矢萩竜太郎さん

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9月27日、10月6日とジャッキー・ジョブ出演しますが、もうひとり矢萩竜太郎さんも両日踊ります。

そして27日は彼が主役です。この日に40歳になります。おめでとうございます!2年前のこの日はボッフムでのラストギグを終えてジャン・サスポータスさん達と一緒に打ち上げを済ませ、荷物をクルマに載せているときに日付がかわりました。

翌日が帰国の日。夕方便だったので、ツアー打ち上げを兼ねてフランス人ワイン商クリストフさん宅で大パーティ。生まれて初めてのちゃんとしたギャラをいただいた記念日でもありました。誕生年ワインも出してくれましたね。DVD「ダンスとであって」にも収録されています。

思えば、私は彼に出会って人生が本当に豊かになり、ほんのすこしはマシになったのではないかと我をふり返っては贔屓目に見て感謝しています。有り難う、竜ちゃん。彼に会うまで、ダウン症についてほとんど知りませんでした。今でも、一緒にプレイする度に多くのものを学んでいます。

以後、聞こえない人、見えない人、ダウン症・自閉症のひとたちと共演が進んだり、今年5月にはドイツでの自閉症をテーマにした大きなダンスプロジェクト「私の城」にも発展しました。そんな大きな流れのきっかけだったのかも知れません。

音について、人について、世の中について、表現について、愛について、こんなに多くのことを学べるのは竜ちゃんのおかげです。

竜ちゃんにとって、時には、憎まれ役を買って出ないとイケナイとばかりに、そんな役割もします。が、すべてお見通しのように、次の会で、あっさり凌駕するようなダンスを踊って見せてくれたりするのです。それは、実は、

私自身に対するレッスンであったかのようなのです。驚きと歓びの連続。セ・ラ・ヴィ。

彼のダンスの根柢には「怒り」が有るのではないか、と思ったりもしました。その「怒り」とは「不安」に対する反応なのでしょう。生きるだけで「不安」はいっぱいあります。しかし、生きることを肯定したい。生きていることだけでOK。不安は怒りに替えても良いし、ダンスに替えても良い。生きにくさについては彼の方がよ〜く知っているし、毎日体験していることでしょう。

実際、バイト先でアジア人バイトに蹴られたり、長年面倒を見てくれている「先生」から信じられないような心ない言葉を言われたりしているのです。

それらは、すべてその当事者の社会生活の中でのストレスや差別を彼に転嫁させてしまっているのでしょう。彼らの「病」であり、社会の「病」なのです。それを竜ちゃんが引き受けてしまっているのでしょう。

不安〜哀しさ〜怒り〜肯定〜歓びという人生の感情のほとんどを彼のダンスはダイレクトに表します。そのバイブレーションが共演者と同期し、聴衆と同期し、空間と同期し、世界と同期するのです。

だんだんと世の中がそれに気づき始めましたようです。昨年のつくばアーティストインレジデンスオープニング、キッドアイラックホールのダンスシリーズ、新生会(老人ホーム)での公演とオファーも来始めています。

彼の大好きな「うちあげ」をまた何回も何回も一緒に過ごしたいです。皆さまも是非、同期しましょ。ね。

キッドでの写真はモリ・ボッソさん撮影です。

9月27日エアジン 竜太郎の四季 ジャッキー・ジョブ with 矢萩竜太郎・庄﨑隆志・かみむら泰一・齋藤徹
10月6日「いずるば」 ロジャー・ターナー/喜多直毅/徹 with ジャッキー・ジョブ+矢萩竜太郎

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