出したりするのです。 ふとした気付きや別の記憶にも繋がっていき、思わず表現してしまうのです。 即興をして、さりげなくわかったような気がします。僕はそんなスタイルが好きです。 雑音が聞こえたとすると気持ちが乱れていたかもしれない。カラダの働きは自然の働きと密接につながっています。 カラダと音楽とポレポレと、、、さまざまなものが自然のうちにつながっているのだと思うようになりました。 言葉にとらわれないで自由になると、心は即興へ導かれる。遠いはずの二つの世界もどこか似ているような確信して演じていく。 「聴くこと」「待つこと」「信じること」の大切さを実感しています。だからドラマチックな「はじまること」はありません。 もっともっと好奇心を刺激するステージをしていきたい。様々な魂たちが、何を巻き起こすでしょうか。
2012.12.24.徹の部屋vol.23 「牡丹と馬 遠野ものがたり」
GUEST:庄崎隆志(ダンス)、南雲麻衣(ダンス)
「演奏活動を続けてきて良かった」風の器との 真夏の初演は鮮烈でした。何が良かったのかうまく分析できないので そう言うしかありませんでした。滅多にない出会いとはそんなものなのでしょう。「生きていて良かった。」と思ったのです。 演奏活動をはじめたころ、野口体操で有名な野口三千三さんの「からだに貞く」「おもさに貞く」と言う本に影響を受けました。 「貞く」を「きく」と読みます。思えば、香もきく、酒もきく、融通もきくですね。もうひとり影響を受けた漢字研究の泰斗・ 白川静さんによると「音」は神に対する問いかけで、その答えは器に入れた水がかすかに動くかどうかだそうです。 嘘をつくと入墨用の針で刺されます。夜中にじっと答えを「待つ」のです。「暗い」も「闇」も「音」が入っていますね。 音は目で聴く神の答えなのです。「聴く」「待つ」「信じる」など私が音に関わってきた 動機に直接関わってくることを風の器は思い出させてくれます。 彼らとセッションを続けていくことは「発見」であり「教え」であり「きっかけ」なのです。 続けなければなりません。いや、続けさせて下さい。
【庄崎隆志コメント】「 牡丹と馬」は2回目の公演となりますが、とっても贅沢なコラボレーションです。演出にあたっては、齋藤徹さんとのコンビネーションが とても重要な要素でした。だからこそ、他では作り出すことのできない舞踊の世界—耳で聞く芸術から、目で聴く芸術、身体で感じる芸術 へと跳躍することができたと実感しています。言葉を全く使わず100%ありのままの身体の響きあいによって創造することを念頭に置きました。 徹さんの響きは、私が聞こえないのに、とても温かく身近な感じがして、とても不思議な「魔力」を放っています。何を感じているのか観てとって くだされば幸いです。コンテンポラリー・舞踏の演出は初経験となります。芝居の演出は数を重ねてきたつもりですが、 芝居と舞踏の根本的な違いに緊張しています。しかし、あらかじめ台詞も装置も想定せず台本を捨てておいてから、身体100%で創る舞踊や舞踏が、好きなのです。日本舞踊やお神楽、民俗舞踊が面白くて、通い詰めたこともありました。もう大分昔のことですが、 〈大野一雄〉や〈山海塾〉〈勅使河原三郎〉などのステージに感動したことを覚えています。 なんといっても、舞踏は、人間以上のことをしてくれるから面白いのです。
2012.10.15.徹の部屋vol.22「ありがとう!バールさん!」
GUEST:バール・フィリップス(コントラバス)
照れくさいけど、そのまんまの気持ちですし、さらにはホームのポレポレ坐ですので素直にそう言っちまいました。 感謝することはたくさんあります。初来日の時の一言はいまでも鮮明に覚えています。 こう言われました。「テツさん、何言っているの?」 親代々ミュージシャンな場合は別ですが、だいたい「音楽好き」「ファン」から入って、 気がつくともう入り込んでしまって抜けられない、という場合が多いです。私もそうです。 日本で海外の音楽が好きになってしまうと、事情がさらに複雑になります。 「本場」のレコード、コンサート、批評、風土、思想、歴史、言語などを取り入れる必要がでてきます。その段階では、「ファン」です。 ファンだから悪いということではありません。好き、ファンということは、その音楽を聴取する能力が高いということでもあります。 ただ注意しなければいけないのは、「ファン」と「演奏家」は違います。 20年以上前のバールさん初来日は豊住芳三郎さんの尽力で実施されました。サブさんありがとうございました。 その頃の私はインプロファン、ベースファンの側面がかなり強かった。 そんな私にとってバールさんは憧れでした。誕生日が一緒だとわかってルンルンでした。 忘れもしません。幡ヶ谷の商店街を一緒に歩いていたとき、「私などはまだまだ始めたばかりでダメですが、 バールさんやヨーロッパのミュージシャンについて行けるように一生懸命がんばります。」と素直に言った時に先ほどの返事があったのです。 「テツさん、何言っているの?演奏する時は、特にインプロの時は、皆同格でしょ?初心者かどうかなんて関係な〜い。」 目から鱗が落ちました。日本でできる限りのヨーロッパインプロ情報を集め、追いついていこう、というのは、正にファンの考え方なのです。 この一言で、ファンと演奏家の違いに敏感になり、私は演奏家でいようと思いました。誰誰の奏法をやってみようとか、誰誰さんと演奏したいとか、の発想はキレイさっぱり無くなりました。 その後、ヨーロッパへ何回も呼んでもらったり、ミッシェルやニンも紹介してくれたり、ヨーロッパツアーで楽器を貸してくれたり、 なかんずく楽器を交換してくれたり(今日私が弾いている楽器がそうです。バールと命名しました。)いろいろなベースフェスでやっかいになったり、 家族が世話になったりです。本当に御世話になっています。 しかし、その発端になったのは実はその一言だったように思います。 ファンのままだったら、その後の展開はまったく違うものになっていたのではと思うのであります。 ありがとう!バールさん。
2012.8.8.徹の部屋vol.21「コントラバホでピアソラ〜アストル・ピアソラの音楽〜」
GUEST:田辺和弘(コントラバス)、田嶋真佐雄(コントラバス)
