高校時代の友人の父・劇作家宮本研さんの「美しきものの伝説」を文学座アトリエ公演で観に行ったことがあります。太地喜和子さんも出演していました。その友人・宮本新さんとオーネット、ミンガスに影響された音楽を初台「騒」(ガヤ)で演奏したのが人前ではじめての演奏でした。阿部薫さんの亡くなった1ヶ月後のガヤでした。
八代目文楽師匠と立川談志の対談を聞いていたら、昔話が連鎖して巡ってきました。師匠曰く、何人かの客が木戸銭も払わずに堂々と寄席に入ってきた、あれは?と聞くと「大杉栄と官憲だよ」と言うこと。官憲を従えて堂々としていたとのこと。「美しきものの伝説」でも描かれていました。文楽師匠の話で、やっぱりそうだったのだな〜と納得しました。宮本研さんは宮崎滔天・田中正造の脚本を書いたり、今村監督「ええじゃないか」の脚本も書き、かつ、ナット・ヘントフの「ジャズカントリー」をラジオドラマにしていたり、1年に1回は漱石全集を読むという人で笹塚のお宅に遊びに行きながら「隣の部屋にいらっしゃるのだな〜」と思っていました。
大杉栄が寄席や浅草オペラが大好きだったことは竹中労さんの木馬亭での講演会でも聞いていました。毎月、箱根の山から浅草へ下りてきて当時「現代の眼」に連載していた大杉栄や満州映画の話をしていました。今や「偉く」なった友人に誘われて聞きに行きました。ある時、ちょっと遅れて来て、阿部薫さんの葬儀に行っていて遅れてしまったとのこと。なんだかんだが繋がっている世の中でした。(土方巽さんと榎本健一さんが繋がっていたとか・・・)
そんな時代、学生で新宿を中心に行動していたのでその香りは鼻の奥にまだあります。多くの人がまだ街でうろうろしていて家に帰らなかった。大学では凄惨な内ゲバ殺人が起こり、表から見えなくなりました。
私は当時珍しかった韓国語の単位を少し取りました。アジアとの関係が多かった祖父(東亜同文書院卒で中国、仏印/仏領インドシナ・ベトナムのこと、パキスタン等で商社勤務)の影響もあったかと思います。私が子供の頃弾いたピアノはフランス製でSAIGON(サイゴン)というブランドでした。鍵盤はまだ象牙の時代。時々パーコレーターでフランス式珈琲を、なんと苦々しいのだろうと味わったりしていました。タイの事業家が無心に来た時、折り紙で飛行機を教えてくれました。この折り方はその後どこでも見たことはありません。
竹内好さんや、松本健一(民主党政権の時、アドバイザーで現れたときは驚きました)さんの本を読み、右翼と左翼はリベラルを真ん中に置いた合わせ鏡だという説に頷いていました。石原完爾と板垣征四郎の名前から小澤征爾の名が付けられたということも妙に覚えています。
水俣病の調査をしたり、柳田國男から南方熊楠へ興味を移していた鶴見和子さんのゼミに入り、卒論を書きました。大学院へ入ってこのまま研究を続けなさい、ということでしたが、どうも自分の書くものが嘘っぽい・人の受け売りばかり、と感じ、「ベースを弾きます」とドロップアウト。就職口はどこでも自由に選べるような時代にあの自信はどこから来たのか、いまだもって不明です。(20年後に大学に呼び戻されるとは全く思いませんでした。)
語学研修でまだ戒厳令下の韓国に行ったことも大きな経験でした。(関釜フェリーで学割!が使えました。)さまざまな経験をして自分は学問には向かないこと、右翼も左翼も韓国のことひとつ理解・解決できないことを思い、帰りに九州・広島の友人・親戚のところへ行き、ジャズぐれ、後楽園にあった楽器店でベースを手に入れました。(私のユーラシアンエコーズというコンサートシリーズはこのあたりと関係した特別なものなのです。)
鶴見和子・俊輔の祖父が後藤新平です。後藤が東京府知事時代に、大杉栄は、金の無心に後藤を訪ね、しっかり借りてきたというのは事実のようです。右も左も無政府も権力も今のようにギチギチではなかった。大杉はファーブル昆虫記(1989年にやっと完訳)を和訳したり、仏典のフランス語訳でアルバイトなどもしていたそうです。
生きることにひたすら命を燃やしていた姿は小熊秀雄さんを思い起こします。それで宮本さんは「美しきもの」と名づけたのでしょう。
そういう人達がたくさんいた時代。身の回りはまだまだ息がしやすく、ある程度融通が利いて、いかがわしい人もたくさんいて、全般に自由だったのではないかな?
そんな空気の応援も得て、サラリーマンの息子が楽器を弾く人生を選び、多くの人々との繋がりで、今こうやっています。生き方として仕事を選ぶ自由がまだあった?
そして、それは今だって有るんじゃないかな?
11月18日ワークショップのゲスト岩下徹さんも「生き方として仕事を選んだ」一人です。2〜3歳の時からやっていたような音楽家・ダンサーには身体的にも感覚的にも及ばないことは多々あります。天才や家柄にのみ許される職業のようにみえますが、あなたにしかできないことがある!足許を見て、友人・家族・仲間を大切にすることからすこしずつ始まるんじゃないか。自戒も込めてそんなこともワークショップで伝えたいと思っています。