あとは音に聞いとくれ

あとは音に聞いとくれ

板橋大山教会でのDUO終了しました。
とても暖かな雰囲気の教会で感動しました。小倉の谷本さんの教会を彷彿させます。

きけば、薬物依存症からの復帰の自助ミーティング活動もしているとのこと。
牧師さんに私の不調回復のためのお祈りをしていただいた時に、肩に手を当てていただきました。すぐさま接触しているところが暖かくなりびっくりしました。愛の「手当て」ですね。

目覚ましい活動を一人淡々と行っている喜多直毅さんは、事務・演奏に多忙を極めています。さぞかし大変な日常と思います。(私にも覚えがあります。)演奏の現場で演奏が始まると、やっと、ホッとする状態なのだと思います。くれぐれも身体を壊さぬよう願います。多くの人々のために!!

このDUOの即興演奏は、その場によって、聴衆によって、大きく変わります。このDUOを聞いてくれい!と得意の演奏をする、という状態ではなく、激しく尖らなくても、身体の限界まで振り絞らなくても良いのです。自然に普通に穏やかにやっていてもこのDUOの音は、充分に激しく・尖って・狂っているようです。その流れに沿って、この日はこの場、聴衆でしか起こりえないことをのびのびとやりました。

先週の小林裕児さんのWSで「空っぽのコップ」の話しがありました。空のコップにはどんどんといろいろなものが注がれていきます。満杯のコップにはもう何も入りません。

私たちは、コップを空っぽにして、そこに教会の、聴衆の、スタッフの気持ちが注がれていき、今・ここでしかないこの時間・音楽が生まれました。

私たちは精一杯やりますから、あとは音に聞いとくれ!という感じです。

音は私たちの身体や心や楽器を離れ、聴衆の心や身体も離れ、音と身体(自然)が直接会話している。

慇懃無礼な答弁、くどくてわからなくなってしまう丁寧語があふれ、嘘と本当が分からなくなってしまい気持ちが萎えがちです。

言霊や音霊があると信じます。嘘つくとバチが当たるよ〜。
「音」の語源は、神の声を聞くこと、嘘をつくと入れ墨の刑!なのだ。(白川静さん)