野村喜和夫さんの迷宮
「ヌードな日」思潮社より 防柵7 (沈めよ、顔を) 防柵11(アヒダヘダツ)を使わせていただきました。
そのことをメールでお伝えすると、「とびきりぼくらしい詩集『ヌードな日』から、とびきりぼくらしい詩を選びましたね。ありがとうございます。」と返信頂き、嬉しいやら誇らしいやらです。
しかし、作業に係ると一筋縄ではいかないどころではなく百筋縄でも千筋縄でもいきません。
次々とめくるめくイメージの重層が、曼荼羅のように、迷路のようになり、作曲者も歌手もアッと言う間に道に迷い、さらわれてしまい、自分の所在が分からなくなるのです。
論理的に意味が意味を成すのと違い、何を言っているのか?などと問いはじめたらイケマセン。
イメージに身を投げ出し、委ねると実に気持ちが良い。言葉は意味を伝えるものという前提をあっさりと崩します。意味は言葉を制限して息苦しい。意味から自由になることは簡単なことではありません。
例えば:防柵11では
「間が問題だ、間がね。」とはじまり、鳥が鳥を越えていき、さえずり、悲鳴を上げ、アヒダヘダツが「間を隔つ」かと思っていると、「間へ立つ」になっていて「アハヒヘダツ」に変化。「わたくしとはだれでしたか?」とハムレットマシーンのように問いかけ、紫のりふりふが、ルリリルリリと知らん顔して口笛を吹き、散らせ散らせと煽る。
ルリリの発音がなんとなくRでなくLのように聞こえ、ウチナーグチのようだと、琉球音階を使ったパートが出来上がりました。もう喜和夫ワールドに入り込むしか出口はありません。
リハーサルで何回も何回も、泰子さんも私もどこかへ迷い込み、いまどこをやっているのか分からなくなるのです。
防柵7では
「沈めよ、喜べ、顔を、午後も、脳の底に、脳だ〜」と荘厳に始まるや、えっえっえっと反応している内にすでに喜和夫ワールドに入っています。あらかじめの埋葬、えっ何?もう踊っちゃえ!しかなくなり、ラップ風の部分を挟みました。これがスムーズに馴染みます。何という自由な言葉達。
世の中のほとんどの人が言葉を使って生活をしているので、言葉はみんなのものと思われていますが、言葉には言葉の専門家がいて然るべき。詩人もそのジャンル。音楽もみんなのものですが、専門家も必要です。専門家とはそれなしに生きていられない種族、そのために生きている種族なのでしょうか?おでこに印があったりして。
野村さんと城戸朱理さんと討議「詩の現在」(思潮社)で分かるように日本の現代詩を俯瞰できる膨大な知識・教養を持ち、自ら「国語国文学的身体」と言いながらもヴェルレーヌの翻訳をし、ランボーの本を書き、金子光晴を求めてアジアを旅する。しかも、軽やかに振る舞い、美味しいものを味わい、笑顔の絶えないお茶目で自在な人なのです。つかみどころなどアルハズハナイ。
歌になることで、その宝物の貯蔵庫をちょっと開けてみる助けになれば幸いです。
(https://www.facebook.com/tetsusaitoh/posts/2320793454627552?__tn__=K-R
参照。)
「ことば 詩 音 呼ぶ 歌 探す 踊る」
同時代の詩に徹が曲をつけ、泰子が歌い、隆志が踊ります。
2018年9月15日(土)17:00 open17:30 start
会場:アトリエ第Q藝術 (東京都世田谷区成城2-38-16 tel:03-6874-7739)
出演:松本泰子(歌)、齋藤徹(コントラバス・作曲) ゲスト:庄﨑隆志(ダンス・手話)
予約 3,000円 当日 3,500円
予約先:travessia115@me.com 、 utautaiko@me.com 、 q.art.seijo@gmail.com、いずれかまで。
東日本大震災・原発爆発の後、妊婦さん・新生児が集まっている避難所を訪れ一人彼らの前に立ったとき、今必要なのは「うた・おどり」と思い、歌作りを始めました。
テオ・アンゲロプロスの台詞、乾千恵のことばによる「オペリータうたをさがして」を経て、さらに病を得てから「私の りに言葉で生きている人がこんなにいる!」と気づき、連絡・依頼。
たくさんの曲が生まれました!本で詩を読むことから歌うことへ、今回はさらに、聾の役者・ダンサー庄﨑隆志さんが参加。耳で聞こえる言葉からさらに言葉は飛び立ちます。
齋藤徹