健常時でさえ詰め込み過ぎのスケジュールをフーフー言いながら、どうにかこうにかこなしています。ケモブレであろう症状もあります、というか、上手く行かないのをすべてケモブレのせいにしてしまっております。気が少し楽。
でも、しかし、もちろん、良いこと素晴らしいこともいろいろとあります。
LIVEやワークショップはたいへんですが、毎回充実していて気づきと発見に溢れています。
本日、定期検診(血液・レントゲン・CTスキャン)の結果があり、無事に通過!できました。検診が毎月から3ヶ月おきになりました。3ヶ月を単位に生きていくことになりました。
この病気の語源は蟹です。私の通う病院のマークも蟹。今度、蟹を食いまくって憂さを晴らしたいですね〜。回復が順調なのはもちろん嬉しいですが、はしゃぐ気にはなれないものです。「気」を付けて日々充実していたいものです。
「いずるば」ワークショップ。久しぶりのゲスト無し。大型台風が着々と近づいて来ていて、集まることの出来る人が限られてきます。この状況を活用すべくみなさんの話も普段以上に聞くことができます。
日本語のリズムを一弦琴で実践。自分の名前のリズムをだしながら、赤ん坊・子供の頃の話を聞き出します。みんな遠い目をして懐かしい風景が香りと共にでてきます。四つん這いで声を出したり、記憶の深いところにアクセス。飛ぶためには屈まなければなりません。遠くまで飛ぶためにはうんと屈んで。
知里幸恵さんのアイヌ神謡集序、賢治さんの農民芸術論概要、荘子の天籟・地籟・人籟のテキストを配りました。
ゲスト会のフランス人が「個人が消滅」し、解放されると自由にインプロ出来、それが理想、というような意見でした。それはよく分かりますし賛成です。か、それに対してアジア的な解放があるのでは、ということを賢治の芸術論にヒントを求めたいのです。
もう一つの課題。
即興の反語は「日常」「自分自身」と言ってきました。
即興には発見が必要だし、非日常・逸脱が必須になります。その逸脱を可能にするのは何か?というテーマが立ち現れてきています。
日頃の練習や考え、経験や積み重ね、やるだけはやったという満足感が元になって、身を投げ出す勇気がでるのでは、と思っていました。が、現在のように、身体が思うように動かない、思うように演奏できないと、違う考えが必要になります。ピンチはチャンス。新しい気づきがでてきそうです。即興の実践、振り返りも充実したものでした。
翌日、茶会記のLIVEはMIYAさんとベネディクトさんとのトリオ。この所、私のインプロは1音の行方を見守り、追うような傾向にありましたが、この日は全くベクトルがちがう音数が多く、音量のあるストロングスタイルでした。
痺れが、浮腫がなどと言っていられない状況。この体調でもなんとか受けて立てるかな〜と言う気も起こり、2ステージ弾きっぱなしという経験でした。楽屋では、ロンドンの話、南相馬の話など先に繋がりそうなトピックも現れました。やっぱり、街に出て人と会うことは必要です。
翌日、11/18の次回ワークショップのゲスト岩下徹さんと打ち合わせ。私が今考えていることをそのまま提案し、岩下さんの経験と思想と絡ませ、しかも、充分に逸脱し、「いつもの」徹・徹でないように、などとスタッフと共にたいへん充実した打ち合わせでした。本番楽しみにしていてくださいませ!