Toda mi vidaその3
ミッシェルとニンが帰国する日、小鼓の久田舜一郎さんから2人に電話がありました。彼は日本語でどんどん話すのだそうです。もちろん2人には何のことか分りません。
ともかく2人と話したかった、舜一郎さんは、彼等が日本語を解さないことなどは忘れています。それが嵩じての電話だったのです。それほど話したかったのです。人間国宝のお呼びも近いと言われる人が、です。なんとも良い話ではありませんか?
考えてみれば、久田氏にとっては「芸」のみが大事です。共演する人の名前の大きい小さいは全く関係ありません。(実際、リー・コニッツやバール・フィリップスとも共演しています)ともかくミッシェル・ドネダとレ・クアン・ニンが大好きなのです。すなわち、ご自身の芸にとって大事なのです。大変多忙な日常ですが、今回ツアーのなかでも時間を見付けて京都芦屋画廊でのセッションにも急遽出演を叶えていました。
昨年、神戸で私・久田舜一郎さん・角正之さん・辛恩珠さんとのセッションが有ったとき、久田舜一郎さんが休みの時間がありました。楽屋でユックリされているのかと思ったら、会場の隅でじっと舞台を観ておられます。終演後「どうして?」と聞くと「齋藤さんの演出ぶりを勉強させていただいておりました」と!
Space Whoで共演した沢井一恵さんもその世界では雲上人のように思われている存在です。一恵さんが今回の楽器運搬を頼んだお箏屋さんと一恵さんのなんでもないスナップ写真をわが娘が撮ったところ「これは家宝になります」と言っていたという・・・
私が開場時間直前に到着するや、「てっちゃん、私の五弦琴と弱音のデュオやりましょう!」と決めていらっしゃいました。音が鳴っているのか鳴っていないのか分らないほどの超弱音です。(古代楽器のレプリカ)
実は私が出演不能ということで第一部はデュオを三種とすでに決められていました。(私も承知していました)。そんなことは関係ありません。何かが閃いたのでしょう。何かが聞えたのでしょう。一恵さんはそれに従うしかないのです。
私もつい先日のワークショップで無絃琴をとりあげ、陶淵明・良寬・漱石など調べていました。また、昨年夏の京都での若尾裕さんとのセッションでも「小さな音だけ」という縛りをつけてやっていました。「音楽は、音が鳴り終わったときに始まる」というのもこの頃よく考えるトピックです。
ともかく久田舜一郎さんにしても沢井一恵さんにしても、「わがまま」に見えるときがありますが、それはご自身にとってのわがままではなく「芸」や「音」にとってのわがままなのです。ポーランドのアバカノビッチさんを思い出しました。
伝統とは異端と異端という点が繫がった線なのだ、と私は考えます。このお二人を観ているとそう思わざるを得ません。お二人とも異端に見えるかも知れませんが、本当の伝統を繫ぐ輝く点なのです。
アストル・ピアソラ、パコ・デ・ルシア、2人ともかつては前衛とよばれていましたが、今や、伝統のど真ん中です。異端に見えるくらいのはみ出し方をしていなければ真の伝統を継ぐことは出来ません。
彼等のことを異端と批判していた人たちは、ファンであり、フォロワーです。圧倒的に多数です。クリエーターたるには異端のそしりを甘んじながら、孤独の中で、止むことの無い好奇心と、実験精神を持続するのみなのでしょう。
またしてもToda Mi Vidaのことでしたね。