ソロ@カフェ・音・Luck
本当に復活なのか?(次回は完全復活と書いてもらいます、と断言する広島Yさん)
前回の約束には来ることができず、今回ともかく生きていてこうやって演奏できるのだから復活にはちがいない。
生命の38億年の歴史と人間のちっぽけな歴史の比較は好きだし、胎内10ヶ月で生命史を辿る話しも好きです。では、未来は?というと発想もしていませんでした。
ヒトにとっての未来はどうなんだろう?今の状態が完成形でこれ以上変わらない、ということもあるまい。
過去から引き継がれた身体を持ち、今を生き、いずれ次のヒトが現れる。
それは、もしかしたら病気や障がいを内包して、抗生物質や抗がん剤、環境ホルモンに侵襲されつつも適合し生き延びた姿なのかもしれない。(大金を払って鳥葬を申し込んでも鳥が抗生物質まみれの遺体を嫌がり鳥葬ができないケースが増えていると言います。)
いま、こうやってこのすがたで生きています。とりあえずそのことを愛でようではないか?というのが「ダンス」に惹かれる大きな要因かもしれません。ようやっとこうやって存在しています、将来どうなるかわかりませんが踊りましょう!という慈しみ。
などと、パンパンに張った脚と痺れる手足で考えつつ、ツアーラストソロ。
カフェ・音・LuckはPA使用を基本としたライブハウス。生音は響きませんが、いつものようにPAは使わずに演奏することにしました。前回ソロツアーを聴いてくださっての今回の依頼だったので、大丈夫だろうと想像しました。
今の楽器の調整は、音の芯はありますが、伸びないし音量も小さめになっています。ワークショップでも「聴くこと」の大事さ、「聞くこと」との違い、音と沈黙の対峙、沈黙のために音がある、音は音のない状態と共に初めて存在する、演奏が終わって音楽が始まる、なんて言っていますので、生音でやるわけです。
慣れてないかもしれませんが、耳をそばだてて聴いていただこう。金原亭馬生さんは大きな高座でも初めはごく小さな声でしゃべり始め、お客さんの耳を要求したそうです。イヤな人は帰る。聞きたい人は耳をそばだてる。
聴くこと・待つこと・信じることは同義。他人に委ねることも、お金で買うこともできない。
音量を迫力と間違えないこと、迫力と感動を間違えないこと。今、必要です。(身体は知っていますが、頭が間違えさせる)
どこに座ったお客様にも同じ音を届けようというのがPA・Public Address(最近はSR Sound Reinforcement 音の補強 と言うようです。)の発想。本来、音がどこでもちゃんと聞こえるなんて有り得ません。エンターテイメントの面から発想すると同じお金をいただいているのだから同じ音を、ということかもしれませんが、今回は諦めていただきます。
蓄積疲労もありチカラをすこしいれると指がつります。つった指をごまかして回復をまち、上から押さえるだけにしたり、弓にもちかえたりします。ジャンゴ・ラインハルトを思い出し(彼は重い火傷で左指が2本しか普通にうごかなかったとのこと)第二部初めはジャンゴ(ジョン・ルイス)を弾きました。その他には、滅多にやらない曲もいくつかやりました。そういう「私」は新鮮でした。
前のめりに聴いていたので普段の2倍エネルギーが要ったよ、とか、疲れたけど、その甲斐は有ったようだよ、とか、本当に一対一だった、とか、感想をいただきました。ありがとうございます。
最後は広島・高場さん・ロルカ・関係者・スタッフを思い「invitation」を演奏して、終えました。旅の終わりは次の旅の始まりの招待状。