今年の2つの誕生日

今年の2つの誕生日

今年のもっとも大きな出来事は「再発告知」でした。その直前7月7日は、私の第2の誕生日。昨年の成功手術の日でした。それをお祝いしようとこの日にクールジョジョで我が愛娘よりずっと若いピアニスト永武幹子さんとのデュオをしました。音楽に対する取り組みもしっかりしていて、技術も志も高く、皆に愛されるキャラクターをもっている実に羨ましい・まぶしいプレーヤーです。

そのLIVEが齊藤聡さんの今年ナンバーワンパフォーマンス(国内編)に選ばれました。嬉しいな〜!
https://www.facebook.com/akira.saito.5686/posts/2350008658366149

このころは再発などは全く想像していなく、副作用との戦いだけに集中して、「第2の誕生日」などとはしゃいでいて、言ってみれば「幸せ」な時期でした。

さて、演奏です。私が選曲してしまうと私の色が強く出すぎてしまうだろう、彼女の良いところが出にくいか、と思い全て任せました。するとエリントンとモンクを選曲してきました。エリントンもモンクも私の音楽の最も深いところいます。しかし、自分で演奏することはほとんどありません。

好きなことと演奏することは違う、と思っていました。しかしこの数年、40年聴き続けた愛するブラジル音楽をやったりすることが少しずつですが平気になってきました。幹子さんのオファーも受け入れて、モンク、エリントンを演奏することにしました。

私がカバーをしたのは唯一ピアソラでした。(CDを2枚も)。その時、自分自身に、そしてメンバーに伝えたのは「同じ舞台で次に本人が出てきても堂々とできるように」でした。自分なりのピアソラをやる、ということが信条でしたので、自分の音楽経験をすべてぶつけて演奏するという初心は変わりません。しかし、作品を敬愛すればするほど、そのまま、彼のやった通りにやりたい、それしかない、という気持ちにもなってしうまうのです。また、ピアソラの曲ばかりやっているといかに好きでも違和感が段々と増してきます。「おれはピアソラか?誰なんだ?」

そして、聴衆はピアソラ目当てに来ます。小松亮太さんが入ったグループの人気はスゴくて、数回しかLIVEはやりませんでしたので、開場前長蛇の列ができました。(そのままやっていれば経済はよかったでしょうが、ピアソラばかり続けることは到底できませんでした。)

エリントンもモンクも同じです。かれらがあの楽屋から「や〜!」と出てきてその曲を弾くことを想定し、堂々と演奏できなければならないのです。

原曲からちょっと飛翔してフリーになって喝采されてもしかたない。無意味とまでは言いませんが、ご本人が演奏したらアッと言う間に吹っ飛ぶでしょう。クリエイターとアレンジャーの違いです。

敬愛する人の作品を演奏すること、自分の演奏をすること、その葛藤や矛盾、気持ちの振れ幅をどんどん大きくして身を投げ出すしかないでしょう。音楽が決めてくれます。

動機や衝動がどの位あるの?やらなければ生きていけないくらい?いま・ここ・あなたでしかできないことなの?

そして本当の誕生日10月27日は、お昼まで済生会中央病院に入院していて、そのまま佐草夏美さんとのライブ会場に向かいました。鎖骨下の点滴ポートに針がささったまま退院。(翌日から長崎という忙しい日々でした。)

近くなのになかなか辿り着けず、車は細い商店街に入り込んでしまい困り果てていたときにバール・フィリップスさんから電話が入りました。バールさんも同じ誕生日なので、毎年お祝いメールの交換はしていました。彼は私の病気を大変心配してくれて(彼自身も大病を克服したばかり)、7月に退院した日も電話をくれました。

「いま、運転中で、しかもちょっと面倒な所にはいりこんでしまっているので、後でかけます」というと「車を運転しているくらいなら安心だ!」と言ってくれました。

齊藤聡さんのCD国外編ナンバーワンがバール・フィリップスさんのソロ、というのもまた嬉しい。21歳年上、コントラバス弾きで高齢まで現役は大変少ないのです。来年の誕生日を迎える可能性は50%といわれている私の21年後は到底ありえないでしょう。本当にスゴイ人だな〜。

来年の2つの誕生日を良いかたちで迎えたいこころだ〜。