—-何で今、ピアソラなの?—- 「ブーム」もようやく下火のようですので、演奏することにしました?! —-えっ?どういうこと?—- 食い散らかしてしまうと、「次のごちそうはこれです。さあ、たんと召し上がれ。 その次も用意してありますよ。」と誰かが決めるような世の中。 もう、そういうのやめましょう。 —-あんまりよくわからない、でもなんで、またまたベースばっかりなの?—- たとえば、バンドネオンとかヴァイオリンとかピアノとか入れるとするでしょ。 そうすると「サウンドして」しまうんですよ。良い感じの音になってしまいます。 でもそれは罠です。「良い感じの音」というのは、記憶のなかの意識の方向でしかないと思っています。 その美意識にとらわれてしまい、知らず知らずにその方向を向いてしまうのです。 一音一音つまずいていくような体験からピアソラが、タンゴが、 コントラバホ(コントラバス)の新しい視点が見えてくるのではと期待しているのです。 「考えるとは、一語一語つまずくことだ」と吉田一穂さんが言っています。 音に当てはめるとそういうことか、と思います。 —-ピアソラのタンゴって「異端」とか「前衛」とか聞いたけど?—- 和音を複雑にすることで現代人の心の機微を表すことができるようになりました。 でもそれは、歌や踊りから距離を取ることにもなりかねません。 ジャズのチャーリー・パーカーがそうでした。ピアソラもその綱渡りをしていたような気がします。 一方、世に言うピアソラビート(3・3・2)はフォルクローレの草原のミロンガを分割したもので、 より古く深いアルゼンチンに根ざしていると言えるでしょう。 タンゴはヨーロッパのクラシック音楽とアフリカのビートが合体してできたという説があります。 ピアソラの作品には、アフリカの影響をもろに出した「カンドンベ」というジャンルもあります。 後期キンテートの人気曲「エスクアロ(鮫)」も実はカンドンベです。 ピアソラがやり残したタンゴの意外な盲点かもしれません。 そして、最後期のセステートではプグリエーセのジュンバ(究極のタンゴ2ビートと言われます)を多用していました。 私が長年「ピアソラはタンゴの前衛でも異端でもなくタンゴの主流だ」と言い続けている理由です。 —-ピアソラとベースの関係ってどうなの?—- ピアソラはコントラバホを深く理解し、大事に考えていました。 「キチョ」「コントラバヘアンド」「コントラバヒシモ」「革命家」はコントラバホに捧げられています。 ピアソラのグループに誘われることはサッカーのアルゼンチン代表に選ばれることの様だ、と聞いたことがあります。 その中でもコントラバホのキチョ・ディアスは終始ガット弦を使い続けました。 キチョさんはコントラバホの全歴史の中でも出色の現象と言えるでしょう。 —-大きな視点で見ると?—- タンゴは、世界のポピュラー音楽の中でドラムセットを使わない稀なジャンルです。 リズムもダイナミックスもコントラバホが担当します。一番小さな音に全員が合わせるのです。 ドラムセットというシステムがあまりにも「傑作」だったので、古今東西、 ポピュラー音楽のリズムの基本として使われ続けてきました。そのため、音楽の音量が大きくなってしまいました。 考えてみれば、戸外で使うためにバチをもって大きな音を出していたそのやり方が基本になっているのです。 屋内のシステムではありません。レ・クアン・ニンさんの(バチを使わない)最近の奏法は、 ドラムセットに根本的な疑問を投げかけているように思います。 —-徹さんのやっている「ベースアンサンブル」との関係は?—- 「ベースアンサンブル弦311」でコントラバホのラディカルなアプローチを経験したメンバーが ピアソラのベースアンサンブルをやります。そこに意味があるのです。 いわば別働隊です。ガット弦は続いています。私たちのベースや音楽に対する意識はまったく変わりません。 —-で、なんでピアソラなのか、もう一回聞きたいんだけど・・・—- ポスト・ピアソラを確実にしたアルゼンチン人タンゴ演奏家フェルナンド・オテロ、 ディエゴ・スキッシが登場したことが再びピアソラをやろうと思ったきっかけでもあります。 プグリエーゼスタイルのフェルナンド・フィエロオルケスタや日本のサルガボが評価を得ていることも関係あるかもしれません。 そんなさまざまな視点をキープしつつ楽しんで演奏しようと思います。 —-へえ〜あんまりよくわからないけど、楽しみだね。徹さんの話はいつもあまりわからないのです。 結局、聴いてみるしかないってことよね。—- はい、スミマセン。
2012.5.19.徹の部屋vol.20『うたをさがしてライブ@ポレポレ坐 CDリリース記念』
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)
今、この題名をCD「発売」記念と書いて、なにかしら強烈な違和感を感じてしまい リリース記念に変更しました。「発売」には変わりないのですが、 商売商売した感じが今回、私には似合わなく思えてしかたがありません。 始まりは東北での友人結婚式のための音楽でした。ジプシーにせよ、 マレーや韓国のシャーマンにせよ、マリアッチにせよ結婚式の音楽は 大事な仕事でしたし、知人の結婚を音楽で祝えるのは何より嬉しいことです。 引き出物で作ったCDが、大震災後,義援CDとして広まりました。 私も何回か東北を訪れました。「自主」避難してきた妊婦さん・ 新生児の数家族の前で演奏する機会もありました。そんな時に 「たいへんだったでしょう?」とか「がんばってくださいね」とか言う言葉は、 空虚であるばかりでなく、彼らと、そして自分自身との断絶を深めるばかりで、 とうてい使えませんでした。言霊(ことだま)が許しませんでした。 子供達と遊んでいて、「こんな時に、一緒に歌えるうたがあればな〜」と思いました。 うたの可能性です。 日本語のうたをつくりたい、と長年思ってきました。しかしなかなか実現せず、 いつかきっと、と先延ばしを続けていました。しかし、今を逃したら自分が音楽に 関わっている理由さえ無くなると思い、このうた企画を進めました。 本来なら、シンガーソングライターにならって自分で歌詞を書かねばなりません。 しかしコトバが出てきません。振り返れば、小学校の宿題以来、詩を書いたことが無く、 詩を書くという回路がありませんでした。そこで今、一番「詩」を感じるギリシャの 映画監督テオ・アンゲロプロスの作品(トニーノ・グエッラ脚本)から台詞をお借りして曲を付けました。 なんと言うことでしょう、CDジャッケットのデザインができた日に アンゲロプロス事故死のニュースが入ってきました。追悼のつもりなんかでは全くなかったのに、 できることならご一緒に仕事をしたかったのに、おそらく世界で一番早い追悼作品になってしまっていました。 なんちゅうこっちゃ。 私は心の中で、さとうじゅんこさんのことを菩薩と呼び、 喜多直毅さんを天才と呼んでいます。天才と菩薩というこの2人に恵まれたからには、 このグループはどんどん続けなければバチが当たります。 ともかく今回のレパートリーを演奏しきることで次が見えてくるものと思います。 親友・畏友・芸友ジャン・ローレン・サスポータスさんも駆けつけてくれます。 実はここポレポレでこのトリオと共演をしています。 その時のことは今も語りぐさになっています。 今回も熱い交流がうまれるものと確信しています。お時間がございましたら、是非足をお運び下さいますようお願い申し上げます。
