「3ヶ月保証いただきました」などと、言っています。3ヶ月おきにCTスキャンやMRIを撮って再発はないか?回復度はどうか?などを調べてもらっていて、医師のOKがでると次の3ヶ月検診まで一応安心して生きていくわけです。
memento mori 死を思うことは、生を充実させるために、必要なことを実感します。あの時、あんなに実感したじゃないか。現状、副作用にかなり苦しんでいますが、楽しいことが多く「生に恋々」としている状態で、あまり感心しませんね。
本来は、その教訓を活かしその日その日を充実させ、一時間一時間、一瞬一瞬を最後として味わうべきということをあれほど思ったのに、随分先の予定まで入れています。あ〜ダメだね〜。
検診でなくても、齢を重ねていくと「残り」を考えます。考えざるを得ません。目の前に迫ってくる「病」でなくても、たとえば、パスポート更新。そこで「一度」にするか「5年」にするか「10年」にするかを選択するわけです。
今度の渡独が最後の海外かもしれないということは、真剣に考えざるを得ない状況であり、実際に心のどこかではひっかかっていますが、思い切って「10年有効」にチェックを入れました。願いをかけた選択です。
車検の時も、この車で終えるのか?もう一台中古を探すのか?コンピューターの不調も、もう一台買い換えるのか否か?
副作用に苛まれていますが、もし、この副作用がなかったら、調子に乗って飛び回っている可能性が非常に強い。それをストップさせてくれている「ありがたい」副作用さん、と呼びましょう。本日友人の入院の報に接し、気持ちを新たにしました。ガンバレ!