音楽の役割
2回目のワークショップの時に「死ぬ間際に聞きたい音楽は何?」「死につつある人に対して何を演奏できるか?」というトピックになりました。思い出すに、それは「ラ・クンパルシータ」でも良いかもしれないけれど、母国語の歌こそ欲しいし、あってしかるべきだろう、文化というのはそういうものという話をしました。骨の髄からの音楽という小泉文夫さんの言葉が頭をかすめていました。
私は死の床で演奏したことが何回か有ります。
李七女(イ・チルニョ)さん。
韓国の舞踊家・演奏家。それまで知り合いではなかったのですが、私が韓国で録音した「神命」(ソウル音盤 金石出・安淑善・李光寿・李太白と共演という、知る人が聞くとビックリする大スター達、しかも巫楽・国楽・農楽混成)をたいそう気に入ってくれていて、舞踏の工藤丈輝・若林淳さんとの海外ツアーでもこのCDからの曲を使っていたそうです。
彼女が日本で重病になり、共演する機会を作って励まそうと工藤・若林さんが考え、わたしもお誘いいただき、神楽坂で会を持ちました。しかし、彼女は病院から外出することが出来ず、三人で演奏。そのビデオをもってお見舞いに行こう、楽器を持っていったらもしかしたら、ということになりました。
お見舞いに行くともうその日からモルヒネを使う段階とのこと。
私たちが「たまたま(?)楽器を持っているし、病院のどこかで演奏できないかな?」というと直ぐに病院スタッフがスペースを用意してくれ、入院患者・医師・看護師などで満員のステージを用意してくれました。七女さんもキチンと韓服に着替え、チャンゴの前に座っています。韓国伝統音楽のリズム(長短)を使っての即興演奏・即興ダンスをしました。素晴らしい時間でした。窓の外の海とカモメを忘れません。
そしてそこが、何の因果でしょう。私が今、通院していて夏に手術を受けようとしている病院なのです。
岸田理生さん
天井桟敷で寺山修司さんのスタッフとして活動を始めた脚本家。私は何作かで音楽を担当。思えば彼女の最後から2番目の作品「空・ハヌル・ランギット」(駒場アゴラ)でも作曲・ライブ演奏をしていました。ハヌルは韓国語、ランギットはマレー語。日本人・韓国人・マレー人が登場する演劇でマレー役は、私の投稿ではお馴染みのザイ・クーニンを当て込んでの役でした。何の都合だったかザイは出ることが出来ませんでした。韓国関係・マレー関係ともに私とは別ルートで関係を持っていて晩年は私と大変親しくさせていただいていました。最晩年は蜷川幸雄さんとのコラボで多くの人から注目をされていました。
阿佐ヶ谷の病院にも何回かお見舞いに行っていましたが、故郷近くの病院に転院。私はソロツアーで車であっちこっちを移動していたころです。ザイもたまたま日本に来ていたので同乗していました。病院を調べ、訪問。本名が分からずに難儀しましたがなんとか病室を突き止め二人でお見舞いできました。
「テッチャン何か弾いてよ」というので楽器を出して病室へ。ザイがマレーの歌をうたい私が演奏しました。とても穏やかな良い歌でした。その何日か後には亡くなってしまい、たまたま長野県内で演奏していた私は知らせを受け、翌早朝、御実家へ。ご家族の方がビックリなさっていました。
元藤燁子さん
土方巽さんの奥様。2日前まで銀座資生堂で共演。(週一回1ヶ月の予定)3回目が終わって私は大阪へ他の仕事に出かけていました。そこで死去の知らせを受けましたが、2日前まで一緒に演奏していたので何のことか分かりませんでした。一緒にワルシャワへ行きアバカノヴィッチさんとのコラボレーションをしアウシュビッツも一緒に訪問したばかりで、元藤さんは多くの靴を紐で結んでその経験を表していました。
今思えばなぜか元藤さんは全国の知人にライブの知らせをだしていて全国から関係者・ファンが集まっていました。資生堂で演奏する約束が2回残っていて、1回目はお葬式の日、私一人でやりました。
その時は、彼女の魂はその場に居ました。ハッキリ覚えています。会場の電気が急に付いたり消えたり、私の楽器が木にはさまって取れなくなっていたり、イタズラばかり。私が高い天井へ向かって「お〜〜〜い」と声を出すと、スーーっと何かが降りてきました。カルトっぽい話でスミマセンが事実でした。
北海道東川の知人
会場を提供してくださったりのご縁で親しくなり、彼の朗読と共演もしました。スキルス性の癌で大変進行が早く、病院へお見舞いにいったときはすでにホスピス棟でした。楽器をしのばせて(といってもなんせコントラバスですので目立ちますよね)行き、彼にリクエストしてもらうと「ふるさと」でした。
ゆっくりとシンプルに「ふるさと」を弾いて、何人かは歌いました。美しい時でした。なぜか、帰途に立ち寄ったラーメン屋の記憶と共に大事な所にしまってあります。
音楽の本来の役割でしょうか?
思い出すのは、パスカル・キニャール「めぐり逢う朝」の台詞です。マラン・マレに音楽の意味を諭すサント・コロンブ。(今昔物語集 蝉丸の章の換骨奪胎でもあります。)
言葉で語ることのできないものを語るのが音楽です。だから俗世のものではない。王のものではない。
では、神のものですか?
違うなぜなら神は語られるからだ。
耳に?
誠の音楽は耳には語らぬ。
では金に?栄光に?沈黙に?
沈黙は言葉の裏側でしかない。
他の楽師達に?
違う。
愛に?
違う。
愛の悔恨に?
違う
自棄に?
あの供え物に?
それも違う だが供え物とは?
わかった 例の菓子か あれは何でもない。
わかりません。
わからぬ。
死者への贈り物と?
そのとおりだ。
言葉なき者達へのささやかな慰めと?
子供らの影に
靴屋の槌の音を和らげるものに
世に出ることの亡かった胎児たちに捧げるものと。
先ほどあなたは私の嘆きを聞いたはずだ。
遠からず私は死に曲も消滅する
それを悲しむものもおらぬ。
死者を呼び起こすその曲をあなたに託したい。