賢治のよく言うような蒼く黒いものではなかった。赤銅色に鈍くひかりゆっくり拍動するこぶし大のもの。
見えたような気がした。エアジンバッハ第2部。
第一部はエアジンのいつものリラックスした雰囲気や、なにより、ガン完全消滅の梅本さんへのお祝いもあり、桜も満開、ゆいさんの溌剌として、インスピレーションに満ち、高い音楽性のおかげでとても音楽的で、即興的で、豊かで、風通しの良いバッハでした。梅本さんのこのプロジェクトの思惑が叶っている!
第二部での無伴奏チェロ組曲2,5,6番。
体調も万全で無く風邪気味でした。風邪は邪ではなく「風是」という乾千恵・野口晴哉説に力づけられておりました。身体の替わり目なのだ、替わった後はより良くなっているのだ。
手足の副作用は常態です。疲労と筋力の衰えでの手足の指の「つり」も広島から経験済み。そんな時はジャンゴ・ラインハルトや俵英三さんを思います。
ツラの皮も随分と厚くなり「何カ所も躓いたり、間違えたり、暗譜したものもすっとんだりするだろうな」と予測。おまじないのように楽譜も持っていきましたが一瞥もしませんでした。
バッハは、ほとんどキャンのように、自分の理解や把握を大きく越え(上回り・先回り・いたずらし・弱さにつけこみ・己を知らしめ)大好きで得意なところでつまずき、なんでもないところでミスる、毎回発見があり、喜びがある。つまり、想定できないことは充分に想定できます。
昨年末までに通常の意味での暗譜は完了していました。今まで通りだったら、と思うと多少残念ですが、このところは時間があれば横になっている状態です。身体の中では切り取った内臓の再建を懸命にしているのはずです。けっして悔やみはしません。
華やいだエアジンの短い休憩の後、さて、ソロが始まりました。
リピートのある所では2回目はピッチカートにして、ガット弦ならではの爪弾きを入れ、アルペジオを加えたり、第2番は順調に進み、最も好きな5番プレリュードで記憶がすっとび、ドツボにはまったか、と思いました。酸欠気味になり、頭に血が回っていないのは明らか、指はつり、患っていない方の耳がツーンと膜が張ったようになりました。
あっ、これはもしかしたら、頭を下げて終演かとよぎりました。バッハに、十年二十年はやいよ、と突っ返されたのか・・・。
しかし、なぜか、続けて行くことを選択していました。
不思議なことに徐々に調子を取り戻し楽器も鳴ってきました。
その時に、その赤銅色のものがニヤッとしているを感じたのです。
これはもしかしたら私の身体を使って「演奏させている」もの、さらに言えば、私を「生かして」いる大元なのかもしれないと直感しました。
もはや、演奏に間違いや正解はなく、バッハではなく、コントラバスでもなく、音楽でさえないのかもしれない。こいつのせいで私はこうなって、こうやっている、生きている限りやりつづける。自分から辞めることはできない。私の身体が終わったら他の人に移るのか?
終演後、彦根の西覚寺の方が「生きる」姿をみました、とおっしゃってくださいました。
私の感覚と合わせるとまさにそういうことだったのでしょうか。