「いずるば」で第0回開催のお知らせ

何か役に立ちたいという「幻想」のようなものに動かされてこんな企画を立てました。(病気による孤独の中、世の中との繋がりを求める言い訳の部分も確かにあるでしょう。)

思えば、人に何かを教えるという苦手なことをしたのが30年前。アスベスト館で「アイコンとしての身体」というワークショップ(大野一雄校長)があり、太田省吾さん・麿赤兒さん・元藤燁子さんなど居並ぶ著名文化人の中で私が「音と身体」というコースを任されました。土方巽さん亡き後の「アスベスト館」維持・応援などの意味合いが強いのだろうなと感じていました。館にはまだ土方さんの残り香が確かにありました。経済バブルの最後のあたりです。

教えることは初めて。毎回、懸命に案を練って、精一杯やりました。思えばまだまだ分かっていない時期。系統立てて教えることは出来ず、受講者とほぼ同じ立ち位置で試行錯誤して行きました。音と身体というその後の私の大きなテーマをこの時に頂いたのですね。特に外国からの受講者に受け入れられた記憶があります。また、受講者がそれぞれの道を進み、「あの時、私も居ました」という嬉しい声かけをその後何回も受けました。

20年前くらいからは国内外の大学・芸術団体・フェスティバルなどでワークショップの依頼が時々来るようになり、お役に立つなら、という意味と、自分が何を考えているかまとめる良いチャンスであるので、引き受けることも増えてきました。

求めるものが同じなら、ジャンルの区別は無いはずだ、ということもよく感じます。音楽をやっているなら音だけで勝負すれば本来良いのでしょうが、こんな私が発する一言、書いた一言がどこかに引っかかって何かが開ける、と言うことがあるかもしれない?と思うようにもなりました。私自身がそうでした。美術家が発するコトバ、ダンサーの撮った写真、音楽家や詩人の描いた絵などから、専門外ゆえの親しみやすさで大事なことが伝わることも経験しています。

私の場合、時間が限られていると、とかく情報をたくさん伝えたいと飛躍が多くなる嫌いがあるので、今回の第0回は準備会のような形にして、気楽にお集まり頂き、お喋りを交わしたいと思います。何を期待されているのか、なにが役に立ちそうなのかを探りたいのです。もしうまく展開するようだったら、じっくりと続けて行って小冊子やネットなどで取り纏められるような形にもしたいと欲が出てきています。

大病をすると、1回目はなんとか持っても、2回目はヤバイという直感もありますし、ともかく「会えている」「何か出来る」「生きている」ミラクルを皆さんと実感したいという気持ちです。

ご参加・分かち合いのご検討くださいますようお願い申し上げます。