最近、Facebookで「〜年前こんなでした」という投稿がその人宛にあり、それを公開したりすることが流行って?います。たしかに何年前あ〜だったこうだったというのは思い出深いものがあります。それをそのまま公開しても自己満足のようで恥ずかしいですが、現在と繋げてすこし公開しましたのでそれをブログにも書きます。
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本日(二月七日)この公演(森田志保・Gravitation@ソノリウム)https://www.facebook.com/gravitacion2017/?pnref=story
の音楽リハーサルをしました。3ヶ月以上ぶりの「普通」の社会活動でした。まず、複数の人と話しをすることにさえ戸惑いがありました。また、私の状態を気遣ってくださるゆえの微妙なコミュニケーションギャップもあり、ホカホカの新曲をいくつか試したこともありでした。
普通の活動というものがどんなに複雑な精神・肉体活動かを痛感したしだいです。一時失った身としてはどんなに凄いことであることが分かります。楽器を弾くなんて超能力!です。
この公演の映像は、スティル写真を専らとする高木由利子さんが動画を撮ったことが大きな特徴です。ランサローテ島の異様な風景が切り取られています。その短編映画を、市村隼人さん(私の最近の録音をしてくださっています)が編集をしてそれに対して複数の音楽を合わせる回、と森田志保さんの踊りを中心とした回の2種類の公演内容になっています。
踊りの回では、フラメンコになる前の状態を1つの課題・モティーフとしています。私たちコントラバストリオ(田辺和弘・田嶋真佐雄・私)は、ユダヤの要素、アラブの要素、アフリカの要素、中米の要素などをふんだんに使った曲を準備しています。
本日は自宅でのリハでしたが、明後日からは運転して街へでます。私の筋力・精神力・免疫力大丈夫か?
大丈夫・大丈夫・・・・・
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3年前こんなことがありました。セバスチャン・グラムスの録音。
この録音は苦労しました。基音が微妙にちがったり、速度の指定が厳しかったり。1番の苦労は、何と言ってもこのメンバー全員がそれぞれの国で一人っきりで録音したことです。それをまとめたセバスチャンの才能と労力は凄いです。ヨーロッパ現代音楽録音での大きな賞を取ったのも納得です。WERGO盤です。
https://www.facebook.com/sebastian.gramss.1?pnref=story
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English version below ↓
私との対面
抗がん剤治療の副作用は毎回毎回全く違います。本当に違うね~、何でこんなに違うのでしょう?と思っている以上に違うのです。予想をことごとくくつがえす、あたかも見透かされている感じなのです。これはもうほかの視点から考えるしかないかな?と思い巡らせます。
「キャン(癌)は自分自身」だという仮説がでてきました。タルコフスキーで言えば「ソラリスの海」や「ゾーンの最後の部屋」、賢治さんの「銀河鉄道の夜」でも出てくる「自分の思いがそのまま形になる」というアレです。対面しているのは自分自身。世の中で1番わからないもの「自分」。どこかで避けているもの「自分」それが形になって対面しているのがキャンなのかもしれない・・・
そんな時、このFBの5年前の投稿が現れました。ほとんど40年前の写真です。現在、自分の仕事や人生の大きな替わり目(いや、危機か・・)を迎えて、この仕事、この人生を選んだ時の自分の顔がでてきました。ありゃま。
もしかしたらキャンは自分との対面を普段から逃げていた結果かな~?日常的な瞑想の必要性を感じました。情報の海に溺れない、(溺れるのは案外居心地が良いのです。)、知らない自分を怖れない。
騒の土橋恵美子さんの良くかけていたライオネル・ハンプトンのスターダストとか、セシル・テイラーのフライフライフライフライを聴きながらいろいろと思い出しています。
Facing myself
The side-effects from every anti-cancer chemo therapy are quite different each time. It is really different, why so different beyond any expectations. Or rather it seems to see my thought through and to overturn every guess on purpose. It is better to think from another point of view.
One of my hypothesis is “ Cancer is myself”. For example, “ The sea of SOLARIS” or “ the last room of ZONE from STALKER” by Andrei Tarkovsky or “Night of Milky way railway” by Kenji Miyazawa. There are scenes in which every thought become reality in itself. We are facing ourselves.
The most difficult thing we understand is ourselves. The enemy which we would like to escape is ourselves. Those thoughts take shape of CANCER.
Today the memory from 5 years ago appeared in my FB page. It was the photo from almost 40 years ago at GAYA (gallery and live house at HATSUDAI). Now I am facing the biggest turning point of my work and life itself. How surprising I am facing young myself just started this musical life.
I suppose cancer is a result from escaping facing myself in my daily life.
I feel necessary for everyday meditation. Not to be drowned in the sea of information. ( it is in a way comfortable to be drowned in this sea.) Not to fear of myself I have not known.
Now I am remembering 40 years ago listening to STARDUST by Rionel Hampton or Fly fly fly fly by Cecil Taylor which EMI-san of GAYA liked to listen to.