連日いずるばフェスティバルのリハーサルが続いています。リハーサルも本番もなく、毎回がワクワクドキドキの連続です。即興か否かなど問題にもなりません。真剣なイノチガケの遊びです。
多くの人と共有したいな〜!
いずるばのなかまたち
溢れんばかりの思いで「いずるば」を創った矢萩芳子さんは須賀敦子さんの「コルシア書店の仲間達」を愛読しています。イタリアの小さな書店に集まる人々の話を聞き取りました。「どんな人も一冊の本は書くことができる」と言いますが、まさにその通りの、思いも寄らぬエピソードに満ちた名随筆になっています。
「いずるば」にもいろいろな人が集まって来ます。その1人1人の話は多種多様、驚きに満ちていて、まさに「人類代表」なのです。
そのエピソードを音でダンスで映像で綴ってみたいと思いました。ワークショップやオープンリハーサルなどで「いずるば」に通い詰めている人、「いずるば」を必要としている人に参加してもらいました。
「いずるば」には矢萩竜太郎さんという素晴らしいダンサーがいます。「いずるば」と「矢萩竜太郎」という2つの鏡があり、そこからの反射によって導き出される物語は、知らなかった自分を皆と共有するという希有な空間となるでしょう。
こういう催し物だと、人前で「やりたがり屋さん」達が自己顕示し、それを多少「義理」で来ているお客様が観るということがよくありがちです。
しかし、ここ「いずるば」は違います。「やること」と「やれなかったこと」が合わさって初めて「表現」「その人」になると思うのです。踊ることや、演奏・歌のうまい・へただけではなく、踊れなかったこと、歌えなかったこと、演奏できなかったこと、「いずるば」はそれを大事にしたいのです。
リハーサルも終盤に近づいたころスタッフからこんなメールが届きました。
「私は、踊ることも演奏することも歌うことも出来ません。お金をいただいた場では、特にできないのです。今まで通りスタッフとして参加させてください。」
そういう人に対して「いずるば」はこう言いたい:
「みんなそれぞれの願いを持って生きています。あなたの替わりは絶対にいません。あなたそのまんまで良い、そのままが良いのです。歌わなくても、踊らなくてもそこにいてくれるだけで良いのです。その場に居て何かを感じてくれれば、それが全体に伝わります。全体が変わります。ひとりひとりが、かけがいのない存在なのです。あなたが必要なのです。」優れた作品を創って完成度を競うものでも、世に問うものでも全くないのです。
フェリーニの「道」にこんな台詞がありました。「そこの小さな石ころだってみんな世の中全体に意味があるんだよ」。タルコフスキーの「ストーカー」には「弱いことが大事なんだ」とありました。
私事になりますが私は、2年前に癌の告知・手術失敗・半年の抗がん剤治療・再手術成功・一年後に再発・別種の抗がん剤治療開始・その間も少しずつ演奏を続け、ドイツでの自閉症プロジェクトにも2年間出演、つい先月1ヶ月の長崎治療の旅を経て、また患部が増長してきているという残念な告知を受けたばかりです。
その時々で考え方・感じ方が大きく変わってきていますが、「いずるば」・竜太郎さんの存在意義はますます確固たるものになってきています。そしてそれを多くの人と共有できればと願うようになりました。
私という「空っぽのグラス、干からびて弱ってしまった大地」に次々と注がれる暖かな水を微笑みながら味わっているのです。弱さの力です。私たち・みなさま全員が「いずるばのなかまたち」です。
心を開いて精一杯やります!ご一緒にお楽しみくださいませ!