ジャッキー・ジョブについて
311後、子供のために愛する日本を去ってケープタウンへ帰国後、初の「里帰り」。
LIVEが2つあります。
9月27日エアジン 竜太郎の四季 ジャッキー・ジョブ with 矢萩竜太郎・庄﨑隆志・かみむら泰一・齋藤徹
10月6日「いずるば」 ロジャー・ターナー/喜多直毅/徹 with ジャッキー・ジョブ+矢萩竜太郎
この5年間で、彼女の日本での活躍を知らない方も増えているようですのでご説明します。
とりあえず、私が某所へ書いた彼女の推薦文がわかりいやすいかも知れません。
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私(齋藤徹)は作曲家・演奏家としてジャッキー・ジョブさんと親しく共演してきました。
2007年青森県立美術館公演「アレコ」、08年神楽坂セッションハウス「Life」、09年「Over Zen Lion」(@「いずるば」)「Going Home」(@ポレポレ坐)、10年「Asian African Conference」ザイ・クーニン(マレーダンサー)と共に(@エアジン)、2011年「with Gamma/Ut」ジャン・サスポータス(ピナ・バウシュ舞踊団ソロダンサー)と共に(@スーパーデラックス)、2012年「三人タンゴ」工藤丈輝(舞踏ダンサー)とともに(in Aachen ドイツ)。
日本で出産し(フランス人配偶者)、公立保育園で子育てをしていたことに見られるように彼女の日本への思いは格別なものがあります。また、妊娠・出産に際して、自分の身体の変化をダンサーとして、研究者として観察し、あらたな身体観を身につけ学問に、パフォーマンスに役立てていました。
身体表現として日本の「舞踏」にも興味を持っています。それは形骸化してしまい、オリエンタリズムの格好の例としての「Butoh」ではなく、土方巽が「舞踏」を確立した頃もっていた身体への飽くなき興味・関心・探求・社会意識の帰結としての「ダンス」に近いものと思われます。それはサブ・カルチャーの体現としての「舞踏」ではなく、すべての文化を巻き込んだ身体表現にまで拡がるものです。
圧倒的な身体能力をもつジャッキーさんが自らの身体へ問いかけることによって知覚される身体論・ダンス論はまさに「今・ここ・彼女」でなければ成し遂げない領域に鋭く食い込んでくるものでしょう。それは南アフリカ文化への大きな刺激にもなり、かつ日本文化への逆照射にもなり得るでしょう。また、南アフリカに流れ着いた東南アジアの文化さえも揺り起こし、刺激を与えるものとなることも確信します。
ジャッキーさんが再び日本を訪問し、レクチャー、ワークショップ、パフォーマンスをし、かつ、日本文化・哲学をより深く研究することで理解は飛躍的に進むものと思われます。それは日本・南アフリカ関係にとって文化・芸術の面とともに学問の領域においても真に重要な行為になることは疑い得ません。
かつてこのような学問・パフォーマンスを同時に行っていた人はいません。ジャッキーさんへの経済的援助は多くの刺激と深い理解のために必要なものと考え、強く推薦いたします。
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今回は彼女の博士課程での研究のための来日になり、アイヌ・舞踏の資料集めが目的ですが、前述の2回のLIVEが有ります。
思えば、40回を越えたポレポレ坐徹の部屋の第1回目がジャッキーでした。
エアジンでのアジアアフリカ会議とタイトルを付けたLIVEでの共演者ザイ・クーニンとは、その後シンガポールでもセッションを行ったとのこと。彼女が遠くマレーの血を引いているので本当に大事なセッションでした。ザイは最近美術界での活躍が目立っています。来年のベネチアビエンナーレへのシンガポール代表、ニューヨークグッゲンハイム美術館買い上げ、美術手帖インタビューなど。エアジンセッションでは天井によじ登りかじりました。すかさず梅本さんが「エアジンの天井をかじるな〜〜!」笑いました。
ジャッキーの詩
帰郷 ジャッキー・ジョブ
昔、青づくめの娘がいた
何をしたらいいのか、わからなかった
ぐるぐるまわったり、二回、三回と飛びあがってみたり
集中したり、隠れたり、
自由なように見えるけれど
何になるのか分からずに息が詰まってしまう
呪文のようだけど
文にはなっていないもの
それがどんどん大きくなるので、いつもつま先立ち
ああ~
詩を作る必要があるのだ
この愛らしい青い乙女は爪、傷、恐れを持っている
そのために自分を大きく感じたり、不確かに感じたり
いつ、どこで、もし、どのように
彼女の人生がバラバラになったら
どうにか、もとにもどる?
のぞき穴が現れたら
笑いや、ほめ言葉は消えてしまう
彼女はゆっくりゆっくりその場所に直面する
謎解きは分かっていても、疲れて眠り込むその日まで
すべてが隠され、膨らんでいくような多くのもので、うまいこと覆われている
魂は話しかける、揺れる、言う、
ホラ、聴いて、叫んで、
ひっかいて、おならして、這い回って、
重荷から解放されるために必要なことをするんだよ
彼女は、「以前」の状態に落ちていった
人間以前、「形」以前、
「普通」以前
何でこんなに激しく変わるの?
最初はまったく問題なかったじゃない?と聞かれる
自分自身の皮膚、はらわたを見つけるためには、解き放たなければならない
それが答え
さもないと、真実を忘れ、生まれたのと逆の方向に引き裂かれてしまう
不思議の眼をもった羽が飛び散る
その羽がまどろみから目覚めさせてくれる
彼女は飢餓の運命・必要・状態を観る
光を、力を、求めて呻きながら、
金切り声を上げ、背伸びをし、巻き付け、
元に戻し、裏表にし
黄昏時、もっと捻ってみる
エゴ、自身、イメージ、痛みの消失を思って、ねじ曲げるのだ
ヴィジョンをもち、自身の根源をもっていなければ、多くのものを得ることはできないことを知る
ああ、天からパンが与えられる、それを見つけ食べる
すぐさま満たされる
何を・どのようにすべきかがわかる
生まれ故郷への入り口に立つ門のところで彼女を守り保護してもらうために
パン屑で聖なる円を描く
実際に生まれたところ、もう一回生まれるところへの門
ここに掟
一回二回三回四回
あなた自身に通じる、あなたの皮膚に通じる、あなたの中心へ通じるドアを開けるにはいくつもの方法がある
シーッ!静かに
呼ぶ声が聞こえる
自分の歌が、自分の感覚、自分の音、自分の香が聞こえる
ラララ-
それはおとぎ話の香
シーッ!静かに
やるべきことがもっとある
すべてのワナを取り去る
一つ一つむき出しになっていく
感謝しながら、丁寧に自らを洗い清め、朝露とともに生まれ変わる
今はもう
どうやって、どこで、いつ、なにを、もし
することはわかっている