北の大地は、熱く抱擁してくれました。
場所と時間と人は微妙なタイミングで出会いと別れを繰り返します。吉田一穂的に言えば、ブラキストン線を越えた北の大地は、この十年間私にとって特別な土地でした。北の人々は、いつも熱く、嘘偽りを許さない厳しさと、底知れぬ人を信じる暖かさを兼ね備えています。
年に一回は訪れていましたがこの2年は行けずにいました。このアブセンスは弱冠不安になっていました。
七夕の長時間手術の直前に今回の岩見沢アール・ブリュットフォーラムのお話を戴きました。心身ともに大きく揺れ動く時でしたが、北の大地を思い浮かべながら、平静を装って事務を進めてジャン・サスポータス、矢萩竜太郎さんとのトリオでの出演が決まりました。手術の失敗や、不可能は一応想定し、もし私が抜けてもこの二人に任せることができる、という暗黙の手続・確認を自分の中で済ませていました。もちろん、北海道の受け入れ先の人への絶対の信頼に基づくものです。
アール・ブリュットそして、それを提唱した(1945年)ジャン・デュビュッフェについて、長く興味を持っていろいろと調べていたし、ハンディキャップの人たちとの関係もどんどん広がってきているし、竜太郎さん(ダウン症)・ジャンさんとはドイツ公演もしDVDも作っているし、さらに、ジャンさんとは、ドイツで自閉症プロジェクト・タンツテアター「私の城」も上演・再演も進めています。
そして、今回は、私が、生き残ったものの、手足が痺れて、普通の動作ができない(立つのも歩くのもフラフラ・動作緩慢・ボタン付けから箸の上げ下げまで倍以上の時間がかかります。)、ましてや楽器の演奏はまだまだ「普通に」できないのです。思うように「出来ない」というハンディキャップが実感を伴っているのです。これは本当に大きな違い・発見、想像力の源になりました。「普通」「出来る」とは何??
これだけ「条件」の揃った状況ですので、まるで私達のためのもののように、とても自然にツアーを完遂することが出来ました。もちろん、その裏にはスタッフ達のたいへんな苦労があったことは容易に想像できます。(特に菊地雅子さん・斉藤知子さん!)
フォーラムでのオープニングアクトとしてトリオでパフォーマンス(収容1000名の大ホール、テッチさんの画が吊されています。)。ジャンさんワークショップ、竜太郎さんと私の初の共同ワークショップ、私とジャンさんでの映像・音源を使った講義、好評と発見の中、遂行できました。ワークショップでは、一張羅、庄崎隆志さん作の「大丈夫Tシャツ」を着ました。庄﨑さんの話も勿論でました。
何とも嬉しかったのは、北海道の多くの知人・友人が楽屋を訪ねて来てくれたことです。旭川モケラモケラの仲間達が大勢北海道各地から、かたるべ+のスタッフ、沢井一恵さんのお弟子さん・大西さん、渋谷さん、レッドベリースタジオの飯塚さん、弦巻楽団の弦巻さん、サバイバー先輩の渋谷さん、ベースの立花さんなどなど・・・・(そしてこの間に亡くなってしまった共通の友人を偲びました。)
北の大地が熱く熱く抱擁してくれました。私が命を繫げたという事と同時に、これから先の実りあるべき将来への約束を密かに宿した抱擁でした。
展示された300点以上の作品も、作家さんのスピーチも本当に素晴らしかったです!!
渋谷さん・弦巻さんの写真もお借りしました。なまらありがとう。