ライブハウスがストリートの延長であることは素晴らしいことですが、素晴らしいことには必ず残念なことがコインの裏にあらわれます。
ともかく、お客様に聞こえなくてはいけない、踊るお客さまにはそれなりの音量も必要だし、おしゃべり来る人もいるだろう、多くのお客さまは1日のキビシイ労働を癒すために来るのです。何も考えなくてもいい音楽を楽しみに来ます。どんな劣悪なPAシステムでも聞こえないとダメでし。そりゃ良い音の方が良いけれどもそれ以前の要求があるのです。
だいたいにおいて常に強い楽器が優遇されます。ドラムス、サックス、トランペットなどなど。グランドピアノのあるところはピアノ。他の楽器はそれらに合わせることを暗黙の内に義務づけられます。
アール・ハインズがピアノでオクターブ奏法を多用して音量を増し、調律のできてないピアノを弾くのにモード旋法でガンガン弾くようになりました。チャーリー・クリスチャンがミントンズハウスにアンプを持って来たのは革命だったでしょう。ギターが主役になれた瞬間です。
現場はいつもその場で聞こえている音に従わざるを得ません。この状態ではできない、と帰ってしまうと代わりのミュージシャンがやってきます。ただそれだけ。コンボ(小さなグループ)でもリーダーの名前だけで通すのは、他のメンバーはその時都合の良い人を呼べば良いだけ。ベースもone of them。良い音の録音は現場の音ではなく、レコード芸術です。(長岡鉄男さん曰くレゲエ)
現場でいつでも割を食うのはコントラバスでしたし、今でも。
全体の音量が増してくると聞こえないベースはアンプでPAで大きくすることを要求されます。大きな楽器の他にアンプも持って運ぶことになる。車が要る。呑めない。ギャラより高い駐車場。
ピックアップも選ぶ、プリアンプも。現場で良い音になるためには、1人で実験して良い音になってもだめ。吸われる音、通る音、その時々のメンバー・楽器編成で違ってきます。あ〜めんどう。
商業・経済の徹底している所謂スタジオ仕事では、とうの昔にポピュラー音楽でのコントラバスは「特殊楽器扱い」です。ベースと言えばエレクトリック。真空管アンプにこだわったり、プリアンプやスピーカーに凝ったりするとブーストの効いたその種の音楽に実にピッタリの音が得られます。音量コントロールはツマミを回せばすむ。超小型アンプだけ持っていってスピーカーは借りたりすれば電車もOK。
コントラバスは辛い時代が続きます。もっともっと大きな音がバンドで必要になり、セシル・テイラーが、山下洋輔が、ベースを外しました。コルトレーンも最晩年は時にベースレスでした。ハッキリ言って「要らな」かったのか。居ても居なくても良いし、時には、邪魔だったのか。先へ先へ前のめりに行きたいのに、後ろに後ろに引っ張られる、和音を想定されてしまう、音質の悪いアンプを通したベースの音は酷い、却ってニュアンスがでない、ベーシストは面倒くさい反抗的性格の人が多い?等々の理由でしょう。
それでもそんな条件で弾き続けるには、超高音をアルコでキーキー鳴らすか、アンプでビービー鳴らすか。他のメンバーが順番に疲れ切るまでフリーで絶叫した後、さあ、ベースソロやってくれ、俺たち休むから、と言われても、聞こえるか聞こえないかの中ずっと弾いていたのです、結構疲れているんです、しかもアンプやPAを通した音、無音との対比どころではないし。聴衆の中にはやっと会話ができると安心しておしゃべりを始めたり。ああジミー・ギャリソン。
なんとか共演者が聞こえる状況になったとしても、それは聞こえる範囲でしかありません。聞こえることで存在は認めてくれますが、こちら主導して音楽を変えていくことはできません。やっとベースの音が聞こえますが、音楽全体を自分のインスピレーションで引っ張っていけないわけです。なんとストレスフル。
コントラバスの倍音や雑音を尊重するのはグループにとって移動を含め負担になります。それを承知で貫いたのは(意外かも知れませんが)MJQモダンジャズカルテット。彼らがどういう場所で活動していたか知りませんが、タキシードの写真など多くありますので、ストリートやライブハウスから遠く奥まった響きの良いホールなどだったのでしょうか。パーシー・ヒースは名器を弾いています。クラシック奏者たちは、良く響く場所にあらかじめ居場所を定め、マイク・アンプなど全く悩まないところで技巧を磨き、解釈を競い合い、高価な名器を求めています。
MJQは、ジャズでも「より良い音を求めるある層」のお客様用にやればいいのだ、という居場所をみつけたのかもしれません。
現代で言うと、ジョン・クレイトンさんは決してピックアップ+アンプを使いません。拡声が必要なときは普通のマイク(エアマイク)を使います。最近は機材も進んでいてラリー・グレナディアさん、ジョン・パティトゥッチさんなどLIVEでも良い音のようですが、我らが日常の活動と場所・スタッフ・なにしろ経済が違います。
一方、インプロのベースでアンプやフットペダルを使って「コントラバスは小さい方が良い」と楽器自体の音をあまり考えていないように見えるバリー・ガイさんは、クリストファー・ホグウッドのエンシェント室内管弦楽団の立上げから関わって古楽にも造詣が深いのです。(キチンとした衣装で日本公演にも参加していました。)クセナキスのコントラバスソロ曲「セラプス」の楽譜にも「この曲をアンプ、ペダルを使ってやったらどうか」と書いていたように記憶します。
ドラムスのバスドラムはジャズフォーマットではコントラバスと同じような領域だし、たくさんのタムタムはベースの倍音と似ていてよく吸ってしまいます。スネア(響き線)のノイズも共有してしまい、効果の強いドラムスに譲らざるを得ません。「人を煽情する」という理由でスネアを禁止したという話はノイズの力を熟知しています。シンバルは音を長引かせ、空間を埋め、ベースの出番・余韻を消してしまいます。
バリのガムランは金属打楽器が主役です。彼らは目にも留まらぬ速さでいちいち金属残響を止める!のです。長引かせるのは大きな銅鑼だけ。金属音の激しい音はごく短く切り、響かせない知恵なのです。韓国の銅鑼(チン)もミュートするのがキモだと感じています。レ・クアン・ニンさんがスティックで皮や金属を「叩く」という方法を放棄して、擦ることを主にして音程を手に入れました。
ジェニー・クラークはどんな小さな場所でもアンプを使いました。チャーリー・ヘイデンの音はエレクトリック・コントラバス(高柳昌行さん命名)です。
さてさて、そんな苦労を日常的にしているコントラバスの地位向上委員会(コン向委)をたちあげ、多くのベーシストがリーダーとなり、世の中の音楽を変えるのだ!
(全てを知っているのが昨晩のロジャー兄貴だな〜。)