暑い日が続いております。
複数の方から体調のお問い合わせがありました。御心配をかけます。ありがとうございます。心より感謝申し上げます。私と同様に病と闘っている人もいらっしゃいますし、もっともっとキビシイ状況の方も多くいらっしゃいます。この1週間は激しく揺れ動く日々で、すぐにFBやBlogに書く状態ではありませんでしたが、ここまでカミングアウトしているのですから、いままで同様、現在の状況をお伝えします。
以前から続く副作用も強く残り、左手の人差し指・小指と使えなくなり、普通の演奏はできなくなりました。足裏の浮腫みも膨張し、立ち座り、歩行が覚束ない状態。就寝も一時間おきに起きます。脱毛もあっと言う間に進んでいます。箸と茶碗の重さの想定・力の要れ具合からすべてが違ってしまいました。この熱帯夜でも厚い靴下をはき、手袋をして寝ています。
身体の声を3週間よく考えてみました。
抗がん剤で再発が「治療」できる割合は数パーセントと担当先生もおっしゃっていて、そこに賭けてみる、(やらなかったという後悔を考えよということ)延命や緩和ケアの要素が強いということ。
私の性格として、仕事もせずに不調のまま寝ているとすぐに鬱々としてきます。治療中止したからと言って副作用が緩和されること(演奏できる)の保証も全くありません。抗がん剤を続ければ副作用が増大することだけは確実なのです。
治療・再発・転移・副作用のサイクルを繰り返すことは、私も家族も友人・知人も大変辛いと容易に想像出来ます。劇薬を使って、白血球を減少させるというような「命」として際どい治療を続けることは果たして自分にとって、自分の人生にとって何なのか?
多少の延命をするよりは、残り時間を最大に利用して、できることを集中的に行う(本を一冊、歌作り、譜面整理、楽器の技術伝授、伝えたいことを伝えるetc.)方がいいのではないか?と思いました。
診察前夜、家人にその旨をつたえ、先生には、抗がん剤治療中止を申し出、今後のこと(検査はどのくらいしてくれるのか?など)を相談しようと決意して診療室に入りました。当日の血液検査の結果で白血球は上昇(抗がん剤治療再開可能の数値でした)。
アブラキサン(値段も高く、現在、癌医療現場での花形のひとつのようです。豪華なパンフレットもあります。痺れは必ず増えるなど副作用は強い)という治療効果の高い薬を止めて、副作用の比較的少ない(70〜80歳でも打っている)ジェムザールというのだけでも(治療効果は減りますが)数回やってみて、CTを撮って、その時点で再び話し合うのはどうか?という合意点・妥協点に至り、ジェムザールを点滴してきました。(劇薬には変わりありません。担当ナースは針を刺す・抜くごとにゴーグルを付け、新品のエプロンを付けます。)
病院の中待合室では、関西から賃貸アパートを借りて通っている方とお話をしました。(大渋滞していても二時間弱で病院に通えることのラッキーさに気がつきました。)彼女は私同様に肝胆膵周辺の癌で同じ先生についています)病状、副作用の厳しさに、電車に飛び込みたくなったことが何回もあったそうですが、月一回のクラシックコンサートが自分へのご褒美として音楽が生き甲斐だとおっしゃっていました。音楽は音楽家の自己表現などを越えてヒトの命の役に立っているのですね。
現在我がプランターで咲き誇っている朝顔は乾千恵さん(オペリータうたをさがしてのコトバ提供。)の家族農園からきた種です。ドイツに行っている間に枯れてしまったゴーヤのところにその種を植えました。千恵さんは私の何万倍かの経験をお持ちです。
ゴーヤにも朝顔にもどこからともなく蟻があつまりシジミチョウが飛んできて「社会」を構成しています。プランターには我が物顔で堂々と美しい雑草も生えています。見とれてしまって抜く気になれません。朽ちかけていた観葉植物は新しい芽をだしました。
病院へ行く車の中から、汗ふきふき歩いたり、急いで走っている人を見ると、ヒトは本当に素晴らしい、美しい、とまぶしく見えます。日常生活の単なる一コマなのでしょうが、不覚にもジ〜ンと来てしまいます。
ダンサーやミュージシャン、絵描き、詩人、役者、アスリート、何と言う奇跡的なことをやっていることでしょう。「自己表現」などではありません。できない側から見れば、奇跡的な人類「代表」なのです。いや、ダンサーやミュージシャンでなくてもすべての人が人類の代表で、日常生活はすべて奇跡です。
現状は、左手の硬化が進み、普通の演奏不可ですが、どんな状況でもなんとかすることが「即興」の極意(ワークショップ、ドネダの回)、楽器なしで音楽家としていられるか?(海童道の詰問)ということをなんとか活かしたいと思っています。
遠い未来にひょっとしたらそんな状況が来るのかも知れないと机上の空論をしていましたが、すぐ先にやって来ます。長野・仙川ではその時できることをやるつもりです。第Q藝術では、どうしようか思案中です。
こういう状態だと、いつ身体がNOを言うかも分かりません。その時は、どうやっても、できません。それまでは、まっすぐに行きたい・生きたいと思っています。私が居てもいなくても地球は回り、天行は過たず、私のQOLがどうであろうがなんのことありません。そして私はその呪縛の中で果てしない空を思い浮かべます。