2012.4.18.徹の部屋vol.19「ベースアンサンブル弦311DVDリリース記念ライブ」
GUEST:田辺和弘(コントラバス)、田嶋真佐雄(コントラバス)、瀬尾高志(コントラバス)、パールアレキサンダー(コントラバス)
DVD/CD/ArtBookはイスラエルのコントラバス専門レーベルKadimaの主力シリーズです。 第4作目に選ばれたことはとても栄誉あることと思いました。私のコントラバス観は、 どうも一般的でないようなので、その点を押し出した演奏をして、 世界のコントラバス関係者の反応を聞いてみたいと思いました。 まず全員ガット弦を使ってもらいました。(ガット弦とは、羊や牛の腸をよじって作る弦で、 楽器の歴史と共に歩んできました。しかし、5〜60年前にスティール弦が取って代わりました。 スティール弦は、細いため弾きやすい。音がハッキリして、音量もあり、音程を正確に取りやすく、 湿度の影響も少ない、上手く聞こえるし、何と言っても安い。ガット弦は音は小さい、弾きにくい、 値段も高いのですが、その中には雑味や不安定さをも含む「すばらしい音色」があります。 生ガット弦だけのコントラバスアンサンブルというだけでも古今東西唯一の試みでしょう。 コントラバスの打楽器奏法、プリペアード奏法(弦に物を挟んで演奏する)、横置き奏法、 イレギュラーチューニングなどなど、私が30年間で発見し培ってきた方法をドサッと盛り込みました。 それをより良く伝えるためにすべて私の作品を演奏しました。韓国伝統リズムを使ったもの、 アルゼンチンタンゴのリズムを使ったものもあります。ある意味、私の全てかも知れません。 この収録へのリハーサルは昨年の4月でした。そうです。3/11の地震・津波 そして原発爆発後の時期に行われました。日本がどうなるかわからない時でした。 (今でもそうなのですが・・・)メンバーの1人パール・アレキサンダーはアメリカに帰りました。 (その後、日本が自分の住み、仕事をする場所だ、と心に決め、家族、友人達の反対を押切って日本に戻り、 リハーサルに合流しました。その時はみんなで抱き合いました。) コントラバスを運ぶための車のガソリンが手に入らない時期も続きました。 最初のライブはここポレポレ坐でした。ゲストのジャン・サスポータスさんはピナ・バウシュカンパニーの 仕事で台湾まできていて、飛行機に乗る準備をしていましたが、日本に入国できず、ドイツに帰りました。 なんとか参加したいという意志がSkypeというアイディアへ結実し、 当日インターネット経由でドイツから参加してくれました。 映像アーティスト(カイさん)が青空を映写した時、私たちはちょうど全員がベースを横たえ、 その横にひとりひとりが寝転んでいました。まるで津波で楽器と一緒に流され、自分が生きているのか 死んでいるのかわからない状態で見上げる青空、それは強烈な印象として残っています。 東京は、まだまだ緊張状態が続いていて、演者・聴衆が夜に集まって共感を深めることができましたが、 ドイツは何事も無い朝にコンピューターのカメラに向かって踊る事はどんなに想像力が必要だったか、 ジャンさんありがとうございました。(そんな状況を忘れまじ、と思ってこのアンサンブルの名前を 「ベースアンサンブル弦311」と名づけました。) 粛々とリハーサルを続け、三日間のライブ後、スタジオ収録とライブ収録を終えました。 収録のたきしまひろよしさん(plastic rains)の編集も順調に進み、島田正明さん(アケタ)の音調整を合わせて マスターが早々に出来上がりました。私もコントラバス観などを丁寧に文章で書き、英語にし、パールさんが 添削をしてくれました。小林裕児さん、乾千恵さんの作品提供により、デザインも進みました。 実はその後の制作にまつわる日本・イスラエル・ドイツ間の交渉が難航を極め、 笑ってしまうほどの困難がありましたが、やっとお披露目ができます。 結果オーライ!では出発!!プレパランセ!(用意は良いか!)
2012.2.16.徹の部屋vol.18 「Tetsu Saitoh Contrabass solo at ORT」リリース記念ソロライブ
コントラバスは一般的に言って「伴奏」楽器です。オーケストラや室内楽を支え、 ジャズ・タンゴなどのリズムセクションを誇り高く担います。 30年以上演奏を続けてきて、恥ずかしながら、やっと普通のコントラバスの役割を楽しめることができるようになりました。 「いま・そこに、ひとりで立っていられるか?」というのが私の長年の根本的な問いだったため、 本来の役割に関わる余裕がなかったのかもしれません。 2012年初めまたソロをやります。懲りないですね。今回は他の理由があるのです。 2010年5月から6月の1ヶ月間、私はブッパタール(ドイツ)にあるORTでのレジデンスアーティストでした。 ORT(「場所」の意味)は、ベーシスト故ペーター・コヴァルトさんが自宅をスタジオにし、みんなに開放した空間です。 私は幸せなことに、1ヶ月間、彼の使っていた楽器とこの空間を自由に使う事ができました。 かつて、カナダ・ヴィクトリアヴィルフェスティバルの中でペーターさん追悼演奏があり、バール・フィリップス、 ジョエル・レアンドル、ウィリアム・パーカー・齋藤徹のコントラバス四重奏が組まれました。 (その演奏は、CD「after you gone」に収録されています。) ここポレポレ坐でもお馴染みになったジャン・サスポータスさんとピーターさんは長年デュオをやってきていました。 きっとピーターさんの導きで私とジャンさん出会えたのだと思います。 その後、ジャンさんと私は重要な共演者となり、大切な友人になりました。 ORTでリハーサルや本番の無いとき、何日間か小さな録音器を持ち込んで自分で録音しました。 自分がいま・ここでどんな音をだしているのか興味がありました。 ペーターさんの場所でペーターさんの楽器を弾く。それはまるで夢のような時間でした。ベース以外のものは一切ありません。 楽器を弾いていた時間、わたしはあたかも楽器と空間によって操られた人形のようでした。 時間を越え、空間を越えて音を拡げようとしたペーターさんの意志が私を動かしたのでしょう。今回その録音の中からCDを作りました。 ORTとペーターさんに捧げたものです。来月、このCDを持ってORTを訪れることになっています。 そんなこんなでリリース記念ソロライブです。 インプロヴィゼーションと南米の楽曲を演奏する予定です。 お楽しみいただけることを念じつつ。
