副作用による痺れと浮腫みに悩まされていると以前思ってもいない視点を手に入れることができます。出会う人で話のわかりそうな人、スタッフ、ジャンさんともそんな話ばかり。
「下手」というトピック。
確かに30数年前に楽器の練習をしていた時、「上手く弾けないな〜」と口惜しく思いながら出していた音を思い出すくらい「下手」なのです。
その逆に、「今までの演奏の中で一番素晴らしい」という言葉も聞くのです。そう言ってくれる人が必ずしも私の病気や副作用を知っているわけでもないので複雑です。
上手いって何?伝わるって何?という根本的なことを考えざるを得ません。表現の自己満足と聴衆の満足の差異はどこにある?
クラシックやジャズは無意識的に「うまい」ことをかなり重要事項かつ当たり前のことと考えます。確かに「うまく」成るためにず〜〜〜っと練習し、競争し、試験を受け、楽器を買い、職業となり、お金を貰い、衣食住にあてます。そこに迷いはありません。
しかし、突発的に病気になったり事故に遭ったりして身体が言うことを聞かなくなるとどうしようもない。悩み、荒れ、諦めたり・・・。
そんな状態ですが、明日から岩見沢アールブリュットフォーラムに参加してきます。
アールブリュットという言葉を提唱したジャン・デュビュッフェは画家ですが、即興演奏の録音をしたり、アントナン・アルトーを支援したり、理論書を書いたりしています。
アートの世界では「ヘタウマ」が随分前から認知されています。ピカソやダリにしても「本当は素晴らしいデッサン力を持っていて・・・」という前提があって「だから、下手に見えても、下手ではないのだ」ということも言われていましたが、もはや、それも過ぎて、何でもありになっているようにも見えます。
フリーインプロの演奏でも、ああやって初心者と同じような音を出しているけど、あの人は本当は上手いのだ、ということも言われましたが、DJがでてきて、イフェクター奏者がでてきたら本物も偽物も昔の概念では計れないでしょう。
そんな混沌とした時代に、アールブリュットは意味を持ってきます。
下手にしても上手いにしても、「効果的」であるか「もっともっと」であるかはほとんど変わりは無い。そのときにアールブリュットは、その価値基準を軽く超えることが出来るのです。
そんなことを考えながら、岩見沢の準備をします。
当然17日の「いずるば」ワークショップ:ゲスト:ジャン・サスポータス でも話題に上るでしょう。https://www.facebook.com/齋藤徹のワークショップ-270624306698714/…
また「いずるば」でのジャン・サスポータスさんワークショップ(ジャンさん体操・気の道入門
)も始まります。日本各地で話題となったワークショップを東京で受けることが出来ます。チャンスです。https://www.facebook.com/events/449609968744165/?fref=ts