小林裕児さんと共演を始めた当時、まだコラボレーションという言葉は一般に馴染んでおらず、闘魂アントニオ猪木に倣って「異種格闘技」という言葉が冗談っぽく使われてたかな、という時代でした。
「お互いがお互いの説明をしない」ことを話しました。説明や伴奏になってしまうと両方共にクリエイティブでなくなってしまうし、スピード感・ワクワク感が損なわれるということです。また、時には、焦点をグッと合わせて敢えて、説明や効果、強調をすることも「有り!」。同じ空間でやりながらもまったく「合わせない」というのも不自然だし、「もったいない」。祝祭空間のように「気」を合わせたり、聴衆も含めて演劇的に演じてみることもやってみる価値あり。そんな合意だったように思います。なにしろ古今東西のあふれる知識をお持ちなので話しがおもしろくてしかたなかったです。
おもしろがる、楽しむ、ことができるということは、ご自身を客観視できているのだな~、凄いことだな~と、楽しみ下手な私は思ったものです。
1989年ベルリンの壁が崩れた時に符合するように作風が大きく変わったという話。細密画を年に数枚という位のペースで描いていたのを安井賞「夢酔」を取った頃からまったく変わったとのこと。お目にかかった時には、あっと言う間にに何十枚ものドローイングをするようにしていて、話しをしていても、電車に乗っていても、手だけはドローイングをしていたりなさっていました。「な~に、微電流を流しているんですよ」とおっしゃる。微電流ということは、大電流をいつでも自然に流すためのものか・・・と感じました。ご自分を客観視できている証左でしょう。私がこの頃考えている「自分の心も体も所有しない」ということを実践されていたのですね。
この「微電流」は、私にとっては何になるのだろう?という宿題になりました。(まだ答えがでていません。)
ライブペインティングでは、普段アトリエで描いている時のように、後ろに下がって全体を俯瞰したり、近づいて部分を凝視することはできません。それを想像力で補っている!細密画を描く過程で古今東西の技法を自分のものとして、あらゆるイマジネーションをいかなる時も駆使できる!
世間では、皮肉っぽく「人はもっとも似合わない職業を選び、もっとも似合わない人と結婚し、生きている間は修行していくのだ・・」と言い、なるほどな~むべなるかな、と思うことがありますが、裕児さんはそのまさしく例外。絵を描くために生まれ、その職業に就いている!のです。世の中にはそういう人達(天才)が引っ張ってもらわねばならないことが多く存在します。
鳥の声はほとんど聞き分けられ、花の種類もほとんどご存知。羊と一緒に住むために郊外に居を構える。山に入り、横たわり、落ち葉に埋もれる経験の話、「山窩」ではないかと思われる人に会った話が熊楠の話と交差したり興味深いお話は尽きることがありません。
ダンスや演劇への興味も深く、広く全てを美術へと昇華していくようです。もともと持っていらっしゃる情報の質・量が高度で多量なので、出会う人の大きさに比例し、一緒に飛翔します。
制作する作品の量には啞然とします。年々増えていくようなのです。天才とは質ばかりではなく量だ、という話が納得させられます。
3月11日(日)13:00~16:00ころまで(途中休憩あり)
「いずるば」大田区田園調布本町38-8
予約3500円 当日4000円