English version below↓.
(復活の)新年おめでとうございます!
1月5日第3回目の抗がん剤点滴開始でした。正月明けの病院はたいへん混んでいます。ここはキャン(ガン)専門病院なのでここにいる人は全員が患者とその付き添いなのだな、と思うと感慨が湧きます。顔つきを見るとみんな「責任感が強く、ストレスなんのそのと、実直に働き続けた」という風に見えます。
予定の1時間押しで診療。血液検査の結果も想定内(免疫を示す値は下がっていますが。)なので同内容の処方で本日も実施ということになりました。
薬調合・点滴用チェアー待ち2時間半、点滴2時間、自宅用点滴に切り替えて病院を出るまで8時間。常にPHSをぶら下げて受信範囲にいなければならないので隣の公園にいても「戻ってください」と連絡が来ます。割合ちゃんとしたレストランが一つありますがお昼は混雑していて並ばねばなりません。
8時間はさすがにグッタリですが、点滴の度に短期入院をするよりはよっぽどマシだし、娘が正月休み終えて帰りの時間に病院へ回ってくれ運転をしてくれたので助かりました。
食欲も戻って体重も退院後数キロ戻っています。体重が増えるのが嬉しいなんて初めてのこと。
その夜にはシャックリの発作も来て「油断するなよ」とたしなめてくれたのでしょう。足のむくみも生まれて初めての経験。怠さも本格的でした。自分の身体が全く他人のもののようです。コントロール出来ないわけです。2回目の副作用が軽かったので気を引き締めて対処せねばなりません。ガマンのしどころかと。
自分で針を抜く2回目。平均46時間のところ今回は52時間でした。ただ待つことのみ。
嬉しいことに「大丈夫」のコレクションが増えました。
ますます大丈夫ですね。
シンケンケン(バリ島 from 小川洋)
やぁれやぁれ (ミャンマー語 from 鈴木ちほ)
正月祝いを石垣島の請福(泡盛メーカー)の生姜リキュールをほんの少しお湯割り。担当医師からアルコール制限はありませんが、10月末のキッド以来呑んでいませんでした。妙な感じです。
何日かぶりで散歩兼即興体操で緑地に行きました。点滴チューブ付きなのでのびのびとはできませんが、お天道様に向かうひまわり体操中も患部をお天道様にむけて「ココですよ」と語り掛けます。すると、「よしよしわかった」と光線をあててくれます。光合成開始です。
昨年末、惜しくもなくなってしまった安保徹さんは「昔、死因を究明するために解剖する『剖検』でガンを実際に見た時、(ずいぶん汚れているんだなあ)というのが率直な感想でした。目の前のガンが『毒素を一手に引き受けています・・・本体の方がしっかりしてくれば、私は破綻して毒と一緒に消えて無くなります』と語りかけているようでした。ガンは決して悪者じゃないんですね。体内の毒を背負ってくれる心強い『助っ人』なんです。」と言っていました。野口晴哉さんのさまざまな言説と相まってジーンと来ます。
音楽.映像はこのところクラシックはルドルフ・ゼルキンのベートーヴェンソナタ30・31・32番のDVD(このDVDは中古で沖縄のショップから来ました。どんな経緯だったのでしょうね。)をヘビーローテーションでかけています。高齢、難曲、しかもライブという条件を全く感じさせない素晴らしい演奏です。
この曲はポリーニやアシェケナージの機敏でスマートな演奏が好きだったはずなのに、今は受け付けなくなってしまいました。長大な29番ハンマークラビアを書き終えて、何とも美しい30番そして生涯最後の31、32番と続きます。聴力がどんどん無くなっていく時のベートーヴェンの胸の内さえゼルキンに感じます。
ジャズは1928年のルイ・アームストロングが1番人気。シドニー・べシェ、アール・ハインズ、ビックス・バイダーベック、ジェリーロールモートン、ファッツワーラー、アートテイタム、ニーナシモンなど聴き続けて落ち着いたのがやっぱり1928年サッチモでした。彼のビブラートはシドニー・ベシェ、ビリー・ホリデイ、アルバート・アイラー、金石出と同じように聞こえます。私の来るべき復活時には古典ジャズやるんかいな?