2011.11.30.徹の部屋vol.17「うたをさがして 一里塚」
GUEST:さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)
「うた」は一生のうちでどうしてもやっておきたい仕事でした。 うたいたい衝動、おどりたい衝動はとても基本的なもの、これに優るものはありません。 しかし、その上に幾重にも蓋をしてしまい、複雑になってしまっている。 かといって世の中に流行っているうたたちは、私の気持ちを代弁してくれていない。 酒に酔い幾重もの蓋を外しても歌う歌が無かった、という感じです。 独房の一人が誰のためにでもなくうたう、もう一つの独房の一人もうたう。 もう一人もうたう。お互い聞こえてはいない。 しかしそれがハーモニーとなって外に漏れ聞こえる。大きなうたになる。 そんなうたしかありえないのか、と悲観的に思っていました。 しかし、さとうじゅんこさんを紹介され、彼女の持つ明るさと、 うたに救われていろいろな可能性を感じるようになりました。 うたのもつ祝祭感は他のものに替えることが出来ないことを再確認できました。 また普通、歌手の人はご自分で看板を背負うことが多いので、知らず知らずに 自分が中心になることが多いですが、彼女はそこからは自由にいることができます。 じゅんこさん専門のインドネシア歌唱と故郷の秋田民謡そしてそれを繋ぐ もう一つの黒潮(オンバクヒタム)周辺のうた、そして長崎生月島に残る 隠れキリシタンの「おらしょ」、乾千恵さん作詞私作曲のうたを慈しみながら うたうじゅんこさんの立ち位置は貴重です。 バイオリンの喜多直毅さんは今夏のヨーロッパ旅行でいろいろと触発されたようで、 バイオリンや音楽そのものへの根本的な問いが、より強くなっているようです。 より自由にそして自在になっている音を聴くことができます。 うたの「伴奏」でなく,うたと一緒に演奏する(一緒にうたう) ことが本当のうたの「伴奏」になるという実践かもしれません。 また、故郷岩手の先達宮沢賢治の作品をイーハトーブ弁で朗読することも始めました。 ご自分のルーツに遡るベクトルとインプロで開放されるベクトルは 一見逆方向に見えますが、地球を一周すればまた会えます。 お二人の現在、そして私の今を捉えようと思い、今回のポレポレライブは 録音することにしました。昨年の「浸水の森」ライブ録音につづいて、 今年もポレポレで一つの足跡をしるしたいと思います。 是非、足をお運びいただき、場を共有しましょう! お力を与えてください。
2011.10.21.徹の部屋vol.16 「ツアー大千秋楽!ポレポレ大団円!こいつぁめでたい!」
GUEST:ミッシェル・ドネダ(ソプラノサックス)、ル・カン・ニン(パーカッション)、工藤丈輝(ダンス)、上村なおか(ダンス)
何かを「発見」した時って、かならず「驚き」がありますよね。想定外の驚き。 その瞬間は、自分だけでなく自分以外の人も同じように感じるのだと思います。 あっ!今この人は発見したな、ってわかります。英語で発見=discoverは、 カバーをはぎ取ること。思っても見なかったものがカバーの下に隠れているものです。 「即興」のおもしろさって、簡単に言えばそういう共有体験かも知れません。 相手はお客様でもあるし、自然でもあるし、その空間でもあるし、 自分自身でもあります。 そんなことを夢見ている3人のツアーが10月3日から始まって、 (予定通りすすんでいれば)21日ポレポレ坐で千秋楽を迎えます。 その間、ユニークな老若男女のゲストと観客のみなさまと「驚き」を 共有して来たことと確信的に想像しています。 ツアーと言っているのですからこれは「旅」です。旅の終わりは、かならず、 旅の始まりです。1つの旅の間で出会った人・物・自然が曼荼羅のように繋がり、 次の旅の始まりを作ってくれるのだと思います。 2011年大変なことが起こったこの日本でのツアーが孕んだもの、育んだもの、 それをしっかりと見届けることがこの先の自分をきめるのだと思います。 私のホームグラウンド・ポレポレ坐での千秋楽、かならずやそういう場に なることでしょう。こいつぁめでていぜぃ! この場を共有したい気持ちが一杯であふれそうです。是非、ご一緒に。
2011.8.26.徹の部屋vol.15 「魅惑のブラジル音楽—対蹠地のつながり 」
GUEST:石田幹雄(ピアノ)
30年間ブラジル音楽を好んで聴き続けていますが、まるで底なし沼です。 まだ一割も達していないでしょう。戦後ニューヨーク上空でジャズの天才達を 輩出させた音楽の神様が、ブラジル上空に移動したに違いありません。 何ともすばらしい音楽が生まれ続けています。歌がつねに社会変動の象徴でした。 文化大臣に歌手(ジルベルト・ジル)がなりました。 (ブラジルでオリンピックやワールドカップをやるそうですが、 そうなると神様は移動してしまうのかもしれませんね。) そして私は、何回となくブラジル音楽に救われてきました。 そんなに好きな音楽なのに、自分から演奏しようと思った機会は片手で数えても 指が余ります。「好きな音楽と自分が演奏する音楽は違う」 「日本でポルトガル語で歌う意味があるのか?」 「あのメロディはポルトガル語以外ではなりたたないでしょう?」 「ただ音楽が好きなだけではないの?詞を理解していると言えますか?」 などなどいっくらでも理由があります。 ブラジルに長く滞在した知人に「あんなにひどい状況の中では、 音楽くらい良くないとやっていけないし、生きてさえいけないんだよ,ホントに」と聞くと、 自分が好きだからと言って果たしてやって良いものかと逡巡してしまいます。 そして、3/11が起きました。 一瞬のうちに多くの命がなくなってしまうことと、何万年も汚染が続くことという 正反対の事実を目前に突きつけられました。なんとも落ち着かない日々です。 何回となく救われたブラジル音楽、あらためて自分に問う意味で試してみたいというのが今回の動機であります。 25年前、ブエノスアイレスに行ったとき、タンゴやフォルクローレを弾くと 「なんで,お前はできるんだ?」と素朴に聞かれました。私にもわかりません。 対蹠地(たいせきち・antipodes)という言葉を気に入っています。 地球の反対側という意味。そこから転じて、なんでも正反対の意味にもつかうようです。 日本とブラジル、東中野とサルバドール、正反対のようで直線(最短距離)で繋がっているのかもしれません。 こちらが動けば、そちらも動く、結局いつになっても出会えないのかもしれないし、 まさかフクシマシンドロームでもないでしょうし。 音にヒントを待ちましょう。 シコ・ブアルキ、ジョビン、ヴィニシウス、エドゥ・ロボ、カエターノ、 ピシンギーニャ、ミルトン、さあ、選曲が大変だぜ!
