3年前(渡仏前)に比べて格段に音楽性も高くなり、楽器を自在に扱うことが出来、演奏の身体性や呼吸も大きくなったリーダー早川純さん。ブエノスアイレスより、モサリーニの居るパリへ留学したことがいろいろな意味で正解だったのではないか、と直毅さんと話しました。
世界遺産となっていろいろな重荷を背負ってしまったブエノスアイレス、数ある世界音楽の1つとして切磋琢磨できるパリ、イクザイルからパリに居続けるモサリーニ。伝統を遵守し保護するために、エネルギーや時間を使わなくて済むヨーロッパ。自らのマッピングがより正確に出来、客観的な眼を持つことが自然に出来る、いや、せざるを得ないパリ。
かつてブエノスアイレスで遠い故郷ヨーロッパを思い、広大なパンパで混血していく。フォルクローレの豊饒なリズムと、アフリカのリズムの混交。(今回の「エスクアロ」ではカンドンベのアフリカ要素を強調。)
今は、ヨーロッパからブエノスを思う視線のタンゴ。石もて国を追われるようにヨーロッパへ行ったピアソラ、モサリーニが作り上げたタンゴ。「タンゴ・ガルデルの亡命」でのファンウノとファンドスの対比。
足りないもの、失ってしまったものを思う気持ちは焦燥と時間と共に熱くなっていくのでしょうか。その動機は原点見つめ直させ、プラス、「今・此処」のホットな要素を付加していく。
オランダでのピアソラ・プグリエーセの合同コンサートで、ピアソラ六重奏団がジュンバ(プグリエーセのリズム)を強調する楽曲がどんどん増えていき熱くそして長くなっていきました。プグリエーセは堂々といつものプグリエーセ。
リハーサルの時にリーダー早川純さんが何度も何度も「熱く!」「興奮するよう!」とアドバイスをしていたのが印象的でした。現在の私からみると久々に聞いたコトバだったかもしれません。
私もタンゴ・ピアソラに 「なぶられ 弱らせ 迷わせ 覚ます、ひきずり 興奮させて もてあそばれ、磨いて 貫き すれっからしは 捨てられて 犯し 悪い女に 仕立て上げた 騙して閉じ込め 独りぼっちで 途方に暮れさせ 私をからかい おかしくさせて さらって行った 」(チェ・タンゴ・チェより) ころ、ひたすら「熱さ」を追い求めていたのだったか?思い出せませんがそんな気もします。
21世紀の現代日本、現代世界。ますます嘘がはびこり、しらずしらずに騙され、疲労し、消費させられています。そんな時には再び「熱さ」が必要なのでしょうか?熱さがないと突破できないぬるま湯、真綿。
そしてリーダーが私とのデュオで選んだ曲は「アウセンシャス」(不在)。私にとっては、ピアソラ・プグリエーセの不在であり、いや、タンゴの不在か、さらに信じることの不在、コトバの不在、それだからこそ、打開するための「熱さ」が必要なのか。ジーラジーラ。踊り続けるしかないのか。
身体的には若者について行けませんので、知恵と経験を加味した穏やかで、より狂った「熱さ」かな?
田村隆一さん風に言えば
音楽なんて、タンゴなんて、ベースなんておぼえるんじゃ無かった、か。