松代現代美術祭

私が知っている松代と言えば松代皇居・松代大本営と松代群発地震です。その地でザイ・クーニン(マレーのシャーマン)と「まつしろの地霊に捧ぐ」というパフォーマンスを行うのですから、初めから尋常ではありえません。私としては前日奇跡的に一時間の演奏ができた、という高ぶりが持続していますが、抗がん剤やキャンサーはいつも私の期待と不安をあざ笑うがごとく先回りすることは多くの多くの経験から知っています。そんなあまいものではない。

常に平常心で何が起きてもかまわない、とこころを鍛えての日常です。悟りとはいつでも死ぬことができることではなく、いつでも生きることができること、という子規の言葉を繰り返します。

呼吸を整えて松代入り。私のキャンサーを直感で発見してくれたガレリア表参道の石川利江さん、画家の小山利枝子さんと待ち合わせ。そこにつくばアートセンターの篠原さん・池澤さんが偶然現れました。一瞬、ここはどこで、私は何をやっているのだろうという気持ちにとらわれました。会うべき人は会うのでしょう。真田邸前の日暮らし亭で美味い蕎麦をいただき、それぞれの情報交換。前回はガレリア表参道小山利枝子個展内で、手術成功の報告演奏会(父が亡くなった日でした)今回は再発の報告になってしまいました。ままよ。小休止して会場の旧質倉 寺町商家へ。

ザイは、庭の池を見て、ここでやりたい。前半「庭」で・後半「倉」でということに即決。灯籠に火をいれることは会場側から却下。(何で?)

残りの唯一の問題は、言うことを聞かない私の身体で野外でできるか、移動はどうするか、椅子は、痺れて浮腫んだ足で靴を脱ぐ手間・時間などの実際上の手際。鈴木ちほさんのおかげでクリア。ありがとう。私の不調などはこちらの「事情」に過ぎません。音も絵もダンスも絶え間なく現れては消え、現れては消えています。

ザイは、奇をてらう系の現代アートパフォーマーではなく、シャーマンの儀式を淡々と行っています。水に入り、木に登り、歌い、踊り、自然と一体化しています。赤い短い紐を手で地面へ、水面へ撒きます。この赤い紐は、シンガポール、パリ、ヴェネチアビエンナーレ、と回った彼の作品である巨大な籐のボートに使ったもの。地霊を慰める・おさめる・捧ぐ。地鎮祭。切り取った人の首を持ち、どしん、と足を踏み地霊がでてくるのを防ぐのが「道」の語源、道に行き倒れた形が「真」、死が唯一の真実(白川静さん説)。

私はギリギリの身体ですが、なんとか指も少し動いています、ありがとう(と、どこかへ向かって深くお礼を言います)。途中から「音」をだしている時間より出していない時間の重要性が増してきて、秋の虫と共に演奏をしました。

皇居・大本営設営(そこにはNHKも入る計画で1945年8月15日まで続き9ヶ月で70%を完成させた大変苛酷なもの)で亡くなった多くの方、自然に私の演奏に東海岸巫族・珍島巫族に教わったリズム(長短)が多くでてきました。彼らからいただいた銅鑼(チン)も使いました。ファナティックな日本人の行動はいつでも隙を狙って顔をだします。要注意。

音楽もダンスも(詩も、医術も、占いも、絵画も、学者も)もともとシャーマンの仕事でした。儀式を行うなかで、ポンと秀でた人がでてきて、人気が出る人も現れ、多くの機会に求められ、その歌やダンスを洗練させる、というのが芸能の歴史の側面でもあるのでしょう。プロ、アマを考えるトピックになります。

地に収まった霊は遠く遙か空を飛ぶことを夢見、鳥となり、虫となり空を飛びます。それを導き、応援し、支えるのが音の仕事。

倉に移ってからは、密な空気の中で微細な現れが顕著になってきて、大きな思いを天に返すようにして終わりました。

この長野ツアーは、明日の担当医との診察・面談に大きな影響をのこしたように思います。

ありがとうございました!