2011.6.4.徹の部屋vol.14「うたをさがして その2」
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)
「処女作は、その後の作品の目次になっている」という言い方がありますが、 今年2月ポレポレ坐「うたをさがして」もそれになぞらえることができるかも しれません。古今東西名曲とアンゲロプロスの台詞から作ったオリジナル曲を 平行して並べることは、賭でした。「うたをさがす」願い、伝統に対する尊敬、 そして今を生きることへの問いかけが支えてくれたのだと思います。 3月11日以後は、すべてが以前と同じではあり得ません。 ますます「うた」への願いが増し、その憧れは焦げ付くほどです。 歌は、その「祝祭性」と「祈り」に支えられてこそ現れます。 常に、生身の身体とココロ、生き死にを内包するものです。 ここポレポレ坐を基点にしてうたをさがし続けていこうと思います。 前回の徹の部屋vol.13「ベースの森の中で」では、ドイツからのSkype参加だった ジャン・サスポータスさんが今回は「生身」で登場します。 歌と踊り、それは誰が何といっても基本です。 あらゆる楽器は歌をめざします。 歌はなにかを「呼ぶ」仕草、踊りは何かを「探し」仕草。呼ぶ声の先に、 探す指先と眼差しが交差することを願っています。
2011.4.16.徹の部屋vol.13「ベースの森の中で」
GUEST:ジャン・サスポータス(ダンス)、田辺和弘(コントラバス)、田嶋真佐雄(コントラバス)、瀬尾高志(コントラバス)、パール・アレキサンダー(コントラバス)
ジャンさんとベース 「内緒なんだけど、私はダンスより音楽の方がよっぽど好きなんですよ。」 とおどけるジャンさん。サキソフォーンやヴォイスでブッパタル・インプロビゼーション・ オーケストラに所属しています。同じブッパタルに住むベーシスト、 ペーター・コバルトさんとデュオでショート・ピースというシリーズを長年展開していましたが、 急にペーターさんが亡くなってしまいました。追悼イヴェントが世界中で行われました。 私が参加したのはカナダ・ヴィクトリアヴィルでの音楽フェスティバル。 バール・フィリップス、ジョエル・レアンドル、ウイリアム・パーカーと私での コントラバス四重奏でした。その演奏はCD「After You Gone」(VICT cd091)になりました。 そんな縁がありセッションハウスの伊藤さんが仲介してくれ、私はジャンに会いました。 初めて出会った時からまるで旧友のようでした。当たり前のように共演が続きデュオでの 日本ツアー、オリビエ・マヌーリ(バンドネオン)と共に「千恵の輪トリオ」として ピアソラ演奏のツアー、南米コロンビアにも行きました。 昨年は、私がブッパタルのペーター・コバルトさんのアソシエーション 「ORT」に1ヶ月レジデンスとして滞在。毎日彼と過ごしました。 この5月にはソウルのフェスティバルに出る予定です。 たくさんのベースが森のように並んでいるところでのダンス、というアイディアは ずいぶん前から話していました。そして今回この企画がポレポレ坐で実現しました。 ジャンさんは、すでに2回ポレポレ坐に出演しています。前述の千恵の輪トリオで、 そして昨年は「ミモザの舟に乗って」という詩・音楽・ダンス・絵画のコラボレーションで 長く記憶に残るパフォーマンスを繰り広げました。 今回、ジャンさんとベースとのただならぬ関係がここポレポレ坐でひとつの実を結びます。 ベースの森を踊るジャンさん、いや〜楽しみだな〜! (齋藤徹)
<<公演内容変更のお知らせ>> ピナ・バウシュ舞踊団の公演地・香港で来日を準備していた ジャン・サスポータスさんは、 このたびの大震災のためやむなく帰国しました。 「私の心は日本とドイツの間でさまよっています。」と悲痛なメールが届きました。 「ベースの森の中で」企画は、長年の念願だったので、 とりわけ悶々としている中、Skypeを使って参加するという方法を考えました。 インターネットを使ってリアルタイムの映像をポレポレ坐に写すのです。 ジャンさんは、7時間の時差などものともせず、時空を越え、 ブッパタルと東中野を自在に行き交い、ポレポレ坐の壁に入り込み、 世界で一番の微笑みをみんなに届けてくれるでしょう。 私たちの心は常に一緒にいます。たまたま場所が違うだけです。 いつの日にか本当の平和になって、いや平和を創り、 改めてポレポレ坐に生ジャンさんを迎えましょう。
2011.2.24.徹の部屋vol.12「うたをさがして」
GUEST:さとうじゅんこ(うた)、喜多直毅(ヴァイオリン)
長い間、いや、きっと初めから「うたをさがして」いたのかもしれません。 私が、日常聴いている音楽の大多数はうたです。 スペイン・ポルトガル語の歌が一番多く、古楽の歌も、 アジア・アフリカ・地中海の歌、世界の民謡さまざまです。 自分で歌えないから楽器をやっているんだな、とつくづく感じます。 歌にとって、「歌詞」はとても大きなファクターです。 「これしかない」言葉に「これしかない」音が乗ることは理想ですね。 一方、言葉の「意味」が「すばらしさ」の最大の要因にもなり、 面倒くささの最大の要因にもなり得ます。 しかし何と言っても、だれもが日常使っている「言葉」で、 だれもが生きている限りくりかえす「呼吸」を音にすることに優るものが、 あろうはずありません。あらかじめ歌を失った状態で始まった私の音楽生活が、 健康な状態に戻るためには「歌」しかないことは分かっていました。 2年間すばらしいゲストにめぐまれたシリーズができた今、 ポレポレ坐をホームグランドだと思うようになりました。 そして、今、ここポレポレ坐で、歌のシリーズをやるチャンスがやってきたのです。 「長らくお待たせしました」と私自身に言わねばなりません。 さとうじゅんこ・喜多直毅という得難いを仲間を得、いざスタートです。 世界のすばらしい歌をみんな一緒に味わうとともに、 「人はなぜ歌を歌うのか」 「即興と歌との幸せな関係はあるのか」 「歌になるとはどういうことか」「今、みんなで歌える歌ってありえるのか」 「愛される歌って何?」という問いへの答えを探したいと思います。 そのために、今・ここ・私たちでしかありえない歌を創り、 「今」も「ここ」も「私たち」も消えていく歌にしていくよう、 シリーズを重ねていきたいと思います。 ちょっとかっこよすぎ?
