違和感2

抗がん剤の副作用による骨髄抑制により、ナースが驚くほど白血球が減少。治療休止。

得体の知れない「違和感・不安」、倦怠感でほとんど鬱ですが、まだこうやってBlogが書けるのですからまだ大丈夫でしょう。

身体を守る役目を担う白血球を減少させたことに起因する身体からの「危機感」「悲鳴」だったのでしょうか?生まれて初めての感覚です。これが身体の声なのか?

違和感は、「自分が自分である」ことへのクエスチョンという形をとりました。自分と思っていたものは本当に自分なのか?という疑問。これは「即興」を考える時も、「創造」・音を考える時もよくでてくる話しでした。

また、身体は生きている間、お借りしているだけで、大事に使わせていただき、ちゃんと返す、という考え方にも共感を持っています。せっかく貸した身体にこんなことしやがって、という命の怒り?蕩々と続く命の歴史に逆行することをしやがって、ここまで来るのにどれだけのことがあったか、おまえ一人の身体ではないのだ、という命の憤り。

「身体も心も所有しない」ということをワークショップの1つのテーマとしていたくらい興味のあることですが、こういうかたちで突きつけられるとは・・・机上の空論でも知的ゲームでもなく、わたしのいのちの問題として立ち上がってきました。

実際の生活の中に四六時中・覆い尽くすほどに現れたのです。

駐車場に停める時の距離感の違いであったり、ものを持つときの想定の重さの違いだったり、一歩踏みだす距離、何かを思い出そうとするときの連想の違いだったりあらゆる所に出てきたのです。

この現象は、理屈を越えてまっすぐ有無を言わせず、入ってきます。以前からの副作用もがんばっちゃっているので、キビシさは増します。

ふっと思いました。これは「自閉症」の人々と同じなのかもしれない。こうやろうと思っても、ああなっちゃう、こう言おうと思っても、ああ言ってしまう、こう反応しようとしても、反対の行動を取ってしまう。どうしようもないので諦めて外の言うように従う。

もし、この仮説が正しいならば、なんと苦しい状況を強いられていることか。

想像できる切れ端を手にすると、ますますリアリティと過酷さを感じることができます。

さて、わたくしの身体の声、わたくしの理性とよばれるもの、月曜までになんと折り合いを付けるのだろうか?耳と耳の間にすわって、よく聞こうと思います。自分の口を通して何と言うのだろうか?ハラハラドキドキの日々ですが、思い巡らしてもしかたがありません。

撮影:スズキイチロウ

大丈夫

ノーテンキ(スズキイチロウ)

ハクナマタタ(アフリカ・渋谷英利)

ナンクルナイサ(ウチナーグチ)

イロナンショ(伝承・tomoko saitoh )

ジャマイカ(駄洒落)

カマヘンカマヘン(大阪弁・山田いづみ)

マイペンラーイ(タイ語・Akemi Hitomi)

ケンチャナヨ(韓国語)

ジャンガンビンバン(マレー語・ザイ・クーニン)

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テゲテゲ(鹿児島弁・太田恵資)

ケ・セラ・セラ(フランス語)

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C’est la vie(フランス語)

背骨に息を入れてウーム大丈夫(野口晴哉)

なんもだ~(北海道弁 小樽啓)

馬馬虎虎マーマーフーフー(中国・谷本仰)

ジーボ ジーボ ジーボ ジーボ(なみきせつこ)

なんでんなかばい(長崎・山崎史朗)

シンケンケン(バリ島 小川洋)

やぁれやぁれ (ミャンマー語 鈴木ちほ)