私にとってのタンゴは、オスワルド・プグリエーセとアストル・ピアソラの2人に象徴され、ジュンバ(2ビート)に収斂していきます。
ビートに関して言えば、私の身体の中に4ビートと8ビートが無いようなのです。そのため、私の音楽歴は端から見ると隙間ばかり。実際、回りの音楽に合わせてみると「ちょっと違うな〜」とか「これはできないよ」とかでしたが、自分中心に考えると楽でした。グループのサポートとしては役に立たないけれど、リーダーグループになれば何の問題もないのでした。
しかし、コントラバス奏者にとって、サポート役こそが求められる世情です。頼りになるベースとして今日はこのグループ明日はこのセッションと渡り歩くことこそベーシストの本流であり続けています。(ベースリーダーグループが極端に少ないことでも証明できます。)経済としても成り立つのです。(これは重要!)
4ビートのジャズや8ビートのロックはできませんが、2ビートのジャズはOKです。ミンガスやエリントンの古い感じなら大好きなのでした。身体の中のリズムが2ビートなのか?随分と考えました。引き寄せられるようにタンゴ・フォルクローレに行きました。始まりは「ベーシストが急に居なくなっちゃった(逃げた)。」という横濱のセミプロ楽団(シエテ・デ・オロ)のエキストラでした。ブエノス・アイレスに行ける、という事で気軽に引き受けました。それが人生の一大めぐり会いになったのです。
「ベーシストが逃げた」というのは私にとって大ラッキー印なのです。同じ状況で出会ったのが庄﨑隆志さん・南雲麻衣さんとの「牡丹と馬」でした。聾の世界との繋がりもそんな状況から生まれました。
プグリエーセ楽団のコピーをして、プグリエーセ楽団の練習に加わり、合同演奏までして帰ってきました。その2ビートは今まで経験した中で最強の2ビート(ジュンバ)でした。
音楽的にピアソラフリークだったのですが、ピアソラがタンゴの前衛でも破壊者でもなく本流であることを直感しました。異端と異端の細い繋がりこそ本流であることは、邦楽で感じていましたが、ピアソラも、フラメンコのパコ・デ・ルシアも同様です。今や誰もが認めるど真ん中です。
そんな中で博多で出会ったトリオロスファンダンゴス。もう随分年月経ちます。20年くらいか?
まぶしいほど明るい人達です。かつてこんなことを考えました。「トリオ・ロス・ファンダンゴスは正し過ぎる」「明るい太陽ばかりで月がない」「なんで人生をこんなに信じられるのか?」、それならば、私が「月」の要素を引き受ければ、陰影がうまれ「いかがわしく」なるのではないか?ダンスはオシャレも見栄も捨てて、ええじゃないかのように時空に掠われて、皆が同期してエネルギーの火の玉になる。
そんなこんなで何回も共演させてもらっています。今回は私の事情により今までとはちょっと違うニュアンスになるでしょう。しかし、それも人生の1ページ。いま・ここ・わたしでなければできないことをやれば良いのです。それで良いのだ!
写真のバンドネオンは先日同病で他界してしまった田辺義博さんです。彼のためにも演奏します。