2010.12.22.徹の部屋vol.11 「浸水の森」
GUEST:喜多直毅(ヴァイオリン)、佐藤芳明(アコーディオン) 、小林裕児(絵画)
大好評だった「浸水の森」の音楽(小林裕児委嘱・9月7日@ギャラリー椿)を再演します。 大作「浸水の森」から得たインスピレーションを元に9曲ができあがりました。 アンゲロプロスのギリシャ風だったり、トニー・ガトリフのロマ風だったり、 馬頭琴風だったり、不思議だらけだったり、踊るっきゃない音楽だったりです。 当日は、「浸水の森」も飾ることに決定!! 今の音楽状況を事実上、引っ張り、刺激を与え、発展させている 喜多直毅(バイオリン)佐藤芳明(アコーディオン)の参加は不可欠です。 クラシック、タンゴ、ロマ、アラブ、即興を弾き、 ダンスや演劇のような奏法をする直毅さんは、 ひょっとするとバイオリン史のど真ん中を体現しているのかもしれません。 日本ではあまり意識されていませんが、ヨーロッパ・アジア(ユーラシア)、 中南米で人々に広く深く愛され続けているアコーディオンで、 「今・ここ」から、さらに「過去・あそこ」 そして「未来・向こう」の音を出しているのが芳明さんです。 年末の東中野から、どこまでも旅をしましょう。
2010.10.29.徹の部屋vol.10 「書の波〜音の波」
GUEST:平野壮弦(書)
【平野壮弦のコメント】徹さんとの出会いは、一年前、ポレポレ坐でのこと。即興のライブ演奏を聴き。 しびれた。波、風、草木、虫のさざめき・・・ 宇宙の森羅万象と、瞬時にシンクロできる人。 自分が求めていた世界を、音で表している人がいると知った驚きと喜び! その感動覚めやらず、この一年、徹さんの音の波を浴び続ける中で、 自分の中で何かが変わった。 即興音楽は音で、書は筆線で、瞬時に、宇宙のリズム、いのちの波を表してゆく。 そのリズムや波は、太古の昔から今に至り、未来へと繋がりゆくもの。 この日、徹さんとのコラボを、みなさんと一緒に、心のおもむくままに愉しみたい。
2010.8.27.徹の部屋vol.9 「黒沢美香 × 齋藤徹」
GUEST:黒沢美香 (ダンス)
2010.7.10.徹の部屋vol.8 「舜」小鼓・久田舜一郎さんを迎えての宴 「伝統」とは「現代」のこと?
GUEST:久田舜一郎(小鼓)
久田さんとの出会いは阪神淡路大震災の支援コンサート。 いろいろな国籍のベーシスト群の前に久田さんがいた。 気合いの入った鼓と声にビックリする。 それに対してさかんに反応するベーシスト達。 「そこじゃないよ」「もっと待たなくちゃ」などと思っているうちに、 私はほとんど音を出せず演奏は終わってしまった。 翌日、地震で崩れかかったビルで久田さんの演奏があり、 昨日の衝撃と疑問をぶつけに出かけ、共演させてもらった。 その衝撃はいまだに鮮やかだ。私の爪は裂け血が飛んだ。 しかし、その何十倍もの「もの狂い」の世界が展開されていた。 なぜこんなに揺さぶられるのだろう?というワクワクした気持ちを抑えられなかった。 「哲学的に、思想的に深いのでしょう?」と素人っぽく聞くと 「いやいや、『型』をやっているだけですよ」と軽くいなされる。 その言葉がなんとかっこよかったことか。 能の演目には必ず「死」を含む、ということも興味が尽きない。 以後、何かと理由を付けて、お誘いした。 気軽にお引き受けいただいていることはなんと幸福なことか。 演劇公演では、役者達が吹っ飛び、ダンス公演ではダンサーが凍り付いた。 フランス・スイスに同行していただいた時のこと。 フェスティバルのプログラム終演後、深夜、有志によるセッションがあった。 紋付き袴からアロハシャツに着替えた久田さんが月に向かって一声吠えた。 アフリカ・ブルキナファソから来た民族音楽家たちがその瞬間に、 彼を司祭とあがめ、シャーマニックなセッションが始まった。 パリのIRCAM(ピエール・ブーレーズの作った現代音楽の牙城)からきた演奏家、 ヨーロッパの腕っこきインプロバイザーなどが徐々に加わり、 壮大な祝祭空間が出現した。私は、彼を紹介できて誇らしいぜ、 と言う気持ちだったが、それもすぐに消え、 楽器を抱えてその場に居ることの至福を味わっていた。 後に、フェスティバルのピーク?だったという新聞評がでた。 「道成寺」公演は東京・名古屋で二回拝見させていただいた。 シテとの乱調子のすさまじいこと。一瞬たりともシテ方から目を離さじと、 椅子を支える助手一人、鼓の皮を湿らせる助手一人を配し、 最高度の緊張感を保った二人の丁々発止。 これこそが本物の「即興」で最高の舞台だと直感。 外国の先進文化ではなく、日本の伝統にこのような即興演奏があり、 それを普通に能楽堂でやっている、という衝撃は忘れられない。 そして、何より嬉しいのは、私たちとやっている即興演奏が、 能の本舞台で役に立っている、と言ってくださることだ。 ポレポレ坐での本公演の直前にフランスとドイツで共演してきます。 各地でいろいろな波紋・波乱を起こしてくるはずです。 そんな土産話をお聞かせできることを楽しみにしています。 また、能のことを易しくお話願えたら、とも考えていますし、 久田さんの気さくで、思いっきりお茶目な面もお見せできればなあ、と思っています。
2010.4.9、10.徹の部屋vol.7 「ミモザの舟に乗って」
GUEST:ジャンサスポータス(ダンス)、小林裕児(画)、乾千恵(詩)、黒田京子(ピアノ)、笠松環(9日 朗読)、米澤美和子(10日 朗読)
一枚の絵画から、いくつもの音楽が生まれ、追悼の詩が躍りだした。 太古の時代から現在にいたる、めくるめく生々流転の曼荼羅。 点滅するあなたと私の記憶/物語が息を吹き返し、 音となり、言葉となり、踊りとなって、今、ここで幻響する。