素顔が笑顔というモットーの私としては笑顔の師匠としてサッチモが思い浮かびました。白人エンターテイメント社会に迎合しているのかように誤解していましたが、そんなことなく黒人運動にも自在に発言し続けたと聞きます。
何しろ90年前にこの演奏!たまげます。アールハインズとともに、ジャズアドリブソロの魅力を示しました。それはデキシーランドジャズの特徴だった合奏アドリブ形式からソロへと流れを作ったことにもなります。チャーリー・パーカーがジャズからダンスを奪い、アストル・ピアソラがタンゴからダンスを奪った(今はダンスが追いついた)ように、それぞれの形式の本質的な楽しみを覆すような才能とエネルギーが時代を牽引するのでしょう。言い方を変えれば、異端と異端が結んだ線が本流たる唯一の方法で、他のものは全て亜流。
高柳昌行オーケストラをドクター内田さんがプロデュースして作った時、私がベースでした。ジャズの歴史を振り返りその底に流れる何かを繋ぎ、将来を展望するような選曲(アレンジ;渋谷毅・佐藤允彦)でした。
当時高柳さんとのデュオで一年中そばにいた私はその時たいへん多くを学びました。いまでもその頃をよく思い出します。ビックスもサッチモも最近のリマスタリングされたCDは妙に綺麗な音になっていて、LPの雑音まじりの音が懐かしくなります。1928年前後にはじめてバスドラムの音を録音できるようになったと聞きます。
その高柳オーケストラの初演にはジョジョさんは体調不良で欠席(広木光一さんが代演)、急遽「渋谷毅オーケストラ」と名称を変えて演奏しました。それが今も続く渋オケの発祥なのでした。
Happy revival year!
On 5th. Jan. my third trial of anti-cancer remedy began. The hospital was crowded with many patients after new year holidays. This is a cancer-specialized hospital. Almost all the people there have something to do with cancer. Their faces share similar characters : working seriously in many years with (too) much responsibilities regardless of heavy stress.
Waiting for blood test, consulting with doctor, waiting for the chairs for medical drip for 5 hours. 3 hours for the drip, changed for drip for home then went home after 8 hours in the hospital. But it is much better than to stay nights in hospital.
To my joy, I gained 5kg. ( I weighed less than 60kg three weeks before ). But the side-effects from the third trial is not so light as after the second one. Hiccups attack made me awake in all the night, swelling of the legs for the first time in my life, heavy sluggishness made me careful again and again. I could not control my own body. I have nothing to do except just accepting.
I went to the green park for improvised physical exercise with a tube for drip ( which lasts 50 hours for finishing ). Like sunflower, I asked the sun to light up my diseased part. Then the sun said OK baby. Then PHOTOSYNTHESIS remedy began.
Dr.Toru ABO who died last month once said “ when I watched cancer for the first time at my student days, frankly it was very dirty. It was as if saying I AM ACCEPTING EVERY POISONOUS SUBSTANCE. IF YOUR BODY BECOMES NORMAL, I WILL BRAKE MYSELF AND DISAPPEAR TOGETHER. Cancer is not villain but the strong helper for human beings.
For my listening time, Rudolf Serkin’s Beethoven last sonatas is the heavy rotation. For Jazz, my favorite is Satchmo in 1928. ( also, Earl Haines, Sydney Bechet, Bix Beiderbeck, Jerry Roll Morton, Fats Waller, Art Tatum ). I feel his vibration is the same as Sydney Bechet, Billie Holliday, Albert Ayler, Kim Suk Chul.
My motto now is good smiling face. Satchmo is the best teacher. His solo is amazing 90 years before. With Earl Haines, he showed the fascination of adlib solo. It is a kind of contradiction that Satchmo showed the ad-lib charm in the Dixieland collective playing as Charlie Parker derived dances from Jazz, as Astor Piazzolla derives dances from Tango ( now dances seemed catching up ).
Overwhelming talents are always heading the time which seem contradictions. In other words, the thin line between heresy makes the real tradition.
When I was playing with Masayuki JOJO Takayanagi, I learned a lot from him. When Dr.Jazz, Osamu Uchida ( who died recently ) produced Takayanagi Jazz Orchestra, he could not join because of sickness. I played the bass there. The orchestra became SHIBUYA TAKESHI orchestra which has been lasted and gained huge appreciations among music lovers.