使いの女達

考えてもアホらしくなるほど、身の回りの出来事が曼荼羅のように繋がっています。もう無茶苦茶でございまする。

昨日のライブ会場(りとるかりん:素晴らしいホールです!)に向かう車中で高田和子さんの話をしていました。到着するや、本日の主役AYUKOさん(ジャズボーカル)が「高田和子さんのご主人様が本日いらっしゃいますよ」と。私にはAYUKOさんと高田和子さんを結ぶものが全くなく、なんのことを言っているのかわからないほど。

先週は高田和子さん主宰のグループ「糸」でご一緒だった田中悠美子さんとお目に掛かったり、ポレポレ坐で共演することになったり、治療の相談をしたり。

ミッシェルとも親しい沢井一恵さんと高田和子さんは「風がおもてで呼んでいる」(宮沢賢治・高橋悠治)を演奏していますが、全く違うのです。同じ曲とは思えません。両方共素晴らしいのです。一恵さんと和子さんを良い形で共演の(あるいは、お話しするだけでも)機会をつくるのは私の仕事なのかな~などと不遜にも思っていました。

和子さんは私と同病でちょうど10年前に亡くなってしまいました。病院へお見舞いに行くと、私の北海道ツアーBlogを読んでくださっていて「私ね、こういう旅がしたいの。治ったらすぐにでも連れて行ってくださいね。お金なんてどうでも良いから。本当。」と。

和子さんのCDで私のよく聴く「鳥も使いか」の中の「天使のリン」(ビオレータ・パラ)「死んだら魂はどこへ住むの?何になるのか?」が耳に巣くっています。「おやすみなさい」(石垣りん・高橋悠治)も眠れぬ夜に思い出す歌です。

その北海道ツアーでは旭川では、現在「いずるば」で行っている「一弦琴ワークショップ」(女達の一弦 おとこも少し居ます)をやっていました。またこのツアー直後に湯河原空中散歩館の大成瓢吉さんが亡くなりました。

和子さんに委嘱され京都春秋座での「帰ってきた糸」公演のために曲を書きました。その中の「糸」は先日、ブッパタールでの自閉症プロジェクトタンツテアター「私の城」で使用したばかり。

和子さんと高橋悠治さんはサンフランシスコでの会で親しくなり、その時にヒョウシン・ナさんとも親しくなったこと(ヒョウシン・ナさんは先日のチャリティコンサートで曲を提供してくれました。)ちょうど今頃、一恵さんは野坂さんとサンフランシスコ公演(日影晶子さんが重要スタッフ)

AYUKOさんはエアジンの梅本さんが推薦してくれブラジルのショーロをやるということで初共演。昔の私ならやっていなかったかもしれません。キャンサーギフトのお蔭さまで、演奏は「自分のやりたいことだけをやる」というスタンスから「求められるもの」はやってみよう、と代わったので引き受けました。本当によかった。

その後、ショーロとは全く関係ないクルト・ヴァイル作品集CDの録音にお呼ばれして参加(入院以来2ヶ月ぶりの楽器演奏、外出でした。)ショーロからヴァイルという飛躍も訳がわかりません。

その録音参加を踏み切ったことで、先日のドイツ公演まで、そして七月のミッシェル・ニン・徹ツアーの実施までの勇気をいただくことができたのです。

病気ゆえのドタキャンの心配でその録音に参加していなかったらベッドで病気のことばかり考えるホンモノの「病人」になって演奏はずっと中断したままだった可能性が高いのです。ヴァイルの名曲に親しめたことも嬉しいことでした。「ロスト・インザ・スターズ」(「南アのジャッキーからメールが来たりしたのも偶然ではない?)「セプテンバーソング」「マイシップ」沁みます。

やはり、というか、当然というか、こういう話に登場するのはほとんど女性です。AYUKOさんも偶然や運命を運ぶ「使い」なのでしょう。昨日のCD発売記念コンサート、立派でした。

ともあれ、生きていればこそいろいろ起こる訳です。生きるのを止められません。