「ミモザの舟に乗って」…齋藤徹 我が敬愛する「妹」乾千恵さんのまわりに広がる輪(千恵の輪)は 日々拡がっていきます。ひとりひとりを結ぶ糸が曼荼羅のように連なって、 こんがらがって、いくつもの出会いが起こります。 偶然のように見えますが、実は、必然だったりして。 輪は、いつの間にか日本を軽々と越えて、南米に、ヨーロッパに、 東南アジアにもどんどん拡がっています。 そして、それぞれの出会いがプチプチと発酵するように、 いつも新たな展開を予見させます。そして決して急ぎません。 ポレポレ、プーランプーラン(ゆっくりゆっくり)なのです。 日常生活で私たちは、早く結果を欲しがったり、得をしたい、 損をしたくないと焦ったり、いつもいつも急ぎがちです。 「ちょっと待てよ」ということを忘れています。 絵や詩や音楽や踊りが、そして人との出会いが「ストップ!」 役を担わなければと思います。自分のことは自分の目では見えないので、 何かしらの「鏡」が必要です。流されていく時に、岸辺にキラッと見えたもの、 あれは何だったのだろう?多くの人がふと思い出し遠い目になります。 2 年前、小林裕児さんの大きな絵「朱い場所」のために曲を書きました (CD『朱い場所』)。その絵にはいくつもいくつもの物語が紡がれていました。 その時すでに、ジャンさんに踊ってもらいたいな、 千恵さんに何らかのかたちで参加してもらいたいな、 と思って曲を書いていました。 ある時、千恵さんは詩「ミモザの舟に乗って」を書いて送ってくれました。 大切な友人との別れをつづったその詩は心に突き刺さりました。 ジャンさんは完成前のこの絵を裕児さんのアトリエで見ています。 その時、この世に存在していなかったジャンさんの息子ナエル君も今日、 みんなを見守っています。 初演のギャラリー椿以来、久しぶりにこの絵と再会します。 絵の中の人たち、モノたち、ミモザは、どんな日々を過ごし、 どう変わったのか楽しみです。 会えるときには会えるし、出来るときには出来る。 と千恵さんはよく言います。 「時」という意味には、「ちょうど良い時」という意味があると言います。 時の采配に任せるという極意、欲に駆られていては決して出来ません。 そう、今回集まった演者もスタッフも、ご来場のお客様もまったく同様、 ごく自然に、いるべくしてここにいるのですね。 「今・ここ」で会えている奇跡=軌跡を大事に刻印したいと思います。
2010.2.26.徹の部屋vol.6 「熊鹿猿虎鶴」
GUEST:齋田美子(五禽戯)、喜多直毅(ヴァイオリン)
【五禽戯とは】 中国伝統気功のひとつ。 「熊」「鹿」「猿」「虎」「鶴」の五種類。 パントマイム的に外の動きをまねるのではなく、内なるエネルギーをまねる。 私達は、今はヒトとして存在しているが、母の胎内ではすべての生物の進化を 体験している。その記憶を呼びさまし、いろいろな生き物の感覚を体験できる、 力強く楽しい気功。
はるか30年以上前、学生の頃に衝撃を受けた本に「胎児の世界」 (三木成夫・中公新書)があります。 人は受胎してから生まれてくるまでに生物の歴史を全部体験してくる、 という話は鮮烈でした。その頃流行っていた松鶴家ちとせさんのギャグ 「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さん胸焼け、母さん霜焼け」 ではありませんが、自分が昔、魚だった頃とか、鳥だった頃、とかを想像するだけで、 閉塞感満タンだったその頃、ずいぶん救われました。 この本とこの音が、私が今まで音楽や音に関わってきた原点の一つであることは 疑う余地はありません。 昨年、縁あって五禽戯の齋田美子さんに会うことができました。 五禽戯はまさに「昔、わたしが熊だった頃、とか、昔私が鶴だった頃」 という気功だったのです。気功は本来見せるためのものではありませんが、 齋田さんはかつてダンサーだったので「五禽戯に音をかぶせてみよう」 という発想を得、今回に至りました。 バイオリンの喜多直毅さんとも昨年お会いしました。 音を強烈に必要としているその心と身体、「全てか無か」を問いかける 激しさに惹かれました。 前例のないことなので、どういうものになるのか、大変楽しみです。 是非、現場にお立ち会いください。
2009.12.25.徹の部屋vol.5 「コントラバスの宵」
GUEST:野村喜和夫(詩)
「つばめ」と「空飛ぶ絨毯」 2008年、野村喜和夫さんとメキシコシティでの詩のフェスティバル 「POESIA EN VOZ ALTA」(詩を声高らかに)に出演しました。 ナポレオン三世が「メキシコ出兵」をし、マクシミリアンをメキシコ皇帝に擁立。 その彼が住んでいた所にある大変美しいカサ・デ・ラゴ(湖の家)の野外特設テント、 そこがフェスティバルの舞台でした。 世界各国からの詩人がさまざまな趣向で自作の詩を「声高らかに」 メキシコの夜空に響かせました。かなり長期間行われています。 その中の一夜、満員の聴衆が日本語の詩の朗読と コントラバスの即興演奏にスタンディングで応えてくれました。とても嬉しかった。 スタッフ、聴衆ともに詩の朗読を日常の出来事として心から楽しんでいるのです。 インテリ風が集まる気取った会ではないのに感心しました。しかも入場無料です。 音響リハーサルの時、楽器を寝かせての演奏をしようと、 「楽器の下に敷く絨毯みたいなもの、ないかな?」とスタッフに頼むと、 怪訝な顔ひとつせずに「空を飛ぶヤツか?そうでないヤツか?」と 真顔で聞いてきました。こういうユーモアは実に嬉しいものでした。 メキシコの人たちはガイコツが好きです。死者の日を大事にしています。 詩を身近に感じていることと、ガイコツ好きはどこかで繋がっている気がします。 GNP(国民総生産)は低いけれど、GNH(国民総幸福度)は 世界的に非常に高いこととも繋がっているはずです。 詩を愛し、コトバを信じて、生と共に死を思い、人生を信じ、 幸せを実感する・・・消費立国ニホンが忘れてきたことばかりですね。 上記のメキシコとナポレオンの戦いの中、ラ・ゴロンドリーナ(つばめ) という曲が生まれ、今なお第2の国歌のように親しまれているそうです。 捕虜になってフランスに連れて行かれた作者が、 故郷への思いをツバメに託すという品格のある歌詞す。 それが日本に入ってくると、全く趣の違う歌詞が付いてしまっています。 クリスマス商戦(何という戦いでしょう)のころ、 野村喜和夫さんをゲストに迎え、詩のこと、コトバのこと、 自分たちのコトバのことをちょっと立ち止まって考えてみる機会になったらな、 と思いました。 詩と音に誘われて、空飛ぶ絨毯がフワリとやってきて、 みんなを乗せて、東中野の夜空に!道案内はもちろんツバメ、 そんな宴を夢見ています。
