りら 終了

齊藤聡さんのBlog、ライブ評を書いて頂きました。

http://blog.goo.ne.jp/sightsong/e/6e6ae287115460ffa5719d4aea8f9823

私のFB投稿は、↓

「りら」神の遊び?何?「遊び」?苦しかったり辛かったり切なかったりの日常で「りら」?遊ぶ?人が生きる・死ぬの狭間でジタバタしているのに遊ぶ?

はい。遊ぶのです。真剣に遊びました。2年前母親の亡くなった何時間か後にブラジル音楽を演奏しました。私自身、浮腫で1日で3㎏体重が増えたり減ったりしているキャン闘病中ですが遊びました。メンバーの中に前日、肉親を亡くした方もいらっしゃいました。でも、みんなで遊びました。やけくそではありません。同年代のミュージシャンの訃報がこれでもか、と続きます。でも遊びました。楽器を娘に運んでもらい、理不尽な駐車場代を払い、遊びました。

毎日が誰かの誕生日・毎日が誰かの命日です。

「事情」と「表現」は別。

見渡してみれば、この世の中、メチャクチャだ。

「りら」が提案してきた題材は、文句を言わさないため、訴訟に勝つ担保としての煩瑣限りないアルバイト就業規則でした。読むだけで1時間かかります。法律用語は何回か読まねば理解不能。しかも理不尽。正社員ではなく、あなたでなくて良い、だれでも取り替え可能なアルバイト。

「りら」の世代は、好景気を知らず暗い世相に縛られ続けてきたのです。でも、何かしたい!のよ、わかってよ!という狂おしいばかりの思いを受け止めました。あたしは今ここで生きているのよ。

アルバイト就業規則とパフォーマンス、ディストピアとユートピア、まさに今・ここ・私達全員のトピックじゃないか。オルダス・ハックスリーの「島」のような統合を音で奏でることが出来るのか?華で昇華できるのか?墨で刻むことが出来るのか?言葉で詠えるのか?言葉は意味を保持できるのか?

今日もそんなことを考えて最高の1日を過ごします。