2009.10.30.徹の部屋vol.4「ライブペインティングの宴」
GUEST:小林裕児(画)
20年前に画風が大きく変わったのはなんでだろう、に関するまったく勝手な推察
絵の中で生き物も物も神様もとても美しく歌っていた。「こんなに美しい歌って本当に私の歌かしら?」ユージさんがビール2杯でご機嫌になって早々と寝てしまったあと、絵の中の生き物たち・物たち・神様たちが話合っていた。一番美しい瞬間をユージさんが固定してしまうので、本人達も戸惑っていたのだ。「この姿勢って疲れるんだよね、もっとだらしない方が楽なんだけどな〜」「そうそう、逆立ちとか、時にはいいよね」「必要だよ」「手なんか4本くらいがちょうど良い」「眼もね」「きったない声で歌うとホントは気持ちいいんだよね」「そうそう、スッーーっとするのよね」・・・トイレに起きたユージさんは偶然それを聞いてしまった。いや、夢の中だったかも?輪郭を無くしてフワーッ、焦点を合わさずにボッーー、重力を無視してキーン、常識を無くしてドッカン、意味を無くしてラリラリラ〜 1年に2枚くらいしか描けなかったのが、1日10枚も描くようになったんだって。意味や言葉に取られてしまう前に戻せば良いんだ。ユージさんはそう思った。それ以来、ユージさんはいつも微笑んでいる。眼は薄く開いているけれど決して閉じない。半眼微笑。そうしているといろいろな生き物や物や神様や「もののけ」までもが相談に来るそうだ。「こんど、私を描いてくださいな。本当の自分の姿を知りたいのです。ふだんとは違う気がしてなりません。どうかお願いします」と。「よーし、わかった。でもビックリするなよ。」今度は、ユージさんが絵の中の生き物たち・物たち・神様たち・もののけたちを挑発する。ヒトの身体には「物まね神経細胞」(ミラーニューロン)がたくさんあって、ある動作を見ると、その動作と同じ動きをする自分の細胞も動いているらしい。ユージさんが楽しそうに描いているのを半眼微笑で見ると、私の身体の細胞も描くように動いている。私の演奏をユージさんがチラッと観ると、ユージさんの演奏が始まっている。そうか、そうならば、今日お集まりの皆様は、私たちを観て、自らを描き・演奏するばかりでなく、ユージさんに描かせ・テツに演奏させることもできるわけですね。さらにはユージさんに演奏させ、テツに描かせることも。ああおもしろい今夜の宴!
2009.7.17.徹の部屋vol.3「オンバク・ヒタム 四匹の竜と」
GUEST:箏(こと)カルテット螺鈿隊
「琴」ではありません、「箏」です。えっ!何? そのくらい、私たちはこの楽器のことを知らない。 シルクロードを経てこの国にやってきた箏が今、 「螺鈿隊」のようなグループにより、世界的にユニークな音楽の地平を獲得し始めている。 時に大きなうねりのようなリズムを産み、時に打楽器となり、時に高らかに歌い上げる。 古来、箏は竜にたとえられている。 螺鈿をちりばめた目にもまぶしい四匹の竜が、波となり潮流となって人々の夢を運ぶ。 オンバク・ヒタム<黒潮>への道。 ■オンバク・ヒタムとは… きっかけは、西表島でした。 浜辺で録音をした時、この島が台北より南、ソウルより西に位置していることを知り、 ここは「ヤマト」ではないと直感し、島を取り巻く海流をあらためて眺めました。 親潮となって四国、紀伊半島を流れる「黒潮」とは別に、 インドネシアに始まり琉球弧を通った後、九州の西に別れ、朝鮮半島に流れ、 日本列島の日本海側へ、最後には稚内へとたどり着く 「もう一つの黒潮」の文化圏を想像しました。 マレー、琉球、韓国の表現者とのつき合いもそれぞれ深まり、 この想像上の文化圏がどこかで深くつながっているのではないか?と思うようになりました。 そしてそれは、地球と人間を深く傷つけ、破綻してしまった経済効率最優先の 「東京中心文化圏」に対抗できるものではないか? 地方→東京→欧米という流れに対するオルタナティブがここに豊饒としてあるのでは? 黒潮のことをマレー語で「OMBAK HITAM」ということを知り、 私のライフワークにこの名前を選びました。「もう一つの黒潮文化圏」の音楽です。
2009.5.29.徹の部屋vol.2「3匹のひつじ年ベーシストの夜」
GUEST:瀬尾高志(コントラバス)、内山和重(コントラバス)
メエ〜メエ〜メエ〜三匹のひつじ年ベーシストが、 ひつじの腸の弦を使って演奏します。 東京の親ひつじが札幌と北九州の子ひつじを招いてのコンサートです。 生ガット弦三台のアンサンブルはとてもとても貴重です。 徹オリジナル作品の中からタンゴ、アジアものなどを 特殊奏法、特殊調弦も使い、おなかにズシリとくる超低音から、 天空へ飛び立つ高次倍音で演奏します。 ポレポレ坐は多彩な音で埋め尽くされるでしょう。是非現場で立ち会ってください!
2009.3.6.徹の部屋vol.1「アフリカの夜」
GUEST:ジャッキー・ジョブ(ダンス)
Vol.0も評判の「徹の部屋」本格始動! Vol.1は「アフリカの夜」 故郷アフリカに思いを馳せ、ジャッキー・ジョブが聖なる、母なるバオバブの言葉を聴き、預かった言葉をダンスに翻訳します。 3千年もの記憶の中には、私たち誰もが共有するものもきっとあるはずです。 「大事なもの」、「体験したことのない大切な記憶」を想い出す「今・ここ」に是非お立ち会いください!!
2009.1.9.ポレポレ坐投げ銭ライブその10 「徹の部屋 」Vol.0(仮)
今回はVol.0(ゼロ)につき投げ銭制!! ライブチャージはありませんが、ワンオーダーお願いします。 コーヒーやワイン、ビールを飲みながら、ベースの音に酔いしれませんか? お食事もあります。 コントラバス奏者 齋藤徹のライブシリーズ。 通年6回ポレポレ坐にて開催予定。 ピアソラ、ブラジル音楽、オリジナル曲、 インプロヴィゼーション、クラシックなど 盛りだくさん。 “徹の部屋”の入口へ、是非お越し下さい。 そして、奥へ、奥へ。。。。